96話
この時期、戦いを繰り広げていたのは賀蘭部と匈奴だけではなかった。長城の南でも、目まぐるしく情勢は変化していた。
ボヨウスイは、チュウが長安に入ったのを機に北上を再開し、中山を目指した。燕の旧都にして、象徴的な都市である。ここを押さえれば、鮮卑の民たちは、ボヨウスイの後燕こそが燕の正統な後継王朝であると認めるはずであった。
「燕の統一を唱えながら、長安に浮気するとは愚かなやつだ。必ずや身を滅ぼすであろう」
ボヨウスイは、チュウに対して辛辣な言葉を吐いた。チュウの父ヒョウとは犬猿の仲であった。その子を正統な燕の王として認めるなど、出来るはずもなかった。
関中では、チュウの西燕がヨウチョウの後秦と争っている。東晋もまた襄陽を落とし、関中を窺っていた。弟のトクは太平道に溺れ、青州の広固を拠点にし、動こうとしていなかった。
北に目を転ずれば、匈奴の勢力が広がり、賀蘭部と戦争を繰り広げている。さらに北方では、柔然という新たな国が起こったという噂もあった。
西へと目を向ければ、リョコウという人物がヨウチョウから離反し、涼を建てていた。
フケンが淝水の戦いで敗れて以降、東西南北すべてが混沌とした情勢に陥っていたのである。
そして、この時点でボヨウスイが中山を狙うにあたり、障害となる勢力は存在しなかった。チュウは兵の大半を関中の戦いに投入しており、中山の守りは手薄であった。ボヨウスイは難なくこれを陥落させ、そのまま東進した。勢力は東は朝鮮半島にある高句麗と国境を接するまで広がり、旧燕の三分の二を治めるに至ったのである。
「父上は、燕のほとんどを手中に収めました。ここは皇帝を名乗られませぬか」
ボヨウスイの子であるボヨウホウが進言した。チュウは王を名乗っており、トクは太平道の大司祭であって燕王朝とは言い難い。ならば、先んじて皇帝を名乗るべきだというのである。
ボヨウホウの言葉はもっともであった。燕最後の王はトクによって殺害されており、もはや名乗った者勝ちの状況でもあった。
「俺に“朕”と呼べというのか。……まあよい。皇帝となろう」
こうしてボヨウスイは皇帝を称した。
中山一帯は、チュウが徴兵して関中へ連れ去った影響で、働き手を奪われ、田畑も荒れ果てていた。
ボヨウスイが最初に行ったのは減税であった。燕の民は歓喜した。かつて秦の焦土作戦が行われて以来、この地は荒れに荒れていたのである。
次に行ったのは、漢人の登用であった。五胡と呼ばれる諸部族は、広域統治の行政制度に疎く、国を治めるには漢人の制度と知恵を用いるしかなかった。
登用された者の中でも、サイコウという人物の能力は抜きん出ていた。
サイ家は三国時代の魏から続く名門であり、サイコウは生産力回復のための農業改革を行い、外交では高句麗に圧力をかけ、貢物を納めさせることにも成功した。
それは、かつて燕の宰相ヒョウのように、自身の保身や私腹を肥やすための政治ではなかった。また、チュウのように戦いに明け暮れ、搾取するだけの政治とも異なっていた。
こうして後燕は急速に力をつけていった。
だが、ボヨウスイは別の問題を抱えていた。それは、後継者を誰にするかという問題である。ボヨウスイには十人の妃がおり、それぞれに子がいた。
中でも、ボヨウホウ、ボヨウリン、ボヨウノウが皇太子の候補と目されていた。年長なのはボヨウノウであったが、蛮勇で人望に欠け、野心も強かった。ボヨウホウは弁舌に優れるものの決断力に乏しく、ボヨウリンはまだ成人に達していない。
ボヨウスイは燕の英雄と称えられていた。その存在はあまりに大きく、人望も厚く、戦では無類の強さを誇った。だが、後継者選びとなると判断は鈍った。
廷臣たちはそれぞれ派閥を作り、足の引っ張り合いを続けた。ボヨウスイはそれを煩わしく思いながらも、結局、皇太子を決めることが出来なかったのである。
また、ボヨウスイは能力があれば胡人も漢人も関係なく登用すると公言しながら、実際には漢人の登用に偏っていた。その結果、燕人は主要な官職を漢人に奪われ、不満を募らせていった。
ボヨウスイはそのことに気づいていたが、何よりも後燕の国力増加を優先し、黙殺した。
後燕は外面こそ急速に力をつけているように見えたが、内面には不安要素を抱え、政情は不安定であった。
「果たして、後燕は何代続くのか……」
ボヨウスイは大きな溜息をついた。
天下を統一した晋ですら短命であった。その後、無数の国が興り、滅んでいった。後燕もまた、その一つに過ぎないのかもしれない。
そう思うと、ボヨウスイの胸は重く沈んだ。




