86話
ようやく陳倉の本丸にたどり着いた。だが、ヨウコウもヨウアンもその姿に愕然とした。これまで攻略してきたものよりも、ずっと堅牢な、城らしい城であった。城壁の中に二つ目の城が現れたかのようであった。
本丸は小高い山の上にあり、そこに至る道は蛇行して先が見えない上、登り下りもある。投石車は進まず、届かない位置だ。
「これでは、かの諸葛亮も手を焼くはずだ……」
ヨウコウは山の麓に陣を張り、いったん城を囲むことにした。
これまでの戦いで、陳倉の兵数は半分以下の二千程度になっていた。指揮台崩壊に巻き込まれた兵が多く、残った兵も負傷者が多かった。だが陳倉は食糧庫である。まだ半年は持つ見込みだった。
「皇后様……申し訳ありません。わたしが至らないばかりに……」
ランカは床に額を打ちつけて平伏した。彼女が王に密告したばかりに、ケイは捕縛され、陳倉はここまで追い詰められることになってしまったのだ。
「ランカ……顔を上げなさい。わたしも軽率なことをしました……あなたには言っておきます……ケイは……わたしと同じ代の王族で、代王の子息なのです。幼馴染なのです」
ランカはレイの言葉に驚愕し、そして涙した。国を滅ぼされ、奴隷に落ち、身を売られた。二人は波乱に満ちた人生を送り、ようやく再会したに違いない。その関係を引き裂くような真似をしてしまったことに、ランカは胸が張り裂けそうな思いであった。
「ランカ。あなたは忠実に、正しいことをしたのです。わたしはあなたが心優しい人であることも知っています。さあ、涙を拭いて、共に戦い抜きましょう」
レイはランカの手を取った。ランカは、この方だけは生かして逃したいと、心に誓った。
ヨウチョウはリョコウの知らせを受け、急いで行軍を再開した。エイゲツのせいで急所を負傷していた。完全に潰れてしまい、治癒士でも治すことが出来なかった。まだ痛みは治まらないが、長安に向けて出発した。
長安を守っていた軍が突然北に向かい、チュウの軍を割って去ったという。長安には一万の守備軍しか残っていないのだと言う。
チュウの二万は、突然のジュンカン軍の突撃に慌てたが、二つに割っただけで北へ去っていった。指揮を取るダンズイは、何が起きたのか呆気に取られた。だが、本当に北へ去ったことを確認すると、長安に向けて前進した。
「ヨウチョウに長安を取られてはならない」
リョコウは、ダンズイが前進して来たことで、迂闊に長安に手を出せなくなった。長安を攻めれば、横槍を入れてくるに違いない。後方にいるヨウチョウに、急いで進軍してくれと早馬を走らせた。
リョコウとダンズイが睨み合う様子を見ながら、フトウは憤慨していた。
「エイゲツは破れ、ジュンカンは去った。モクラン残党のやつらはいったい何をしているのだ!」
長安には一万の兵しか残っていなかった。それも、この状況に混乱し、逃げ出そうとする者も後を絶たなかった。皇后と姦通しようとした千人将も、ジュンカンに奪われたと聞き、フトウは苛立ちが収まらず、逃亡を図った兵を捕らえて処断した。
八方塞がりであった。老臣のインイが進言した。彼はフケンがクーデターを起こし王になった時から従う武官であり、長年にわたり長安の治安維持軍の将軍を務めている。
「もはや長安には、抵抗する力すら残っていません。かくなる上は脱出し、ボヨウスイに助けを求めましょう」
フトウは逃げ出し、こともあろうに裏切り者のボヨウスイを頼れと言われ腹を立て、インイを蹴り飛ばした。だが、インイはそれでも言葉を続けた。
「もはや単独で今の情勢を変えることは出来ません。生き残るためには、どこかに頼らざるを得ません。燕も東晋も仇敵ですが、ボヨウスイだけが英雄です。庇護を求めてきた者を殺すとは思えません」
フトウは玉座に座り込み、考えた。この混沌とした状況を打破するには、ボヨウスイのような人物しかいない。フトウは皇太子だった頃はおとなしいと言われていたが、フケンの死後はその性格が大きく変わり、短気になっている。次第に人心も離れてきていることを、フトウ自身も自覚していた。
「よかろう。おぬしの言う通りにしよう。だが、どうやって脱出する?」
フトウは悔しさを噛みしめながらも、もはや万策尽き、インイの言うことを聞くしかなかった。
「幸い、まだヨウチョウの軍は来ていません。リョコウとダンズイの軍の間を駆け抜けるしかありません」
要するに強行突破である。インイは、フトウが夜に少数で長安を出る。その後、長安に火をかけて注意を引くという策を示した。単純だが、リョコウもダンズイも長安が焼け落ちるのを良しとしないはずだ。必ず鎮火のために突入してくると考えたのだ。
フトウは一般兵の軍服に着替えた。夜が更け、月が高く昇る。フトウを連れた五百人ほどの隊は、静かに門を開け脱出した。気づかれた様子はなかった。
インイは、フトウが去ったのを見届けると、自ら全身に油をかけた。長安と共に焼き死ぬつもりであった。インイにとって、長安の陥落は秦の滅亡と同じである。フケンが死んだ時、殉死するつもりであったが、フトウの周りにあまりに人がいなかったため、思いとどまった。ついに死ぬ時が来たのだ。フトウを逃したものの、心の底では、フトウでは秦は再興できないと考えていた。
宮殿に火を放つ。天下統一を目前にしながら滅ぶ。この先、本当の意味で秦という国が興ることはない。
長安の夜空は赤く染まった。
一つの歴史の終わりであった。




