107話
ヨウチョウは日に日に弱っていった。みるみる痩せ細っていく。
カクレンは事あるごとに呼び出され、夜の伽をさせられていた。はじめは統万城奪還のために支援をもらうために渋々応じていたが、次第にヨウチョウの変化に気づき、今は毎晩のように夜を共に過ごしている。
「これは……もしや……」
ヨウチョウの目は虚ろになり、カクレンが命じると何でもするようになった。肩を揉めと言えば揉むし、足を舐めろと言えば舐める。
ヨウチョウはカクレンの下僕のようになっていった。
失われたと思っていた洗脳の魔法は、形を変えてカクレンの中に残っていたのだ。
「ヨウチョウよ。わたしを正室にせよ」
ヨウチョウはカクレンを正室とした。そして、後秦を建てるための名分とした飾り物の王であるソヒを脅し、禅譲させた。
ヨウチョウは王となり、カクレンは皇后となった。ソヒはいつの間にか死んでおり、誰もその名を口にすることなどなかった。
ヨウコウは自身の生母が追い落とされ、カクレンが皇后になったことに納得がいっていなかったが、ヨウコウもまたカクレンの毒牙にかかり、洗脳された。
やがてヨウチョウが死ぬ。衰弱死であった。
ヨウコウが王を継ぐ。カクレンはその義母であり、太后として権力を持った。天水と安定、武威までを自身の直轄として兵を養うのであった。
カクレンはヨウコウに魏を討つために力を付けよと命じた。確実に魏を倒すには、少なくとも黄河流域は完全に手にしておきたかった。
「余はかつてのフケンが手にした土地を全て手に入れるぞ」
ヨウコウの目は後燕に移っていった。だが、後燕と魏は結んでいる。二国同時に相手として勝てる見込みはなかった。
「なんぞ良い策はないか?」
ヨウコウは廷臣に問いかける。キョウキが進み出る。彼はもともと涼の官吏であったが、リョコウの死後に後秦に真っ先に降ってきた人物であった。卑屈で胡麻すりの得意な人物であったが、頭は切れた。
「魏と後燕を離間策を仕掛けましょう」
「どうやってやるのだ」
キョウキはすぐに答えず、ニヤッと笑った。太った顔が笑うことで出来る脂肪の皺が、より一層卑屈に感じさせる。
「魏は柔然に対抗するために後燕に後ろ盾を頼んだのです。柔然を叩いた今、後燕との同盟は不要になったと噂を流すのです」
ヨウコウは頷いた。魏と後燕が共倒れになってくれるなら、後秦にとって都合の良いことはない。
「お主に任せる。やってみよ」
キョウキが再び笑う。ヨウコウはその不細工な顔に気分が悪くなり、顔を背けた。
「サイコウよ。どう思うか?」
ボヨウスイは腕を組みながら、宰相のサイコウに問いかけた。このところ後燕では、魏が後燕との同盟を解消したがっているという噂が立っている。
ケイは柔然のシャロン相手に鮮やかに勝利した。もはや後燕の支援は不要と考えてもおかしくはないのだ。
サイコウはケイについて、床山下の戦いだけでなく、カクレンとの攻防や、もっと遡って陳倉での戦いについても調べあげてきた。
秦では将軍だった実績はない。千人将どまりではあったが、その軍功は将軍になっていてもおかしくないものであった。
ケイの下にいる将軍たちも実力者が揃っている。かつてボヨウスイ軍の副将であったエイゲツ、秦の五千人将ジュンカン、賀蘭部の勇将シトウやブクレン、そしてあの燕の将軍カクの側にいたハクエンまでもが、ケイに従っていた。
サイコウはケイの戴冠の儀式に参列した時のことを思い出す。魏という国名を選んだ意味。ただ戦に強いだけでない。危険な存在であるという考えは、あの時より強くなっている。
「父サイゲンハクに探させましょう」
監視として派遣したサイゲンハクはケイに取り込まれてしまったのか、ほとんどサイコウに連絡して来なかった。
一緒に派遣した者を通じてサイゲンハクの様子が伝えられる。父は魏の政治に夢中であり、楽しそうにしていると言う。
――あの父がそこまでのめり込むとは……
政治にも歴史にも精通している。だが、どちらかというと政治家というより学者であった。後燕では頭打ちであったが、魏では活躍の場を与えられた。
魏で行われている政治は、とても父からの発想とは思えないものもある。サイコウは、ケイは政治家としても非凡な才能があると感じた。
「わかった。しばらくは様子を見よ」
サイコウはボヨウスイに拝礼して玉座の間を出た。ボヨウスイは燕の英雄である。王となり善政を敷いている。だが、政治家としての才覚はそれほどなく、サイコウたち漢人に頼ることが多い。またこのところ体調も良くないようであった。かつての英雄の姿に翳りが出ている。
「我が王を超える英雄なのか……」
サイコウはケイを恐ろしく思った。
ヨウカとケイの仲は悪くはない。だが、ケイはヨウカとの初夜以降、一度も夜を共にすることがなかった。
ヨウカは焦っていた。ケイとの子が出来なければ、魏と後燕との関係は崩れてしまう。父ボヨウスイの面目も潰れてしまう。政略結婚とはいえ、ヨウカは父のために役目を果たしたかった。
宮殿の庭園。夕日が差し込む。
「なぜ王はわたしを遠ざけるのですか?」
ヨウカはケイに思いの丈をぶつけた。ケイはあまりにど直球な言い方に困惑した。
「と、遠ざけてなどいないよ」
「ならば、なぜ夜に訪れてこないのです!?」
ヨウカは語気を強めた。ケイは悩んでいた。王になった以上は後継者を決めなくてはいけない。いつまでも子をなそうとしないのは不自然であった。
「まだレイという方を気にしているのですか?」
ヨウカの言葉にケイはカッとなり、つい手を上げてしまった。パァンという乾いた音が響く。
ヨウカは頬を抑えながら立ち去る。目には薄っすらと涙を浮かべている。ケイはハッとしたが、後を追わなかった。レイのことを忘れられるはずがない。その心にずかずかと踏み込んできたヨウカが悪いのだと思った。
その様子を見ていた者がいた。サイゲンハクと共に来た官吏である。だが彼は後燕の間諜であった。
日没と共にその影はすっと消えていった。




