第八話:Encroaching Business・業務威力侵食
「本日は誠にありがとうございました」
オフィスビルのエレベーターホールでクライアント担当者を見送る。
6基あるエレベーターのひとつの扉が「チン」と閉まる。
その音が聞こえてからその場にいたメンバー全員が直角に曲げたお辞儀から直る。
小宮部長が一息ついてから私の方に振り向いて満面の笑みを浮かべる。
「全く近藤君には冷や汗をかかせられて、正直どうなるかと思ったよ……先方も満足して帰られたし、結果オーライだけどな」
結果オーライ……。
そう、結局会議には間に合った。
タクシーは会社の入ったビジネスセンターの駐車場に二分前に滑り込んだ。
会社員専用の改札を社員証で通り、事務所の受け付けにクライアント担当者が内線を掛けているのを横目に、給湯室側の扉から裏を抜けて会議室前で待っている小宮部長に合流した。
「よく間に合った……」そういう小宮部長の顔が少し安堵を浮かべ、直ぐに引き締まる。
顧客案内用の扉が開いて、総務受け付けの福原さんに案内されたクライアント担当者が通される。
会議室前での打ち合わせは順調で、用意した資料の内容は評価され、私の名前「近藤」もクライアント担当者から何度も呼んでもらえ、覚えめでたく……と言う感じであった。
この取引が成功すると、会社は年単位での案件受注に結びつく。社内評価も問題なかろう。
じわじわ来る充足感。
これぞ仕事でのやり甲斐。
私がその存在意義を感じる瞬間だ。
充実感がコーヒー一杯飲んで落ち着く。
すると一気に朝の出来事が、堤防決壊のように押し寄せ、またしても「理不尽な現実」と「得も知れぬ不安」に陥る。
自分のデスクの上にはスマホが二台。
タクシーの運転手は助手席を移動して下に入り込んだ私のスマホを取るのを手伝ってくれた。
一度途中で降ろしたあの狂気のような態度も見られなかった。
――何もかもがおかしい。
「よう、近藤!」
「うわっ!!」
思わず声が出た。
思考を張り巡らせていて意識が集中している時に声をかけられると、驚くというのはあると言えばあるが、昨夜から驚かされ過ぎていると感覚が麻痺して来ているのかもしれない。
「おおぅ?!」
声をかけて来た同僚の阿部がつられて驚く。
「何やねん……ちょっと近藤、驚かさんといてや! ようやったって褒めてやろう思てたら、いくら何でも油断し過ぎとちゃうか?」
「あ、あぁ、阿部か……すまんな。ちょっと考え事しててな」
「ほほう、流石は近藤隊長は既に次なる作戦に余念なしっちゅうトコですか?」
「そんなわけあるかよ。そうだ、少し話せるか?」
「何や?ソレは仕事か、プライベートか?」
「どっちかと言うとプライベートかな?」
「何やハッキリせんなぁ。まぁええけど」
阿部は関西出身の同期で、関西弁を直す気がなく、だがその持ち前のコミュニケーション能力の高さで場所内でもマネジメントとメンタルケアまでこなす営業で、社内でも嫌いな人間は少ない。
「なつみちゃん!小会議室ソファ席とこ空いてるよね?」
下の名前で呼ばれたフロア総務の福原さんが慣れた感じで応じる「はい、15時まで空いてます」
「よっしゃ、ほなソコで聞こか。さっきみたいな奇声また上げられたら敵わんしな」
「そんなことはもうしないって」
阿部の後ろについて、小会議室にはいる。
本当に小さなソファとノートPCが一台置けるか?のテーブルと椅子。
要はTV会議で周囲に聞かれたくないような打ち合わせや今回のようなちょっとした話に使われる。
「んで、何を相談したいんや?」
「昨夜、帰り道すがらスマホを拾ったんだ」
「何や、自分のことちゃうんか……まあ、ええわ。スマホなぁ……そりゃ落とした人は困ってるやろ」
「まあ、俺もそう思ってな……せめて交番に届けてやろうと思ってな」
「そしたら、そのスマホに持ち主から電話が来てな……」
「え?何で知ってるの?」
「うわ、マジかいな。冗談で言うたんや……そんで?」
「妹からだった」
「なんや、身内かいな……そりゃ良かったやんか。誰か分からん奴に拾われたらキモイしな」
「俺に妹なんかいない」
「はい?ちょっと待ちな自分、何いっとんの?」
「阿部よ、俺が妹がいるなんて話をしたことあるか?」
「どうやろ……お前の家族の話とか、余りせえへんからなぁ」
「まあ、話すような家族の話題も無いからな……まあ、いいや。ともかく、気持ち悪いんだ……」
ともかく……と言いつつ、これまでの経緯を阿部に語る。妹を名乗る謎の女のスマホと確認で電話した母親の証言、朝のタクシーの件……
「ちょい待ちぃや……つまり、こういうことか?スマホ拾ったら、自分の知らん妹に憑りつかれたっちゅう話か?」
「うん、まあ、そうだ」
「ほーん……そんで、そのスマホは今どこにあるんや?」
それならここに……。
スマホはどこに置いても、移動時に持ち歩くために取る癖がある。
今回はその話題になることは分かっていたので、当然持っている。
そこで、テーブルの上にそのスマホを置く。
「これが、お前が拾ったっちゅうスマホかいな……」
ピリリリリ……ピリリリィ!!
テーブルの上でバイブ振動で撥ねて振動で移動するスマホ。
「これは、オレは取れへんで、近藤お前が取りや!」
ピリリリリ……ピリリリィ!!
クソ!ここで取ったら……会社が巻き込まれる可能性が……いや、もう遅いか?
「はよ出ぇ!……お前の話聞いとったら怖いわ」
ピリリリリ……ピリリリィ!!
「わかったよ……」もうどうにでもなれである。
ピリリリィ!!……ピッ!
スピーカーモードにする。
「あ、お兄ちゃん?……あ、誰か他に居る?」
「い、や……」阿部を見ると全力で手を振り存在を否定している。
「今は居ないかな」
「あははぁ~ウソばっか……なんでスピーカーモードにしてるんだろ?誰かいるでしょ?」
阿部が口の前でバツ印を作る。さらに、口パクで「アカンアカン」と叫ぶ。
昭和のギャグかよと思いつつ、とりあえず合わせる。
「大丈夫、ここは小会議室だから……完全じゃないけど防音だしね。それより今度は何だ」
「ふ~ん……あ、お兄ちゃん、朝は助けてあげたんだから、お礼を貰わないと」
「お礼?……タクシー代なら払うよ。送金方法を教えてくれれば――」
「あはは、お金なんて意味ないよ~ソンナモノ要らない」




