39. 交わされた約束
「まずは、魔導士就任おめでとう」
「ありがとうございます」
初夏の気配が王宮の庭を満たし始めた頃。
淡い花の香りに包まれた温室で、私は殿下と向かい合っていた。
魔力暴走以来、こうして落ち着いて顔を合わせるのは初めてだ。
あのとき、感情のままに泣き、縋り、取り乱した自分を思い出し、胸の奥がわずかに熱くなる。
「ひとつ、お願いがあります」
「なにかな?」
息を整え、言葉を選ぶ。
「……ミア嬢を魔導研究機関へ推薦していただけませんでしょうか?」
殿下の眉がわずかに上がった。
「理由は?」
「短い期間ではありましたが、共に行動する中で、彼女の探究心と観察力の高さを感じました。
魔法で戦うより、知識で切り拓くタイプです。研究所で、その才能を伸ばせると思いました」
「ふむ。それだけでは弱いな」
「ええ。ですので――もうひとつ」
私は封筒を差し出す。
殿下は私を一瞥してから、何も言わず中身を取り出した。
紙をめくる指は静かで、迷いがない。
「これは……研究内容の考察か?」
「私的な手紙ではありますが、魔物の魔力特性や、魔力の抽出方法について触れています。
そして――体液から抽出した魔力が、魅了薬に似た作用を持つ可能性についても」
殿下の手が、わずかに止まった。
「どうして彼女がその情報を?」
「幼い頃、王立図書館で古い本に挟まっていた紙を拾ったそうです。
どの本かは覚えていないそうですが……あまりに衝撃的で、調べずにはいられなかったと」
沈黙が落ちる。
しばらくして、殿下が静かに息を吐いた。
「アリーヌ」
低く、静かな声。
「いずれ王太子妃になる人間として――責任を持てるか?」
「――もちろんですわ」
即答すると、殿下の瞳がわずかに緩んだ。
「交渉の基本、知ってる? ギブアンドテイクだ」
「……ええ」
「君が望むなら、君も代価を払うべきだ」
殿下が身を乗り出す。
「さて――アリーヌは何を差し出す?」
軽い口調なのに、逃げ道はない。
まるで答えを知っていて、言わせるのを楽しんでいるようだった。
「……望みを教えていただけますか」
「そうだな」
殿下は少し考えるふりをしてから、口を開いた。
「じゃあ――僕と、一日デートして」
「……そ、そんなことでよろしいんですの?」
「そんなことって。普通に誘ったら断るでしょ?」
「……否定できませんわ」
「やっぱりね」
いたずらっぽく笑う殿下。
けれどその視線は、どこか確かめるように私を見つめている。
「じゃあ、交渉成立。五日後、準備しておいて。行き先は僕が決める」
「……はい。承知しました」
気づけば返事していた。
そのとき、殿下がふっと息を漏らす。
「……嫌そうじゃなくてよかった」
視線を横にそらし、小さく笑う。
その横顔には、確かに満足そうな色が浮かんでいた。
(……まんまと乗せられた気がする)
それでも――不思議と、嫌ではなかった。




