112話
ケイは膝から崩れ落ち号泣した。
塩漬けにされたエイゲツの首が送られてきた。ボヨウスイが死んだという偽の情報を流し、後燕軍を撃破した。それを逆手に取られエイゲツを失った。
「なぜだ!ボヨウスイは死んだのではなかったのか!」
レイを失った時とは違う別の悲しみが襲ってくる。エイゲツとの関係は大人の割り切りといいながらも、どこか心の逃げ場としてお互い必要な存在であった。
「後燕が攻めてくるわ。エイゲツの仇を討ちましょう」
ハクエンがケイの肩に手をかける。その手を握り立ち上がった。
「そうだな。泣いている場合ではないな...」
後燕軍は各地から軍が集結し10万を超えている。ボヨウスイは甥のボヨウリュウと将軍のランカンを従えて盛楽に向けて侵攻してきている。
対する魏は禁軍の5万と平城から撤退してきた3万の8万である。シトウは柔然の抑えとして動かせないし、ボクスウは太原で後秦と対峙中であった。
ケイは統万城にいるジュンカンに援軍を要請し、ハクエンとブクレンを従え出撃した。
「これほどの惨状とは...」
平城を落としたボヨウスイはそのまま山間を進み、盛楽を目指した。途中、魏に襲撃された戦場を通過する。そこは後燕の兵たちの屍で埋め尽くされていた。野犬やカラスが群がっている。
「許さんぞ!ケイ!」
ボヨウスイは怒り火の虎を放つ。屍が炎に包まれる。腐った肉が焼ける匂いが立ち込め、黒煙が天を覆う。ボヨウスイは慟哭した。麾下の兵たちもすすり泣く。
「ぐっ...」
ボヨウスイは突然胸を押さえた。呼吸が荒くなり、冷や汗をかく。兵たちが驚きざわつく。
「問題ない...静まるのだ」
このところ体調は悪かったが、このような急な胸の痛みは初めてであった。
「怒りで頭に血が昇ったからに違いない」
ボヨウスイは深呼吸し落ち着くと、汗を拭い馬を前進の指示を出した。
山間を抜け左手に黄河が見えてくる。
「魏軍が黄河を渡り迫っております!」
「どうやらケイも決戦するつもりだな」
エイゲツの首を送った。ケイもまた怒りに震えているに違いない。ケイは秦のモクランの配下の将校だった。淝水の戦い。あの時、ケイはモクランの水流剣を持っていた。
代王タクバツセキの子。賀蘭部と慕容部は同じ鮮卑族だ。昔からの因縁は深い。
「お前とはやはり雌雄を決する運命であったのか...」
視界の先に黄色い乾いた砂塵が立ち込めてくる。魏軍が姿を現した。
「右にハクエン、左にブクレン、サクは遊軍だ」
横陣に近い陣形を取る。ハクエンとブクレンの後方にケイは本陣を構える。
ボヨウスイも魏軍と同じように陣取る。左にボヨウリュウ、右にランカンを置く。ボヨウスイは後方に構えた。
両軍、陣を引き終え睨み合った。黄色い砂塵は収まり視界が開ける。
ケイは鼓動が高鳴る。深く呼吸をして落ち着かせる。
鄴で見た燕の英雄。ついにここまで来た。エイゲツを討たれた怒りはある。だが、いざボヨウスイを目の前にすると怒りよりも緊張の方が先にきた。
「ケイ。大丈夫。あなたなら勝てるわ」
サクが馬を並べ、ケイだけに聞こえるように呟いた。ケイは頷く。史実にはない展開である。ボヨウスイはこの時点で病で死んでいるのだ。
決戦。
それはこの世界における運命なのであろう。
「聞け!魏の勇士たちよ!」
ケイが檄を飛ばす。その声は不思議と戦場に通った。
「我は八王の乱より始まった戦乱を終わらせ新しい時代をつくる!いつまでも古い体制にしがみつく輩はここに滅ぼす!」
魏軍から歓声が上がる。それは大地を揺るがし、ボヨウスイの体も震わした。
「さえずるな若造!貴様らとの因縁はここに断つ!」
ボヨウスイが応じた。
後燕軍が割れんばかりの歓声を上げる。空気が震えケイはそれを全身で受ける。
同じ鮮卑族。その中の賀蘭部と慕容部。ボヨウスイはその因縁に囚われている事に、ケイは残念な気持ちになった。もはや、時代はそんなことを言っている段階は過ぎているのだ。
「やはりボヨウスイは討たねばならない」
ケイが手を振り下ろす。
左のブクレンが突撃する。大きく外に膨らみ、ランカンの横に回り込むように突っ込む。
ランカンは右に移動し横撃されないように動く。ブクレンとランカンのぶつかり合いはすぐに乱戦になった。3万と3万の殴り合いになる。
ケイが再び手を振り下ろす。
ハクエンが突撃を開始する。ブクレンと同じように外に膨れる。ランカンは左に移動し、ハクエンの突撃を受けた。こちらも3万と3万の乱戦となる。
両軍の横陣が開いた。中央にはケイの2万。対するボヨウスイは4万。
「誘っているのか。半分の兵でこのボヨウスイを受けるというのか!」
ボヨウスイは4万を率いて突撃を始めた。先頭を駆ける。馬蹄が鳴り響き、再び黄色い砂塵が舞う。
ケイは歯を食いしばる。まだ距離はあるが、ボヨウスイの圧力をひしひしと感じる。こうなるように仕掛けたのだ。
「モクラン。力を貸してくれ」
ケイはモクランから受け継いだ剣を握りしめた。




