87話
リョコウもダンズイも、長安に火の手が上がるのを見て焦った。長安は洛陽と並ぶ政治的中心地だ。
それが焼失してしまうのは、全土に衝撃を与えてしまうのと同時に、非難の的になることは容易に想像できた。
「早く火を消せ!」
幸い、まだ中心の宮殿の辺りだけが燃えているようだ。街中に燃え広がる前に消火しようと、ダンズイは長安に突入した。門は開け放たれ、民が逃げ出している。ダンズイの軍は何の抵抗を受けることなく長安の中に入った。
民や秦の軍の中には、消火活動している者も多かった。彼らとて王の都合で住んでいる街を焼かれるのはたまったものではないのだ。
ダンズイはこれに協力し、消火活動に参加させた。秦の兵は敵が侵入して来たと驚いたが、懸命に消火する様子を見て、共に活動しだした。
「フトウはあの火の中なのか……どうも怪しい」
リョコウはダンズイが長安に入っても静観していた。そして周囲に軍を小分けにし、フトウ捜索の為に出撃させた。
「あの火災に紛れて逃亡したに違いない」
やがて長安は鎮火した。ダンズイと長安の民の働きで、焼失したのは宮殿と一部の区画だけに済んだのだ。ダンズイはそのまま門を閉じて、怪我をした者の救護や、軍による炊き出しを行った。ダンズイは長安の人心を押さえるには、こうするのが近道だと判断した。
「こんなところで何をしている!長安が取られたではないか!」
ヨウチョウは到着するなり、リョコウを怒鳴りつけた。
「おう。玉無し大将、来るのが遅かったな」
「なんだと貴様!どうして長安を攻めない!」
ヨウチョウはリョコウの口の利き方に腹を立てた。実力を買って将軍にしたが、最初から態度が悪かった。リョコウが笑いながら言う。
「長安などどうでもよいじゃないか。それより大事な事があるだろ?」
「なんだ!長安より大事な事があるのか!」
リョコウはニヤリと笑い、理由を説明した。
「大事なのはフトウの首を取ることだ。次に陳倉を落とすことだ。うちらは秦を名乗ってるだろう。だが、フトウがいる限り、それは偽物の秦だ。フヒを立てた以上は、フトウには消えてもらわなければならない」
ヨウチョウは黙って聞いていた。
「あとは陳倉だ。ここの食糧庫を押さえたら関中では、かなり有利に戦う事が出来る。長安などその後でもよい」
リョコウの言う事は最もだ。腕だけでなく、このような政治的な頭も回るのかと感心した。
リョコウが放った部隊はフトウを捕捉した。フトウは潼関がチュウに押さえられて越えられず、右往左往していた為に追いつかれてしまったのだ。
リョコウの軍が襲いかかり、フトウは抵抗する間もなく捕らえられてしまった。
ヨウチョウの前にフトウが引きずられてくる。ヨウチョウは手を叩いて喜んだ。
「ヨウチョウ貴様!この王殺しが!恥を知れ!」
ヨウチョウはフトウの罵倒を、鼻くそをほじりながら聞いていた。そしてそれを指で飛ばすと、フトウの額にくっついた。
「この無礼者!容赦しないぞ!」
「ふん。我が一族を殺された恨みは、フケンの首だけでは足りん。貴様の首も貰うぞ」
ヨウチョウはフトウの首を落とせと命じた。やがて断末魔が聞こえてきた。ヨウチョウはフケン、フトウの親子を手にかけ、ついに秦を滅ぼしたのであった。
「今後、秦の正統な王朝は我々である!」
ヨウチョウの軍が歓声を上げる。それは長安の中まで響く。ダンズイは長安の民の前で、ヨウチョウを王殺しの逆悪非道と罵った。
(註:これよりヨウチョウの国は後秦と呼ぶ)
ヨウチョウはフトウを討つと軍を陳倉へと進めた。ダンズイは後秦の軍が長安から離れていくのを見て、勝鬨をあげよと言った。長安に歓声が上がる。ダンズイは中山にいるチュウに長安を陥落させた事を知らせた。
チュウはその報告に歓喜する。旧燕の領地は、チュウ、ボヨウスイ、トクの三人が鼎立し膠着している。ここに来ての長安奪取は、チュウにとって非常に大きな出来事であった。
「長安へ移る。これより我らは西燕を名乗り、燕統一を目指す」
ヨウチョウは長安を後回しにしたが、チュウは長安の名を取った。中山から三万の兵を連れ、長安へ向かったのだった。
陳倉にヨウチョウが現れる。後秦の軍が集結し、その数は十万を超えた。レイはそれを見て愕然とした。もはや援軍が来る可能性は無に等しくなったのを悟った為であった。
二千対十万。圧倒的な兵数差であった。ヨウチョウは一捻りにしてくれると、本丸攻撃を命じた。ヨウコウもヨウアンも犠牲が大きくなると止めたが、リョコウは賛成した。
兵糧攻めでは陥落させるまで何ヶ月かかるか分からない。その間にも関中の情勢は刻々と変わっているのだ。ここは早く落とすべきだとリョコウは言った。
リョコウが先頭に立ち、本丸へと続く蛇行した道を駆け上がってくる。ランカは櫓に合図を送り、矢を降らせる。リョコウはそれを巧みに避け、突き進んだ。多櫓からの矢は多少、後秦の兵を倒したものの、兵力差は如何ともしがたく、道は後秦の兵で埋め尽くされていく。
道の先にあるのは斜面であった。落石の罠が発動する。後秦の軍に向けて巨大な石が転がり落ちていく。
「これは堪らん。いったん下がれ!」
リョコウは日が落ち、これ以上の攻撃は兵の損害が大きくなると見て、斜面を登るのを諦めた。
レイは本丸から見下ろすと、闇に紛れた後秦の大軍が、まるで一つの巨大な生物のように蠢いているような感覚を受けた。
「ケイ……もう一度あなたに会いたい……」
レイはケイが長安へ護送された後にどうなったか知らなかった。ただ援軍は来ないことは知っている。孤立した陳倉の夜空を見上げ、一筋の涙を流した。落城の日は近い。




