73話
ケイは弓を撃ちまくる。
もはや火の矢は撃たず、普通の矢であった。
弓を引く手が疲れで震えている。
東晋軍に囲まれ、どこに突っ込めばよいか分からない。
「ケイ……よく見よ……」
モクランは気を失っていると思っていたが、ケイの耳元で囁くように言った。
「あそこだ……あそこに活路はある……」
ケイはモクランが指し示す方向を見ると、ハクエンの小隊が退路を確保しようと立ち回っていた。時折、シャセキとも撃ち合っているようであった。
ケイはハクエンの方向へ駆けた。
シャセキがケイの接近に気づく。
モクランがいると見て、馬首を返し、ケイに向かってきた。
ケイは、もはや矢を撃つ力が残っていなかった。
シャセキが矛を振り上げる。
ケイは身を挺してモクランを守り、目を見開き、シャセキの動きに集中した。
シャセキの矛が振り下ろされる瞬間、水流剣が伸び、シャセキの首を跳ね飛ばした。
「はぁ……はぁ……」
モクランの苦しそうな息が聞こえる。
背中には、胸が大きく上下するのが伝わってくる。
モクランは完全に力尽き、虫の息であった。
ケイはハクエンが確保した退路を駆けた。
ハクエンもまた、返り血を全身に浴び、ボロボロであった。
シャアンはシャセキが討たれたことを信じられない目で見ていた。
日が暮れる。
シャアンは追撃の軍を送った。
わずか数十騎であった。
ケイは東晋の追撃を振り切り、森の中へ入った。
おそらく彭城の近くであり、ボヨウスイの軍がいるはずだ。
ケイはモクランを下ろし、木にもたれかからせた。
「モクラン様……」
今にも死にそうなモクランの姿に、ケイは涙を流した。
ハクエンは目を閉じ、顔を逸らしている。
かつてモクランには、女としての意地をぶつけたこともあったのだ。
「泣くな……」
モクランは掠れた声でケイに言った。
ケイはハッとして、モクランの手を強く握りしめる。
「ケイ……わたしはお前を愛していた。だが、もうその想いを成し遂げることは出来ない……」
「何を言っているのですか! まだ生きているではないですか!」
モクランはケイの言葉に、わずかに微笑み、言葉を続けた。
「もう、わたしはダメだ……短い間に、魔力の枯渇を繰り返してきた……」
モクランは何度も死地を潜り抜けるため、魔力が尽きるまでの戦いを繰り返してきた。
さきほども、もう尽きたと思われたところから、振り絞って水流剣を放ち、シャセキの首を刎ねたのだ。
「俺に、もっと力があれば……」
ケイは涙を流し、自分の無力さを嘆いた。
モクラン軍の戦いは、モクラン本人への負担が大きすぎた。
「お前には何度も助けられている...お前は十分に強い...自信を持て..」
ケイは黙ってモクランの言葉を聞く。ふとモクランは笑う。
「そう言えばお前には恥ずかしい姿も見せたこともあったかな...」
ケイはその姿を思い浮かべることもある。だが今は相応しくないと頭から振り払った。
モクランは真剣な表情に戻りケイに告げた。
「ケイ……今から、わたしの魔法を承継する……必ず役に立つはずだ……」
ケイは叫んだ。
「だめだ! その残っている魔力を使ったら、死んでしまう!」
だがモクランは、ケイの顔を手に取り、唇を重ねた。
ほんの僅かな魔力が、ケイに流れ込む。
―――俺は同意していないぞ!
ケイは心の中で叫んだ。
魔法の承継は、当人同士の同意で成立するものだ。
しかも大量の魔力が注がれ、受け手側の魔力の器の拡張を経る必要がある。
このような微少な魔力では、承継にはならない。
だが、ケイの意思に関係なく、モクランの魔法は確実に受け継がれた感覚が湧き上がった。
それだけモクランの意思が強いということなのか。
水流剣が、水の壁が、木の俊足魔法が、ケイの頭の中に知識として刻まれていく。
ハクエンは目を開けた。
承継によって、ケイが苦しむことはなかった。
ほのかな温もりが、二人から伝わってくる。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
モクランの唇が、ようやく離れた。
「ケイ……行くんだ。お前には、まだやることがある」
ケイは立ち上がった。
モクランは微笑み、剣をケイに渡すと、再び「行け」と言った。
ケイは涙を拭い、馬に乗って駆けた。
振り返らなかった。
振り返れなかった。
モクランに託された剣を、強く握りしめた。
「ハクエン……話がある……」
モクランがハクエンの方を向いて言った。
ハクエンは、その言葉を聞き逃すまいと耳を傾ける。
「ケイのことを頼む……あなたの他に、頼める人がいない」
ハクエンは、なぜモクランがこのようなことを言うのか分からず困惑したが、モクランの言葉を待った。
「ケイは代の王の子供だ……いずれ王となる男なのだ」
モクランの告白に、ハクエンは驚愕した。
ケイを特別視していた理由を、初めて理解した。
ケイが魔法に順応し、成長の速度が早いことも、その事実を知って納得した。
「ケイには……まだ秘密があるような気がする……あなたには、ケイを見守ってほしい……あなたは血筋もよく、聡明だ……託せるのは、あなたしかいない……」
ハクエンは力強く頷き、モクランを抱きしめた。
「頼んだよ……」
それが最後の言葉であった。
ハクエンの胸の中で、その命が燃え尽きていく。
希代の英雄の死。
そして、かつての宿敵であり、恋敵であった女の死。
ハクエンは涙した。
ハクエンはモクランの体を馬に乗せた。
東晋に奪われるわけにはいかないのだ。
月の明かりの下、
太陽と呼ばれた女の意志が、
月と呼ばれた女に受け継がれた。
ハクエンは、涙が止まらなかった。




