14. 初めての舞踏会
庭に豪奢な馬車が止まる。
「お嬢様、王太子殿下がいらっしゃいました」
「今行くわ」
部屋を出る前、鏡に映る自分の姿が目に入った。
身にまとうのは、淡く透きとおるアクアマリンのドレス。
幾重にも重ねられた薄絹が光をすくい、まるで黎明の海を閉じ込めたかのように揺らめいている。
胸元を飾る白の刺繍は冬の庭に咲く霜花のように繊細で、裾を縁取るレースは風のため息のように軽やかだった。
(……殿下って、本当にセンスがいいわ)
桔梗を模した髪飾りを、そっと髪に挿す。
婚約が決まった日に殿下から贈られたものだ。
節目のパーティーにはこれをつけてほしい、と言われていた。
せっかくの贈り物だからと、つけただけなのに。
今になって、そのお願いの意味を考えてしまう。
庭に出ると、馬車の前で殿下が待っていた。
私とお揃いの色をさりげなく取り入れた礼服を着こなし、いつも以上に整って見える。
「アリーヌ、とても綺麗だ」
「ありがとうございます」
手を取られて馬車に乗り込むと、車輪が静かに動き出した。
「緊張してる?」
「ええ、少し」
「はは、アリーヌでも緊張することってあるんだね」
「私だって普通の令嬢ですわよ」
思わず顔を上げると、殿下がわずかに口元をゆるめた。
いつもの完璧な微笑みではなく、どこか少年のような笑み。
「……無理はしなくていい。今日は、僕が隣にいる」
その声が、やけに穏やかで、心の奥まで染み込んでくる。
けれど、ほんの一瞬――彼の視線に、なにか熱を帯びたものを感じた気がして、私は思わず視線をそらした。
◇
馬車を降り、殿下の腕に腕を絡ませながらエスコートされる。
周りはざわめき、視線の波が痛いほど突き刺さった。
羨望か、あるいは――憐れみか。
私は少しだけ、息を詰める。
王宮に足を踏み入れると、そこには絢爛たる光の海が広がっていた。
「ごめん、アリーヌ」
「どうしました?」
「王族はあの扉から入ることになっているんだ。一回、ここでお別れしないといけない」
「承知しました」
「迎えに行くから、シルヴァンと待っていて」
すっと横にシルヴァン・ベルナールことお兄様が立つ。
殿下は名残惜しそうに微笑み、扉の向こうへと消えていった。
「アリーヌ、似合っているよ」
「ありがとうございます」
「馬子にも衣装だな」
「ひとこと余計ですわ」
ふふ、と笑ってお兄様に腕を絡める。
と、そこへ私を呼ぶ声がした。
「アリーヌ、ここよ!」
「ナタリー!」
ナタリーの濃いブルーのドレスは、彼女の瞳の色を一層深く見せていた。
胸元には銀糸の刺繍が夜空の星座のように散りばめられ、裾へ流れるにつれて淡いグラデーションが広がっていく。
王都の流行を取り入れながらも、どこかナタリーらしい独創性が光る装いだった。
「アリーヌは殿下の色ね。似合っているわ」
「ナタリーこそ、すごく綺麗だわ」
「ありがとう。今日のために半年前から準備に取り掛かったの」
「さすがね」
お互いに上品に微笑み合う。
貴族令嬢らしく、視線や仕草ひとつにも気を配って。
「改めて思うけど……アリーヌが王太子殿下の婚約者だとはねぇ」
「なりたくてなったわけじゃないのよ」
「つまり、殿下の猛プッシュがあったわけね?」
「そういうわけじゃ……」
「親友の恋バナはいいわね」
「そんないいものじゃないわよ」
スッとナタリーが扇子を口元に運び、視線を巡らせる。
「知ってる? あそこの二人」
「ルイーザ嬢とバルビエ伯爵令息?」
「ええ、幼馴染で、もうすぐ婚約が噂されてるのよ。あんなに楽しそうに話して……可愛いわ」
「もう、また妄想してるの?」
「ふふ、ロマンスはいいわよ。現実より、ずっと綺麗だから」
その言葉に、少し胸がざわついた。
私は“現実”の中で、どんな顔をして立っていればいいのだろう。
ふと、まわりが静まり返る。
パーティーの幕が上がる――運命の歯車が、また静かに動き出した。




