12. 帰還の馬車
王宮を出ると、空は薄く雲に覆われていた。
よく眠ったおかげで魔力はだいぶ戻っている。
まだ少し足元は心許ないけれど、歩けないほどではない。
「お手をどうぞ」
振り返ると、殿下がいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「殿下……お忙しいのでは?」
昨夜の訪問のことを思えば、執務が山積みなのは想像に難くない。
「体調が万全じゃない婚約者を送り届けるのも、王太子の務めだからね」
「いえ、一人でも帰れますわ」
「それで何かあったら、僕の立場が悪くなるとは思わない?」
言い返そうとして、言葉に詰まる。
そんな私を見て、彼は楽しそうに目を細めた。
結局、差し出された手を取る。
なんだか言いくるめられた気がして、少しだけ悔しい。
ふと、視線がぶつかる。
昨夜は手が触れただけで耳まで赤くしていたくせに、今日は平然としていた。
(――ずるい)
座ると同時に、馬車は軽快に動き出す。
「殿下の助言どおり、お父様に相談してみようと思いますの」
「――シリル」
「……え?」
「殿下だと距離がある。シリルって呼んで」
「ですが……」
「体裁のため、って言ったらどう?」
子犬のような目でこちらを見てくる。
まぶしい。
(これだからイケメンは困るわ)
「……わかりました、シリル様」
「様はいらない」
「……シリル」
「うん」
その瞬間、ほんの一瞬だけ。
仮面が外れたみたいに、照れた笑みがこぼれた。
「じゃあ、俺はアリーヌって呼ぶね」
“俺”。
どこか彼の素の部分が覗いた気がして、少しだけ意外に思う。
馬車が石畳を進むたびに、身体がわずかに揺れた。
窓の外では、公爵領の街並みが少しずつ遠ざかっていく。
一昨日の魔物襲来の痕跡は、まだあちこちに残っていた。
焼け焦げた柵、崩れた屋根、外れた看板。
それでも――
子どもたちは走り回り、商人は声を張り上げている。
街は、確かに日常を取り戻しつつあった。
馬車の中で、深く息をつく。
頼りなかった自分の力。
それでも、あの少女を守れたこと。
胸の奥が、少し熱くなった。
(……強くなりたい)
馬車が止まり、扉が開くと、再び手が差し出される。
それをそっと握り返した。
「殿下、ありがとうございました」
「違うよね?」
「……シリル、ありがとうございました」
「うん。ゆっくり休んで、アリーヌ」
完璧な微笑みを残し、彼は馬車へ戻っていく。
静かに遠ざかるその背を見送りながら、私は小さく息をついた。
何を考えているのか、やっぱりよくわからない人だ。
でも――悪い人ではない、と思った。




