88話
翌日、リョコウは陳倉本丸に繋がる斜面を眺め、どのように攻めるか思案していた。
「仕方ない。あいつに前に出てもらうか」
リョコウは後方にいるヨウアンに伝令を送り、斜面に落石を止めるための壁を作ってほしいと言った。
「だから無理に攻めるなと言ったであろう」
ヨウアンは、本丸は急がず兵糧攻めでじっくり落とそうと言っていたので、リョコウが呼び出してきたことに腹を立てていた。
「斜面に壁を立てるのは言うほど簡単ではないぞ。あの女が槍を投げて妨害してくるに違いない。それに魔力の消耗も激しい」
「魔力が尽きたら注げばいい」
リョコウは、魔力を口移しで渡すことを言っている。それは最終手段であり、やたらめったら行うものではない。ヨウアンは、リョコウに口づけされるのを想像しただけで身震いした。
「勘違いするな。俺もお前と口づけするのはごめんだ。投槍は俺の砂嵐で何とかする。万が一、魔力が尽きたら捕虜にした皇后の侍女を使えばいい」
指揮台での戦いでは、崩壊時に逃げきれず多くの死傷者が出ただけでなく、捕虜になる者も多かった。その中には、ランカに魔力を供給していた侍女たちも含まれている。
「そうか。俺とお前の魔法の相性は良いというわけか。ならばやるとしよう」
リョコウは頷き、攻撃開始の指示を送った。後秦の軍が斜面を登っていく。それを目がけて落石が来る。ヨウアンは土魔法で斜面に石の壁を立て、その後ろに兵たちが身を隠した。落石は石の壁に衝突し砕けた。
「ちっ! またあの石壁使いか!」
ランカは舌打ちし、石の壁を壊すべく槍を投げた。勢いよく壁に突き当たり、壁を粉砕する。またもや石の壁と投槍の撃ち合いになるかと思われた。
だが、ランカの放つ槍に突如として砂嵐が巻き起こり、槍を吹き飛ばした。
「なんだ!? あれは!?」
ランカは驚き、斜面の下に目を凝らした。石壁使いの隣に、もう一人の男が立っている。今の砂嵐はその男が放ったものだと分かり、愕然とした。
そして、その傍らには縄に縛られた女性たちが座らされていた。ランカの部下の侍女たちであった。指揮台崩壊時に逃げ遅れ、捕虜になったに違いないと悟り、敵の意図を察して唇を噛み締めた。
「なんて卑劣な奴らだ! 許さない!」
ランカは石壁使いと砂嵐使いを直接仕留めようと、渾身の魔力を込めて槍を投げた。
空気を切り裂き、槍は真っ直ぐに飛んでいく。ヨウアンは石の壁を三つ同時に、自身を守るように立てる。槍は凄まじい音を立てて壁を突き破っていく。だが、三つ目の壁は穴を開けただけで、ヨウアンの目の前で止まった。
「危ないところだったではないか!」
ヨウアンは目の前に突き立つ槍を見て、肝を冷やした。
「リョコウ、何をしているのだ! 早く兵を進ませろ!」
リョコウは砂嵐を二つ巻き起こした。本丸からの視界を遮る。ランカは吹き付ける砂埃に目を細めた。
砂嵐が収まり、ランカが目を開けると、後秦の軍の先頭はすでに斜面を登り終え、本丸の目の前にいた。
「まずい! 一斉射撃!」
ランカが手を振り下ろし、弓矢で応戦した。だが、後秦の軍は次々と斜面を登って来ており、本丸の城壁に取り付き始めた。
「くそ! 下がれ! 本丸の中に入れ!」
ランカは後退を指示し、槍を投げながら部隊を退却させた。槍を持つ手にも力が入らなくなってきている。それでも槍を投げ続け、本丸の中へ退いた。
後秦軍は城壁を越え、ついに本丸を包囲した。本丸との間には塹壕があり、水が流れている。本丸の門も吊り橋が上げられ、閉ざされた。
「今日はここまでだ。ここまで来ればあと一息だ。明日に備えて休め」
日はまだ沈んでいなかったが、斜面を登るのに兵たちは相当の体力を使っている。無理をせず、兵を休ませた。
