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学生に不人気な時代を研究していた大学教授、異世界で奴隷から皇帝へ  作者: 越後⭐︎ドラゴン
北魏編

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109話

 黄河を挟んでの対峙が続く。両軍とも川沿いに堅陣を張っている。船なしでは渡ることはできない。船で攻め寄せても、陸上からの的にされるだけであった。


 水上を互いの偵察船が行き交い、小競り合いはある。だが、大規模な水上戦には発展しなかった。


「兵站に問題はないか?」


「まったく問題ありません」


 軍議は簡単な確認だけで終わることが多かった。それだけ双方に動きがない。


 ケイは史実でのこの戦の結果を知っている。だが、この世界でも同様の展開となるのかは分からない。対岸の後燕軍を探らせるだけでなく、中山の様子も間諜を放って探らせていた。


 ――史実ではボヨウスイはこの時点で七十歳を超えていて、病を得ていたはずだ。この世界ではもっと若いのだが、やはり病なのだろうか。


 ケイは腕組みをして思案した。ボヨウスイ自ら出てきたなら、この対峙の状況にはならないはずであった。


 後秦や柔然の動きにも目を配らなければならない。東晋が洛陽や襄陽に小規模ながら兵を出しており、後秦と小競り合いをしている。柔然は大人しくしている。


 対峙は何か月も続いている。いつの間にか夏が終わり、秋も深まっていた。これから冬に向け、北の地にいる柔然が動くことは考えられなかった。


 麦の収穫は問題なく行われ、兵站に何ら心配はなかった。それは後燕も同様である。


「ケイ、暇か?」


 エイゲツが来た。手に酒を持っている。


「何の用だ? 持ち場を離れて何をしている」


「つれないことを言うな。長い滞陣には息抜きも必要だろう? 兵の士気が下がるぞ」


 エイゲツの言う通りであった。すでに滞陣は五か月目になっている。兵の中には滞陣に倦む者がいてもおかしくはない。


「そうだな。たまには息抜きも必要だな」


 ケイは近習を呼び、兵たちに酒を飲んでもよいと伝えさせた。


 やがて、あたりは兵たちの談笑や陽気な歌声に満ちた。


 ハクエンは五百を連れ見回りをしている。サクも見張り台にいて、対岸の観察を続けている。禁軍は常に規律が守られ、こういう時でも他の軍のように騒がない。


「しばらくご無沙汰なんだろ?」


 ケイはエイゲツが入ってきた瞬間に、何をしに来たのか分かっていた。兵たちの士気云々は口実に過ぎない。


 ヨウカとの初夜以降、女性と夜を共に過ごしたことがなかった。ヨウカは中山に帰ってしまっている。今のケイの立場なら、誰を抱いても何も言われないであろう。


「前に言っただろう。お互い求め合った時にやろうと」


 エイゲツは笑みを浮かべる。ケイは、まだ将校であった頃、エイゲツに拉致され森の中で初めて交わったことを思い出す。あれは屈辱であったはずなのだが、あの時のエイゲツの驚いた表情は忘れていなかった。


 改めて見るエイゲツは、以前にも増して妖しい雰囲気を醸し出している。エイゲツは仲間になって以降、様々な屈辱を受けている。だが、それを乗り越え、エイゲツの中で経験として吸収したようであった。


「俺はそんな気分ではないのだがな……」


「俺? ふふふ。口ではそう言ってもね」


 ケイはハッとした。王になってからは自分のことを「余」と言っている。それがエイゲツと二人きりの場で「俺」に戻ってしまっていた。


 エイゲツはケイのそばに座り、肩に頭を預けた。


「戦場だぞ……」


 ケイは軽く嗜めたが、エイゲツはそのままでいた。遠くから兵たちの声が聞こえる。軍営の中は別の空間のように静かで、ただ二人の呼吸だけがはっきりと聞こえた。


「こんな気分は久しぶりよ」


 エイゲツは、誰かのそばにいるだけで心が落ち着くのは久しぶりであった。乙女のように心が高鳴るのを感じる。


「なんだ? 誰も優しくするとは言ってないぞ」


 ケイは意地悪そうに笑う。エイゲツも笑い返した。その笑みはどこか子供のようだった。


 やがて灯りが落ちた。夜は静かで長かった。


 朝、エイゲツは満たされた顔をしていた。これまで受けてきた屈辱の数々、その忌まわしき記憶を忘れさせるかのように癒やされた気がした。涙が一筋流れた。


 ケイは指でエイゲツの涙を拭った。まさか泣くとは思わず困惑した。


「泣いたことは忘れて」


 エイゲツはそう言い捨て、軍営を出た。ケイとエイゲツの関係は深くならない。ケイは言われた通り忘れようとした。


 エイゲツが去ってしばらくして、ハクエンが入ってきた。ケイの乱れた姿、軍営の中の空気を察する。


「お楽しみだったようね」


 ハクエンはケイに冷たく言う。ケイがこういうことをするのは久しぶりであった。


「どうやら先を越されたようね……」


「え?」


「何でもないわ」


 ハクエンの顔は寂しげである。ケイはハクエンの中にある心の殻に気づいている。戦場でのこととはいえ、ケイはハクエンが愛していた男を殺した人物なのである。その殻がわずかに開いたような感覚を受けた。


 ケイはハクエンの顔に手を伸ばそうとしたが、それより先にハクエンが口を開いた。


「中山から間諜が戻ってきたわ。ボヨウスイは病の床にあるようよ」


 ケイは手を止めた。ハクエンは真顔に戻っている。この戦いは史実通り動いている。ケイはそう確信し、次の作戦を伝えるため諸将を集めるのであった。


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