67話
ヨウチョウは、ケイが危惧した通り、自身の涼の刺史任命を上奏した。刺史は地方に置かれ、政治と軍事の両方を兼ねる要職である。ボヨウスイやモクランもそれに近い立場ではあるが、そこまでの権限は持っていない。
涼は西の外れにあり、長安からの目も届きづらいため、刺史という役職が置かれていたのだ。そうして独立したのが涼であったが、フケンは前例に倣い、ヨウチョウを刺史として涼に置くことにした。
オウモウが生きていたなら、反対していたかもしれない。何せヨウチョウは、かつてボヨウスイの部下であった人物なのだ。だがフケンは、涼を短期間で滅ぼしたヨウチョウの功績に報いる形で、その上奏を認めた。
―――ついに運が向いてきたか。
ヨウチョウはほくそ笑み、涼の国都であったコゲンに居を構え、軍を養うのであった。
モクランには氐討伐の報酬が与えられたが、ヨウチョウのように刺史といった地位が与えられたわけではなく、金銀財宝の類に留まった。
ケイは氐討伐での活躍により、千人将に昇格していた。
「すぐに追いつくよ」
ケイはジュンカンに笑みを浮かべながら肩を叩いた。
「調子に乗らないでね」
ジュンカンも言い返す。今回は将軍に上がるほどの軍功を立てることはできなかったが、次は見ていろ、と付け加えた。
ケイは、次の戦があの淝水の戦いになることを思い、身震いした。史実の中でも有名であり、五胡十六国時代の大転換点となる戦いである。ケイにとっても試練となる戦であった。近い将来に起こるであろう大戦を前に、果たして生き残ることができるのか――そう考え、深くため息をついた。
モクランはハクエンに再度、将軍就任を打診したが、今回も断られた。ケイが千人将になったのなら、ますます自分の力が必要になる、というのが理由であった。あくまでハクエンは、ケイの成長を側で見届けるつもりなのである。
「ならば、ケイを守ってあげて」
ハクエンは、モクランの普段の言動から、ケイに好意を抱いているだけでなく、特別視していることを知っていた。だが、なぜそこまでケイに入れ込むのかは理解できなかった。単に好きなのであれば、側に置けばよいだけの話だ。ケイには、何か特別な事情があるのではないか――ハクエンはそう考え、静かに見守ることにした。
やがて、その年も暮れようとしていた。フケンは翌年の東晋侵攻を決意していた。
―――なぜ、オウモウは死の間際になって東晋侵攻を止めたのか。
いまだにフケンには理解できていなかった。今や秦の国力は、過去にないほど高まっている。このところトウキョウの調子が芳しくないようではあるが、その下に置いたフユウは着実に育ってきていた。
おそらくフユウは、フケンが親征するとしても、トウキョウに代わり東晋侵攻の指揮を執る立場になるであろう。その配下にはボヨウスイとモクランがつく。
ヨウチョウは南下し、東晋の西側を攻める。フケンの中では、東晋征服の絵図はすでに完成していた。
そんな考えに耽っていると、皇太子フトウが妃のモウレイを伴い、年末の挨拶にやって来た。
―――フトウは果たして王になれるのか。乱世を生きるには不向きだ。
フケンはフトウのおとなしい性格を案じていたが、同時に、フトウならばフユウやボヨウスイといった者たちをうまく使えるとも思っていた。
「陛下には、ご機嫌麗しゅう」
モウレイの挨拶を、フケンは笑顔で受けた。聡明で利発な娘であり、何より美しい。フケンは若いフトウを少し羨んだ。
フトウとモウレイの出会いは、モウ家が主催した巻狩りの場であった。
巻狩りは騎馬民族である秦にとって重要な行事であり、王が自ら主催することもあれば、今回のように名家が執り行うこともある。臣下の家が主催する巻狩りは、大変な栄誉とされた。
山一つを兵で囲み、獣を追い立て、姿を現した鹿などを弓で射る。狩だけで終わるわけもなく、その後には酒宴が催されるため、莫大な費用がかかる行事であった。レイは、その酒宴での給餌役として参加していた。
巻狩りは順調に進むかに見えた。だが、皇太子フトウが鹿を射ようと馬を駆り立てた瞬間、馬がモグラの穴に足を取られ、転倒した。
フトウは馬上から投げ出され、さらに運の悪いことに、その上に馬が倒れ込んだ。首から背骨、腰骨を折る重傷である。体はあり得ない方向に曲がっており、息があること自体が不思議なくらいであった。
「急ぎ、治癒士を!」
モウハは慌てて駆け寄り、治癒魔法による治療を命じたが、あまりにも重傷で効果はなかった。
治癒士たちは力なく首を振る。モウハは愕然とした。事前に地形を調べ、モグラの穴など塞いでおくべきであったのだ。この失態で、自身が処罰されるのではないかと恐れた。
その時、レイがフトウのもとへ駆け寄り、手を当てた。
「下賤な者が皇太子様に触れるな!」
モウハは激怒したが、レイは手を離さなかった。すると、フトウは意識を取り戻し、ゆっくりと目を開いた。治癒士たちもまた、驚愕した。
「何者だ……あの娘は?」
給餌役の奴隷が、治癒士ですら半ば諦めた重傷を癒していく。その光景に、誰もが目を疑った。
フトウは目を開けると、自分の傍らで手当をする美しい若い女性と目が合った。レイは、よかった、と微笑んだ。
フトウが恋に落ちたのは、言うまでもなかった。
療養中もレイはフトウの邸宅に泊まり込み、治癒を続けた。その献身的な姿に心を打たれたフトウは、やがてレイに求婚した。
だが、レイはモウ家が所有する奴隷であった。皇太子の妃とするには、家格が釣り合わない。そこでレイはモウハの養女とされることになった。モウハは、皇太子の外戚となる思わぬ幸運に、顔を綻ばせた。
レイの意思とは関係なく、縁談は進んでいく。
―――ケイ……どうしたらいいの?
レイはケイのことを思った。ケイとは、初めての戦場に出た時を最後に会っていない。今はモクラン将軍のもとにいると、噂で聞いている。
レイは、自身が代の公女であることをフトウとモウハに告げた。思わぬ告白に、二人は驚愕した。急遽、揚州に居るソンキンが呼ばれ、事実確認された。代の王族などたくさんいる。ソンキンはレイを知らなかったが、レイの親の名前に心当たりがあり間違いないと答えた。
レイもまた、ソンキンを憎んでいた。ケイの父を裏切り殺したのだ。しかもソンキンはケイが生きて奴隷になったと全く知らない様子であった。
だが、ケイのことは伏せていた。それを知るとソンキンが何をしでかすか分からなかった。また、長安には元燕王が庇護されているとはいえ、実態は鳥籠のような生活であった。外部との接触は断たれ、監視のもと、フケンの名誉のためだけに生かされている存在だ。
ケイが代の公子であると知られれば、フケンは庇護しようとするだろう。だがそれは、ケイの自由を奪い、鳥籠に閉じ込めることに他ならない。
レイは自身の運命を呪いながらも、ただそれを受け入れるしかなかった。
運命の歯車は、着実に回り始めている。レイはただケイの無事を祈った。




