91話
五胡とは、鮮卑、氐、羌、羯、匈奴の五つの民族のことを指す。
鮮卑は燕や代を建て、氐は秦を、羌は後秦といった国々を興した。
羯は、晋の八人の王侯たちが起こした八王の乱に単于呼応し、中央へと進出した民族である。しかし、今はすでに衰退していた。
匈奴も同じ頃に中原へ進出し、趙を建てた。趙は長安や洛陽で覇を競ったが諸国との争いに負け、北へと退いていった。
「われこそが、匈奴の真の王になる」
カクレンは、六百年以上も前に漢を苦しめたボクトツの再来だと言われている。
ボクトツは、かつて漢の皇帝を包囲し、屈服させるほどの力を持っていた。だが、そのボクトツですら天下を統べる意思はなく、長城の北で逼塞することをよしとしていた。
「われはボクトツとは違う。やがて南に進み、天下を統べる」
カクレンは匈奴をまとめ上げ、その意思を示すため、統万城の建築を進めていた。
カクレンは毎日、城壁の固さを確かめた。
髪に挿した鉄の簪を抜き、壁へと突き立てる。もし一寸でも簪がめり込めば、その日の建築に関わった者は捕らえられ、斬首された。
その死体は、城壁の中へと埋め込まれた。
この作業は何度も繰り返され、やがて城壁は鋼鉄の槍すら折るほどの強度を誇るようになった。
ある日、カクレンは領内を巡回していた。
匈奴に紛れ込んできた流浪の民は受け入れ、南から逃れてきた敗残兵や盗賊は、容赦なく討ち砕いた。その死体は、カクレンが飼う狼の群れの餌とされた。
狼たちが川のほとりで吠え立てた。
近づくと、一人の人影が倒れている。
カクレンは剣を抜いた。
裸ではあるが、その鍛え上げられた身体は、明らかに軍人のものであった。
「女か……まだ息があるな」
何となく顔を見たくなり、顎をつかんで持ち上げる。
額には、出来たばかりの生々しい傷が走っていた。艶のある顔立ちである。傷があるのが惜しいと思うほどだった。
「まあよい。連れて帰る」
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エイゲツは目を覚ました。
大きなテントの中にいるらしい。遠くで狼の鳴き声が聞こえる。
「……ここは……」
頭が割れるように痛んだ。川に飛び込んだ際、岩に打ちつけたのだろう。よく生きていたものだと、自分でも思った。
「どうやら、目が覚めたようだな」
声に振り向く。
そこに立っていたのは、背の高い女であった。筋骨隆々とした体つきで、胸の膨らみがなければ男と見紛うほどである。
「あなたが……助けてくれたのね。礼を言うわ」
エイゲツの言葉に、女は鼻で笑った。
「助けたかどうかは分からぬ。お前に、生きる価値があるかを試すだけだ」
低い声だった。冷たく、逃げ場のない響き。
「価値がなければ、狼の餌だ」
その言葉に、エイゲツの身体は勝手に震え始めた。
恐怖を押さえ込もうとしても、どうにもならない。
「……怖いか?」
女は愉快そうに笑った。
「ふふん。顔の割には、素直な反応をする」
一歩、距離が詰まる。その圧迫感に、エイゲツは息を詰まらせた。何かがおかしい。その正体に気づきエイゲツの全身から血の気が引いた。
視界が揺れる。声を上げようとしたが、言葉は最後まで形にならなかった。
夜は長く、いつまでも狼が吠え立てていた。
朝、エイゲツはぐったりと横たわっていた。
「どうだ、我が魔法は?よかったろ?」
匈奴には男尊女卑の考えが根強く残っている。カクレンは腕っぷしも胆力も男より上であったが、女という理由で不遇であった。
ある日、カクレンは秦から来たとジセンという人物にあった。秦の宰相オウモウの死後、秦を離れ気ままな旅をしているのだという。
ジセンは金魔法を自らの身体に施し、自在に姿を変えることが出来た。
カクレンはジセンの話に惹きつけられた。女に産まれたことを憎んでいた。ジセンの魔法を身につけたなら男にもなることが出来る。
「身体に金魔法を施して生きているのはワシだけだ。お前さんに耐えられるかな?」
カクレンはそれでもやると言った。このまま女として生きるくらいなら死んだ方がマシだ。
ジセンにより身体に金魔法が刻みこまれる。それはこの世のものとは思えない程の激痛を伴った。だが、カクレンはその痛みを乗り越えた時、今まで聞いた事もない魔法を身につけていた。
ジセンのように変幻自在に姿を変えることは出来ない。変える事が出来るのは、自身の下半身だけであった。女の身でありながら男の象徴を作り上げる事が出来た。
また、相手の目を見て念ずれば従わせる事が出来るようになった。これはジセンも予想していなかった副産物であった。カクレンは試しにジセンの目を睨み、我に従えと言った。とたんにジセンは苦しみだし、やがて目が虚になっていった。
「自ら首を切り死ね」
カクレンがこう命じると、ジセンは剣を持ち自らの首を刎ねた。ジセンのような者は不要であった。このような魔法を他の者にも与えてもらっては困るのだ。
ほとんどの者は目による洗脳で従わせる事が出来た。時折、抵抗を示す者は、力でねじ伏せた。男も女も関係なかった。下半身の物で貫くと、目を見て念ずるより効果が高かった。
こうして、カクレンは次々と匈奴の有力者を従わせ、女にして匈奴の王である 単于なったのである。
「カクレン様、助けて頂いた恩は一生忘れません」
エイゲツは目による洗脳に抵抗したが、カクレンの物には抵抗出来なかった。これまでの記憶も曖昧になっていた。カクレンの右腕として、敵を打ち砕く強力な剣に生まれ変わったのである。
賀蘭部と匈奴の会談の日が近づく。ケイの母シュクランは、ケイと共に盛楽を出発した。ジュンカンたちは、ケイを婿入りさせる話をしに行くのに、美女たちを引き連れて行くのは礼に失するとして、盛楽に残された。
「ケイ....本当にカクレンに婿入りするつもりなのか?」
ジュンカンは心配していた。みんなケイが政略結婚の道具に使われるとは思ってもいなかった。
「大丈夫だ。母もカクレンの本性を見たら目を覚ますであろう」
ジュンカンはケイの言葉に頷くしかなかった。
盛楽を出発して3日後、ついに統万城が見えてきた。ケイは史実でのあの城の成り立ちを知っている。近づくにつれ、それは不気味な妖気を放っているように見え身震いした。




