75話
秦が淝水で大敗北を喫した知らせは、瞬く間に全土を駆け巡った。それに真っ先に反応したのは、旧燕の北部地域であった。
かつての燕の宰相ヒョウの子であるチュウが中山で放棄した。秦は燕を干上がらせる為に、この北部地域で焦土作戦を行っている。収穫前の麦を焼き払い、穀物の倉庫を焼いた。秦への怨嗟の声は大きく、打倒秦を掲げるチュウに集まる義勇軍は、あっという間に5万を超えた。
「極悪非道の秦を討つ!」
チュウの軍は北部地域全域を手中に収め、その勢いは日に日に大きくなっていった。
チュウの動きに刺激を受け、各地で秦に対する反乱が起きた。
「何と言うことだ...朕は徳をもって統治していたはずではないのか...」
フケンは滅ぼした国の王族には寛容であったつもりだった。だが、実質はチョウアンに鳥籠のように閉じ込めるものであり、亡国の王族たちは恨みを募らせていた。
旧燕の国王ボヨウイが逃亡する事件が起きた。彼はかつての家臣であったボヨウスイに身を寄せたのである。
「秦は終わりです。独立しましょう。国王がボヨウスイ様を頼られたのは天命です」
トクはボヨウスイに独立を促した。チュウはヒョウの子供であり、燕の王族の血筋でもあるのだ。ぐずぐずしていると、旧燕の領地はチュウに糾合されてしまう。
ボヨウスイはヒョウと犬猿の仲であった。チュウに対しても、親に似て悪知恵にたけた愚か者の印象しかなかった。そのような人物に燕の再興を任せることは出来なかった。
「独立する。王を推戴し燕を再興させる」
ついにボヨウスイは旧国王を奉じて、秦から独立した。ボヨウスイは宰相兼大将軍となり、洛陽を陥落させた。
「オウモウの言うことは正しかったのか...」
フケンはオウモウが言い続けてきた、ボヨウスイを重用するなという言葉を思い出した。チュウにボヨウスイ、この時点で秦は版図の半分を失っていた。
そしてチュウが10万の軍を率いて長安に向けて進軍中という知らせが入った。
フケンの元にいる軍は、長安の留守を預かっていた皇太子フトウの軍2万と、旧モクラン軍の3万であった。
「急ぎ涼にいるヨウチョウを呼び寄せましょう」
フトウの進言に、フケンは早く呼べと命じた。
ーーーこのような事態になっているのに、何故早くヨウチョウを召喚していないのだ。
フケンは皇太子という立場なのに自ら決断できないフトウを嘆いた。そしてエイゲツに太原で、チュウを足止めせよと命じた。フケンは旧モクラン軍はエイゲツが引き継いでいると思っていた。
「ケイ。太原に行けとの指示だ。長安にヨウチョウを呼び守らせるらしい」
エイゲツはケイに伝えた。ケイはヨウチョウの名を聞きハッとした。
ーーーあの男をチョウアンに近づけてはならない。
「どうした?ケイ。何かあったか?」
エイゲツはケイの怪訝そうな顔をみて疑問に思った。
「ヨウチョウを長安に呼んではダメだ。フケンが殺される」
ケイの言葉に、みな不思議そうに顔を見合わせた。
「ケイ。何を言ってるんだ?なぜフケンが殺されるのだ?」
エイゲツもジュンカンも訳が分からない様子であった。ハクエンだけは黙って腕を組み様子を見ている。
ーーーケイはヨウチョウと面識はないはずだ。どうしてそのような事を言ったのか。
ケイは咄嗟に出た言葉にそれらしい理由を付けようと考えた。まさか史実では裏切ると言うわけにはいかなかった。
「ヨウチョウはもともと秦の者ではない。いまや秦全土に反乱が起き、しかもヨウチョウはフケンより軍を抱えている。裏切らない理由はない」
ケイはようやく理由を言った。エイゲツは複雑そうな顔をしていた。ヨウチョウは共にボヨウスイの副将であったのだ。
ーーーケイの言うことは分かる。だが、果たしてヨウチョウはそのような男なのか。
エイゲツは確信がなかった。同じ副将ではあったが、ヨウチョウのことをそれほど深く知っているわけではなかった。
ジュンカンはケイの読みに感心し、何とも気の抜けた事を言ってしまった。
「ケイ...お前はやっぱり賢いな」
ハクエンは腕を組んだまま尋ねた。
「では我らはどうするのだ?まさか王にヨウチョウは裏切るから呼ぶなと言うの?」
みんな黙ってケイの言葉を待った。ケイは視線が集まり息苦しくなる。サクがみんなにお茶を淹れてくれた。ケイは礼を言いお茶を飲み干す。どうやら緊張で相当喉が渇いていたらしい。一息つくとケイは考えていたことを言った。
「俺は代の地へ行こうと思う。だが、その前にやる事がある。モウレイを助ける」
沈黙が流れた。やはりみんなケイの言うことを理解出来ないようであった。
「それは秦を裏切るということなのか?それにモウレイというのは皇太子妃だろう。助けるとはどういうことだ?」
ジュンカンが口を開いた。ジュンカンは秦にしか仕えたことがない。裏切るという発想がなかった。それにケイと皇太子妃との間にどのような関係があるというのか。
ただでさえ、ケイの周りには魅力的な女性が多い。そこに皇太子妃の名前が出てきてジュンカンは困惑し嫉妬した。
「ケイ...みんなにはそろそろ本当の事を言った方がいいわ」
ハクエンは真剣な眼差しでケイに言った。
「わたしはモクランにあなたを託された。あなたの出自も聞いた。これはみんなも知っている必要があると思うの...」
ハクエンが言うことはもっともであった。ケイはこれから旧代を拠点にして建国を目指すのだ。その理由をみんなに言う必要がある。ケイは意を決して口を開いた。
「俺は代の国王タクバツセキの子供だ。国が滅び奴隷になったんだ。俺は代を再興させたい。そしてモウレイは、レイは俺の幼馴染で代の王族だったんだ」
ケイの告白にジュンカンもエイゲツもサクも驚愕した。ハクエンもケイが代を再興させたいという言葉に頷く。
「分かったわ。わたしはあなたに付いていく」
ハクエンはそう言うと、他のみんなも頷き付いていくと言った。ジュンカンはケイが王になったら、レイは皇后になるのかと思い胸が痛んだのであった。




