70話
モクランは、ジョセイがいかにして敗れたのか、分析を続けていた。
江夏を守るシュジョが事前に周到な準備をしていたことが大きい。なかでも厄介なのは、川の上に並ぶ戦艦の存在であった。
モクランは、かつて戦車の弩に苦戦した経験がある。
あの戦艦をどうにかしなければ、ジョセイと同じく、いたずらに被害を出すだけになると考えた。
だがモクランは、これまで北方での戦ばかりを経験してきた。
船を用いた戦闘経験はない。それはモクラン軍にいるエイゲツやジュンカンも同様であり、ケイもまた同じであった。
しかし「川に鉄の柵がある」と聞いたとき、ケイは気づいた。
これはかつて呉が滅亡間際に用いた策と同じだ、と。
戦艦に近づけば、鉄の柵の罠にかかる。
ならば、その柵を取り除けばよい。
ケイはそう説明し、戦艦攻撃の役目を買って出た。
モクランは一瞬ためらったが、他に方法が思いつかず、ケイに一任することにした。
「本当に大丈夫なのか? あれで」
軍議が終わった後、ジュンカンが心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫だ。それよりジュンカンのほうが大変だよ」
軍議では、ケイが成功したら即座に攻城へ移ると決まっていた。
シュジョは、ジョセイの代わりにモクランが出てきたと聞き、緊張を覚えた。
ジョセイなどより、はるかに手強い相手である。
しかもモクランは、麾下の四万のみを前に出し、各地から集まった寄せ集めの軍は後方に下げていた。
「……どう攻めてくる?」
シュジョは、モクランの意図が読めず、不安を募らせた。
モクラン軍が到着して三日後の夜、攻撃が始まった。
川の上が、煌々ときらめいている。戦艦に向けた夜襲であった。
夜であれば、鉄の柵はさらに見えづらくなる。
秦軍は罠にかかるはず――シュジョはそう考えた。
だが、川を進む秦の船を見て、彼は愕然とする。
それらは、まるで火の玉のように燃え盛っていた。
ケイは巨大な丸太から杭を削り出し、たっぷりと油を染み込ませて火をつけていた。
それを船で引き、急停止する。
火をまとった杭は勢いよく水上を滑り、鉄の柵を焼き切っていった。
そのまま戦艦に直撃し、艦は業火に包まれた。
「よし! ケイがやってくれた! 次は私たちの番だ!」
ジュンカンとエイゲツは土魔法を駆使し、城壁前の塹壕を石で埋めていく。
さらに城壁へと続く階段を築き上げた。
二人は魔力を使い果たし、汗だくになって地面に倒れ込む。
「……はぁ……はぁ……あとは任せた」
エイゲツの言葉に、モクランは全軍突撃を命じた。
自ら先頭に立ち、石の階段を一気に駆け上がる。
シュジョは対応が遅れた。
矢で応戦しろと命じたときには、すでにモクランは城壁を越えていた。
「はあぁぁぁぁぁ!」
雄叫びとともに、水流剣が振るわれる。
東晋の兵が次々と斬り伏せられた。
シュジョも剣を抜いたが、モクランに打ち倒され、秦軍に囲まれて捕縛された。
こうして、モクランの鮮やかな戦法により江夏は陥落した。
フケンは大いに喜び、護送されてきたシュジョの手腕を認め、秦に仕えよと命じた。
そのまま本陣に留めるほどの上機嫌であった。
江夏陥落を受け、フケンは進軍を開始する。
全軍九十万を称したが、実数は四十万。
それでも、かつてない規模の大軍である。
フユウの軍十万が洛陽から寿春を経て淝水へ向かい、
フケンの本隊十五万も同じく淝水へ進軍した。
ボヨウスイ軍十万は彭城から別働隊として南下し、
モクラン軍四万はフケン本隊の後を追った。
フケンの本陣に留め置かれていたシュジョは、密かに使者を放った。
東晋のシャアンへ――秦軍はまだ集まりきっていない、今こそ攻めよ、と。
かつてであれば、ジセンの隠密がこの動きを察知していたはずである。
だがオウモウの死後、ジセンは秦を去り、諜報網は機能しなくなっていた。
「淝水で迎え撃つ」
シャアンは甥のシャセキにそう告げる。
北府軍と呼ばれる精鋭七万を率い、西進した。
その途上、フユウの軍は東晋の将・リュウテイシの奇襲を受ける。
東晋は八千ほどの兵であったが、この奇襲でフユウ軍は一万五千の被害を出した。
フユウは優秀な将ではあったが、これほどの大戦を指揮した経験はなかった。
進軍は隙だらけで、奇襲をまともに受けてしまったのである。
「申し訳ありませぬ」
フユウはフケンに謝罪した。
フケンは怒りを覚えたが、淝水に布陣する東晋軍の整然とした軍容を見て、言葉を失った。
――それ見たことか。
フユウはそう思ったが、口には出さなかった。
「モクラン将軍か、ボヨウスイ将軍を待ってから攻めるべきです」
フユウの進言に、フケンは首を横に振った。
「奇襲を受け、出鼻を挫かれている。
ここで一気に攻め、挽回するのだ」
フケンは攻撃を命じた。
淝水での対峙を聞き、ケイは焦った。
史実では、淝水の戦いは秦の大敗北に終わる。
「モクラン様、急ぎ王に伝令を。
淝水以外に陣を取り、せめて我が軍が到着するまで攻撃を控えるように」
モクランは完全には理解できなかったが、
寄せ集めの本隊で戦う危険性には同意し、伝令を放った。
だが――
その伝令が届く前に、戦いは始まってしまった。
秦の命運は、果たして史実通りとなるのか。
ケイの立場では、戦の趨勢を変えることはできない。
「モクラン様、急ぎましょう。一刻も早く本隊に合流しなければ」
ケイはモクランの返答を待たず、すでに馬に飛び乗っていた。史実とは違う結末になることを祈りながら駆けた。




