13. 静かな決意
屋敷に戻り、自室の扉を閉めた瞬間、張りつめていたものが一気にほどけた。
足の力が抜け、ベッドに腰を下ろす。
膝の上で手を組むと、指先がかすかに震えていた。
窓の外では、午後の陽光が静かに庭を照らしている。
あまりにも穏やかな光景に、胸の奥がちくりと痛んだ。
――ほんの数日前まで。
この日常が、当たり前に続くと信じていたのに。
脳裏に蘇るのは、あの戦い。
魔物の耳を裂く咆哮。焼け焦げた空気の匂い。
震える手で紡いだ詠唱と、思うように制御できなかった魔力。
そして――
自分の力が、決定的に足りなかったという事実。
あのとき、殿下が間に合わなければ。
私は、ここにはいなかった。
(このままでは……)
心が、きゅっと締めつけられる。
救われた命の重さと、何もできなかった自分への悔しさが、同時に押し寄せた。
居ても立ってもいられず、立ち上がる。
鏡に映った自分は、思っていたよりも硬い表情をしていた。
――迷っている時間は、もうない。
「……お父様に、お願いしなくては」
そう呟いて、部屋を出る。
手入れの行き届いた庭園では、今日も季節の花が咲き誇っていた。
中央の花壇の前で、見事に咲いた薔薇を眺めているお父様の背中が目に入る。
「薔薇をご覧になっているのですか?」
「今年も、よく咲いてくれたと思ってね」
穏やかな声。
表情の変化が少ないお父様にしては、珍しく柔らかい声音だった。
そのおかげで、張りつめていた胸が、ほんの少しだけ緩む。
「お父様、お話があります」
「……何かな?」
一呼吸置き、覚悟を決める。
「私、魔法の特訓をしたいと思っておりますの」
「……魔物と対峙したことがきっかけかな?」
「はい」
お父様の表情がわずかに引き締まる。
予想どおり、簡単に首を縦には振ってくれない。
「何か考えはあるのか?」
「私と魔力の性質が似ているお祖母様に、直接ご指導をお願いしたいのです」
「ふむ……」
短い沈黙。
反対されても、おかしくはない。
それでも、引くつもりはなかった。
「最近、公爵令嬢としての勉強を始めたばかりだが、どの程度進んだ?」
「え……」
「魔力の制御も重要だ。だがまずは基礎――教養だ。公爵家の令嬢として、果たすべき責務を忘れてはいないね?」
痛いところを突かれ、言葉に詰まる。
確かに、学ぶべきことは山ほどある。
「……はい」
「ならば、まずは今の学びを修めなさい。その上で――来年の社交界でのお披露目を終えた時、成果を見て決めよう。
お祖母様に預けるかどうかは、それからだ」
胸の奥に、小さな悔しさが灯る。
けれど、それが消えることはない。
でも、これでいい。
拒絶ではなく、猶予なのだから。
「ありがとうございます。精進いたします」
「期待しているよ」
その声に、確かな温もりを感じた。
背を向けて歩き出すと、風が吹き、薔薇の香りが揺れる。
一昨日までとは違う気持ちで、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
(次は――守ってみせる)
拳を握りしめ、前を向く。
ここからが、始まりなのだと。
私は、静かに庭を後にした。




