48話
はじめは、歩兵の押し合いから始まった。
矢の応酬もない。カクは初手で水弾も撃ってこない。魔道具兵を温存しているのだ。
初手の派手な撃ち合いは、モクランの魔力を削るだろうが、それはカクも同じである。
そしてモクラン軍は、駒が揃いつつある。
カクは、ハクエンを離脱させた今、他に優秀な指揮官がいなかった。
押し合いは互角に見えたが、突然、燕軍の一箇所が崩れ始める。
モクランの五千人将であるゴウが、暴れ出したのだ。
「ぐおおおおおおおおーー!」
獣のような雄叫びを上げ、ゴウが突進する。
魔法により強化された肉体に、歩兵の槍は弾かれた。ゴウが巨大な鉄棒を振り回すたび、燕軍の歩兵が宙を舞う。
「厄介なやつが出てきたな……」
カクは、自分で対処するしかないと判断し、歩兵を割って本陣への進路を開けた。
ゴウが、カクめがけて突進してくる。
「止まれ! ゴウ! そんな簡単な誘いに乗るな!」
モクランは鐘を打ち、ゴウに下がるよう合図を送る。だが、ゴウはそれが耳に入っていないようで、止まらなかった。
「死ねや! この優男!」
ゴウが鉄棒を振り上げる。
だがカクは動じず、水の球体を作り、ゴウの顔へ投げつけた。
水がゴウの顔を覆う。
とたんにゴウは息ができなくなり、のたうち回った。
「ゴウ様! お下がりください!」
ゴウの配下たちは、顔を覆う水を引き剥がそうとするが、剥がすことができない。
やむを得ず数人がかりでゴウの体を引きずり、後退しようとするが、のたうち回るゴウに振り飛ばされる。
「もごっ! もごもご! く、苦しい……!」
ゴウは混乱し、敵味方の区別もつかぬまま、鉄棒を闇雲に振り回した。
秦軍も燕軍も危険を察し、ゴウから距離を取る。
やがてゴウは窒息し、強化魔法が解けて倒れた。
顔を覆っていた水は消失する。
ゴウ軍は救おうと一斉に駆け寄るが、すでに燕軍に囲まれ、退路を断たれていた。
「ジュンカン! 行け! ゴウを救え!」
モクランの指示で、ジュンカンが騎馬隊を率い、ゴウ軍救出に向かう。
「外から包囲を叩く。緩んだら、中のゴウ軍に合図を送れ!」
ジュンカンは、燕軍に向けて無数の礫を浴びせる。
ゴウ軍を囲んでいた燕軍の圧力が弱まる。
ジュンカン隊が旗を振ると、内部の兵たちはゴウを抱え上げ、圧力が弱まった箇所から突破を試みた。
それを確認し、ジュンカンは下がる。
だが、突破できたのはゴウ軍の歩兵のみだった。
ゴウを担いでいた兵たちは脱出が遅れ、燕軍の中に取り残される。
「ちっ! ダメだったか!」
ジュンカンは、ゴウ救出の失敗に舌打ちする。
取り残されたゴウは、燕軍に槍で滅多刺しにされ、絶命した。
「五千人将を討ったぞ! 歓声を上げよ!」
カクが手を上げると、ゴウの首が槍先に刺され、高々と掲げられた。
燕軍から歓声が湧き起こり、士気が一気に高まる。
開戦直後での五千人将の首は、あまりにも大きかった。
モクランはその歓声を聞くと、すぐに馬に飛び乗り、旗を掲げて秦軍に見えるよう戦場を駆けた。
その姿を見た秦軍が、歓声を上げる。
モクランは兵たちの憧れの存在だった。誰もがその名を知り、彼女のためなら命を投げ出す覚悟ができている。
モクランと兵の間には、士気とも言えぬ、不思議な熱狂が生まれていた。
「まだ戦いはこれからだ! 押せ!」
秦軍の士気は一気に高まり、燕軍を押し返す。
「やはり、あの女は素晴らしい……」
カクは嘆息した。
だがそれは、モクランに対する恋心や所有欲ではない。
ただ、英雄に対する純粋な敬意であった。
カクは、もはやモクランの姿を見て迷うことはなかった。
モクランは千人将の騎馬隊を五つ繰り出す。
ジュンカン、そしてケイには待機を命じた。
ジュンカン隊は、騎馬隊の中でもすでに頭一つ抜けた存在となっている。
そしてケイの百人隊も、切り札だった。
カクもまた、五千の騎馬隊を五つに分ける。
歩兵の押し合いの外側で、互いに歩兵を突かせまいと立ち回った。
交錯を続ける秦と燕の騎馬隊。
そのたび、馬から落ちる者が出る。
騎馬戦は、なお互角であった。
カクは、モクラン、そしてジュンカン、ケイへと視線を巡らせる。
あの石礫使いの女千人将。
そして強力な火の矢を操る百人隊長の若者。
先の戦いで、丘の柵は焼き払われ、モクラン勝利の要因となった。
あの時より、二人はさらに成長しているだろう。
警戒せねばならなかった。
おそらく二人は、もっと高い身分にあってもおかしくない。
カクは、モクラン軍の駒の多さを羨むが、それを口にしても仕方がなかった。
ハクエンがいない以上、すべてを一人で動かすしかない。
モクランも、カクを見ている。
魔道具兵を温存している。
そして、洛陽から追撃軍が迫っている。
カクとしても、この戦場を早く離脱しなければならない。
――どこで動くのか。
張り詰めた緊張の中、
モクランとカクは、静かに睨み合っていた。