その夜、リョコウは兵たちに酒を飲ませ、わざと本丸の中にいるレイたちに聞こえるように大声で騒がせた。楽しそうな笑い声に、レイとランカは悔しさに顔を歪めた。
やがて後秦の兵たちは歌い出す。それは秦の歌であった。後秦は自らを秦の正統な国だと主張している。その象徴である歌だった。
ランカはそれを聞き、愕然として膝から崩れ落ちた。兵たちも啜り泣きしている。レイも力なく椅子に座り込んだ。士気は完全に折れていた。
「こうなっては、皇后様だけでもお逃げください」
ランカはレイの前に進み出て言った。陳倉には万が一のため、外へ出ることができる避難路がある。レイと背格好の似た侍女に皇后の服を着せ、偽りの降伏をして時間を稼ぐ。その間にレイは脱出せよ、というのだ。
「なりません! わたしだけ逃れることなど出来ません!」
レイは共に死ぬと言ったが、ランカに「ケイの行方を追ってください。そして幸せになってください」と言われると、涙を流した。
ケイの名前を出され、レイの胸は会いたいという想いで満たされた。涙が止まらなかった。
「お前たち。皇后様を頼むぞ」
ランカはレイに五人の侍女を付けた。いずれも手練れである。そして、レイと同じくらいの背格好の侍女に皇后の服を着せる。
レイは促されるように避難路へ向かった。涙はすでに収まっていた。
「ありがとう……ランカ……」
夜が明ける。リョコウが攻撃を再開しようと前に出た時、本丸の門が開き、吊り橋が降ろされた。ランカが一人で出てくる。
「降伏する! 皇后様が出てくるので、少し軍を下げてもらいたい!」
その言葉を聞いた瞬間、リョコウは悟った。これは囮だ。皇后はすでに脱出している。
「急いでヨウチョウに伝令を送れ! 皇后はもういない! 追跡させるのだ!」
リョコウは歯噛みした。昨晩、兵を休ませずに無理にでも攻めるべきだったと後悔する。
やがて馬車が出てきた。一人の女性が護衛されている。顔を隠しており、本物かどうか判別できない。だが、リョコウには皇后の装いをした替え玉にしか見えなかった。
「そんな子供騙しが通じるか! 突撃だ!」
後秦の軍が馬車へと突進する。ランカは馬車に隠してあった矛を手に取り、薙ぎ払った。後秦の兵が次々と吹き飛ぶ。
馬車の中で皇后に扮した侍女も弓を取り、矢を放った。護衛の兵たちも武器を手に突進する。
リョコウはその一人を斬り捨て、前へ出た。
「そんなに死にたいなら、俺が引導を渡してやる」
ランカとリョコウが対峙する。リョコウは一瞬、ランカの放つ武の気配にたじろいだ。
――この女……出来る!
ランカが踏み込み、矛を鋭く突く。リョコウは剣で払いのけるのが精一杯だった。さらに踏み込んだ瞬間、ランカの額に石礫が飛んできた。兜が弾き飛ばされ、倒れ込む。
「このような局面で、くだらん一騎打ちなどするな」
ヨウアンであった。
ランカは額から流れる血を押さえ、立ち上がろうとしたところに腹へ石礫がめり込んだ。呻き声をあげ、うずくまる。
「余計なことをしやがって。まあよい。あの女を捕縛せよ」
ランカは縄をかけられ、ヨウチョウのもとへ引き立てられた。本丸は落ちた。ついに陳倉は後秦の手に落ちたのである。
一方、レイは避難路を抜けていた。追っ手の気配はまだない。
「代へ向かいます……」
ケイは、共に代へ帰ろうと言っていた。今は、彼が生きていると信じ、代へ向かうしかなかった。
史実では、レイこと毛皇后はヨウチョウに捕らえられ殺されている。この世界では、異なる歴史を辿るのか。史実を知らないレイには分からない。
だが、太陽は輝き、レイの進む道を明るく照らしていた。




