30. 足りなかったもの
泣き疲れて呼吸が落ち着く頃、お祖母様の屋敷が視界に入った。
馬車が止まると、私は涙の跡もそのままに、殿下を真っ直ぐ見つめる。
「……私、負けませんわ」
その声にはもう震えはなく、芯のある静かな強さだけが残っていた。
「知っている。君は強いよ」
私は馬車から降り、軽く一礼して殿下の背を見送った。
――もう迷って立ち止まるだけの私ではいたくない。
「ただいま戻りました」
「おかえり、アリーヌ」
お祖母様はいつも通りだった。
責めることも、問い詰めることもしない。
その変わらなさが胸に染みた。
◇
それから三日。
お祖母様は何も聞かず、私は身体を休めながら静かに過ごしていた。
ゆっくりと心が静まるにつれ、迷いは逆に輪郭を濃くする。
戻るべきか。戻れるのか。戻っていいのか――。
その迷いを断ち切るように、ローズが勢いよく部屋へ飛び込んだ。
「お姉さま! 大丈夫ですか!?」
「ええ、もう大丈夫よ」
「……ほんとうに?」
疑いが顔に出ている。
思わず苦笑してしまった。
討伐隊の状況や魔物の話を交わしながら、ふとローズがためらいがちに口をひらく。
「……お姉さまは、ラファエル様を信じられなかったのですか?」
「――え?」
「だって、ラファエル様はいつも一番に動くでしょう? 訓練でも、模擬演習でも、誰かが危ないときはいつだって……」
ローズはそっと視線を伏せた。
「だから……きっとミア様のもとへ走っていたと思うんです」
私は息を呑んだ。
喉の奥がぎゅっと締め付けられる。
――“信じる”。
その言葉が、胸の奥にずしりと落ちる。
あの時、私は魔力を制御できなくなるかもしれないと恐れていた。
けれど同時に、他人に任せることも怖かった。
もし任せて、ラファエルが間に合わなかったら。
もし判断を誤り、誰かが死んでしまったら。
そうなった時、私は自分を許せないと思った。
けれど、実際は――。
「……ローズ。ありがとう」
そう言うと、彼女は驚いた顔をした。
「え? なんでお礼を……?」
「あなたの言葉、刺さりましたわ。……痛いくらいに」
ローズは目を瞬かせ、それから心配そうな顔をした。
「……お姉さま、あまり無理はしないでくださいね?」
「ええ、大丈夫よ」
それからも話は尽きることがなく、時間はあっという間に過ぎていった。
「ローズ。今日はありがとう。話せてよかったわ」
「はい! また来ます!」
ローズが帰ったあと、胸の奥にあった重さが、ほんの少しだけ軽くなっていた。
◇
夕方。
お茶の時間を終えた頃。
「アリーヌ。少し話があるの。書斎へいらっしゃい」
お祖母様が柔らかい声で私を呼んだ。
叱られるのかもしれない。
慰められるのかもしれない。
けれど、今の私は逃げなかった。
「……はい。すぐ伺います」
小さく息を吸い、前を向く。
――向き合うべきものから、もう目を逸らさない。
そう決めたのだから。




