94話
アリラを撃退してから五日が経ったが、まだカクレンは現れなかった。
斥候が戻ってくる。カクレンの到着には、あと三日は掛かる位置にいた。
「どういうことだ。アリラは捨て駒だというのか」
アリラもまた、カクレンの進軍が遅いことに苛立ちを感じていた。
アリラの兵力は二万弱なのに対し、賀蘭軍は四万と倍近くいるのだ。
「いつまで休んでいる。少しは敵を削っておけ」
アリラの元に、カクレンの伝令が来た。
命令は絶対だ。即座に出撃を命じた。
「敵が動くぞ。どうやらアリラは死兵のようだ……」
ブクレンが言った。
彼は賀蘭部で、シトウと並ぶ勇将であった。
アリラは、カクレンに対して最後まで抵抗した族長の一人なのだという。
そして何より、あの異形をカクレンが嫌っていると噂されていた。
「自分も異形のくせに……」
カクレンは、自身と共通点のある者を嫌い、美形を溺愛する傾向があるようだ。
ケイも容姿は悪くない。だから、あれほどの歓待を受けたのだ。
ケイは、カクレンが酔い潰れ、だらしなく股間を曝け出している姿を思い出し、身震いした。
「ジュンカン、頼んだぞ。まともにぶつかるなよ」
ジュンカンが五千の騎馬で出た。
アリラはジュンカンを見つけると、殲滅しようと馬腹を蹴り、加速した。
「うぉぉぉぉぉ! 皆殺しだ!」
アリラの雄叫びが空気を震わせ、ビリビリと振動となって伝わってくる。
「引くぞ! 駆けろ!」
ジュンカンは馬首を返して引いた。
振り向きざまに、小さな石礫を投げつける。
「そんなもの、痛くも痒くもないぞ! どうした、怖気づいたか!」
アリラは、ジュンカンが怖がっていると思っていた。
初戦では、石礫も石の壁も粉砕している。
アリラは逃げるジュンカンを追いかけた。
ジュンカンが逃げる先には、歩兵が槍を持って待ち構えている。
「まったく芸がない! そんなもので俺を止めることはできんぞ!」
ジュンカンが歩兵の中に飛び込んだ。
続いてアリラが突進してくる。
ぶつかる瞬間、歩兵が左右に開いた。
歩兵の後ろには塹壕が掘られており、その中には伏兵がいた。
匈奴の騎馬は、真下から槍を受ける。
アリラも馬の脚を突かれ、宙に放り出された。
「くそ! この卑怯者!」
匈奴の兵たちも、馬から投げ出されたところを、歩兵の槍で滅多刺しにされていた。
アリラは怒り狂い、斧を振り回した。
そこに多数の縄が降り注ぎ、アリラの体に絡みつく。
ブクレンの魔法であった。
アリラは暴れたが、ついに縄でぐるぐる巻きに縛り上げられた。
「とりゃー!」
ジュンカンが石魔法で巨大な鎚を作り、気合いを入れて、アリラの脳天目掛けて振り下ろした。
鎚は粉々になったが、アリラは白目を剥き、気絶した。
「捕虜にしても、暴れられると厄介だ。このまま送り返そう」
ブクレンは三頭の馬にアリラの脚を括り付ける。
馬に鞭を入れると、馬はアリラを引きずりながら駆けていった。
完勝であった。
匈奴の残兵は武器を捨て、降伏した。
逃げ戻っても処刑されるだけだ。
兵たちにとって、カクレンは恐怖でしかなく、忠義を尽くす対象ではなかった。
⸻
「とんだ生き恥を晒しおって! 首を刎ねよ!」
カクレンは、大した戦果も上げず、縄に縛られ馬に引きずられて戻ってきたアリラを見て激昂した。
「た、頼む! 殺さないでくれ! 俺はまだやれる! 兄者! 何か言ってくれ!」
アリラは、兄のカンアリを見て命乞いした。
だが、カンアリはカクレンに深く洗脳されている。
剣を抜いた。
「兄者! 何をしているんだ! やめてくれ!」
カンアリが剣を振り下ろす。
アリラの首が宙を飛んだ。
血が吹き上がり、カンアリは返り血を浴びた。
それでもカンアリは虚ろな目で、アリラの首を冷たく見下ろすだけであった。
カクレンはアリラの首を蹴飛ばすと、飼っている狼の群れに転がしていった。
狼たちはアリラの亡骸に喰らいつき、その姿は骨を残すのみとなった。
レイは、その凄惨な光景を見せつけられ、ガクガクと震えた。
「お前もこうなりたくなければ、素直に従うことだな」
「きょ、恐怖で縛るだけでは、人は付いてこないわ」
「ふん。強がっても声が震えているぞ。まあよい。そのうち分かることだ」
⸻
その夜、レイはカクレンの軍営に連れてこられた。
裸になったカクレンのおぞましい姿に、レイは悲鳴を上げてしまった。
「そんなに怖がるなよ。もうじき、お前もこれの虜になるのだ」
カクレンの目が妖しく光る。
「うっ……なんなの、頭が割れそう……」
レイは、カクレンと目を合わせた瞬間、猛烈な頭痛に襲われた。
ガタガタと震える体を抑えながら、レイはうずくまった。
頭が真っ白になり、意識を失いそうになるのを、必死で耐えた。
やがてそれは収まり、震えも止まった。
「ほう、耐えるとは、なかなかやるではないか。では、これはどうだ」
カクレンはレイの膝の裏を持ち、抱え上げる。
レイは不安定な体勢となり、思わずカクレンの首にしがみついてしまった。
「ふふ。どう? とてもいいでしょう?」
カクレンの口調は、男でもあり女でもあった。
レイは、目で見られるよりも強いカクレンの思念を感じたが、必死に耐えた。
夜通し続いた。
「はぁ、はぁ……あなたの思い通りにはさせないわ」
カクレンの洗脳に耐え切った人間は、初めてであった。
逆に、カクレンの方が足腰立たず、よろけて座り込んでしまった。
「お前! いったい何者なのだ!」
カクレンはレイを睨む。
屈辱であった。
レイを妃とし、ケイに見せつけてやるつもりだったのだ。
レイに対して殺意を覚えると同時に、必ず支配してみせるという気持ちが入り混じる。
カクレンは、むしゃくしゃした気持ちを抑え、軍営を出た。
レイは、誰もいなくなった軍営の中で一人、啜り泣くのであった。




