54話
オウモウの屋敷に大柄の老婆が現れた。オウモウはため息をつく。
「ジセン……つまらないことはよせ……」
「ほほ。よくわたくしだと分かりましたな!」
「そんなデカいババアがいるか……で、例の件は分かったのか?」
オウモウはジセンに氐を探らせていた。フケンが王になってから何年も経っている。今になって、なぜフケンを正統な王ではないと言い出すのか。言うなら、フケンが王になった直後であろう。燕を滅ぼしたことで、秦と氐の国力差はさらに広がっている。
「どうやら涼が後押ししているようです」
ジセンによると、秦は燕を滅ぼし、次は涼に攻めてくると氐は考えているらしい。涼は弱小政権である氐を使い、秦を乱そうとしているようだった。涼から氐へは武器や資金も流れている。
涼は西方の国々との交易により、その国土の割に経済が発展しており、資金も潤沢であった。涼は東の絹や青磁器を西に売り、黄金を得ているのだ。
その金で武器や西方の傭兵を雇い、氐に送っていた。氐はそれにより六万の軍を擁するまでになっていた。氐を統治するフソウとフトは強気になり、フケンの正統性に異議を唱えるようになっていた。
燕を滅ぼしたとはいえ、まだ完全に統治しきったわけではない。焦土作戦を取ったことで旧燕の税収も落ち込み、それを秦の蓄えで補っている状態だ。これ以上氐を調子づかせるわけにはいかなかった。
トウキョウは東晋と睨み合う位置にいる。ボヨウスイも揚州におり、西の戦線には使えない。太原にいるモクランを当てるしかなかった。
出陣に向け、モクラン軍の訓練は続いている。モクランはソンキンの代わりにエイゲツを副将とし、ジュンカンを五千人将に推挙、ケイを五百人将とした。
ジュンカンもケイも、以前の何倍もの兵を預かることになり、昇進の喜びよりも責任の重さを強く感じていた。
ジュンカンは麾下に千の騎馬に加え、千人将の騎馬隊と歩兵を置いた。五千人将ともなれば、もはや一個軍である。ケイは自由に動いてよい独立遊軍とされた。自身の判断で動いてよいというのだ。新たな編成のもと、訓練は指揮系統を通すことを重視して行われた。
ケイは五百人将となり専用の幕舎を与えられたが、百人将の時と同じように、しばらくは寝食を部下と共にすることにした。サクの副官としての役割も重要になってきた。百人隊の頃は戦闘補佐が中心であったが、五百人隊となってからは兵糧の配分、武器や兵舎の整備、伍長たちの不平不満への対応など、忙しさは何倍にもなっていた。
ケイはそんなサクを見て、もう一人、支援的な役割を担う副官を起用することにした。
「あなたにお願いしてもいいのかな?」
ケイが二人目の副官としたのはハクエンであった。モクランはハクエンを将軍にしたがっていたが断られた。ケイのもとでなら働くというのだ。
――ハクエンが軍務についてくるのはありがたいが、ケイと近すぎる……
モクランは、ハクエンをケイに近づけすぎたことを少し後悔した。エイゲツもニヤニヤしながら、内心はモヤモヤしている。ジュンカンはもっと露骨に拗ねていた。まさかハクエンが本当にケイに心を許すとは思っていなかったのだ。
ケイは女性たちの視線を感じ、気まずい空気に息が詰まった。
ハクエンは訓練中、サクに厳しく接していた。その様子は、まるで師弟のようであった。
「判断が遅いわ。それでは敵に先回りされてしまう」
「そこを突くと囲まれるぞ! 二歩も三歩も先を読んで動け!」
「馬に無理をさせるな! いざという時に力を出せなくなる!」
サクが動くたびに、ハクエンの叱責が飛ぶ。サクは唇を噛み締め、耐えた。隊を二つに分けての模擬戦では、ハクエンはサクを徹底的に叩きのめした。
「ハクエン……やり過ぎではないのかな……」
ケイが思わず口を挟むが、ハクエンは、副官が隊長を守れなければ隊は崩れると譲らなかった。
「それより自分の心配をしなさい。ケイは魔法に頼りすぎで、まだまだ基礎ができていません」
ケイは以前より体力もつき動けるようにはなっていたが、ハクエンの比較対象はカクである。
「わたしは、カク様と同等になるまで、あなたのことを本当に認めませんわ」
その言葉は、ケイの胸に深く突き刺さった。ここで立ち止まるわけにはいかなかった。
春の嵐が吹く頃、モクラン軍はいよいよ氐へ向けて動き出す。出陣前夜、ケイはジュンカンの軍営を訪れた。連日の訓練で、夜は倒れ込むように眠っていたため、ジュンカンのもとを訪れるのは数か月ぶりだった。
「お前ら、ハクエンにしごかれまくってるんだったな」
ジュンカンは上機嫌だった。最初は不機嫌だったが、鬼教官のようだと聞き、いい気味だと思っていたのだ。
「俺はお前に股間を蹴られたことがあるのだがな……」
「ふん。そんな昔の話をするな」
ジュンカンが自分も鬼教官だったことを棚に上げて笑うのを、ケイはからかった。
「今日は久々に癒されに来たんだ。甘えさせてくれよ」
「ふふ。鬼だと思っていたくせに、何を言ってやがる」
ジュンカンはそう言ってケイの肩に腕を回した。彼女もまた、ケイに癒されたかった。久々の夜は、情熱的であった。




