105話
少し時間は巻き戻る。ケイが統万城を落とした頃、ヨウセキトクは安定に向かって駆けていた。
涼が裏切り、天水が落ちた。ヨウチョウは天水と安定の途中にある街亭に陣を張った。
涼五万に対して、後秦は天水から引き上げてきた一万と安定の守備軍一万、合わせて二万であった。
「ここを守れば、涼軍は通ることは出来ない」
かつて蜀のショカツリョウが街亭をバショクに守らせ失敗したことがある。山に登ったため、敵に囲まれ水を断たれたからであった。
ヨウチョウは山の麓に陣取る。涼はここを抜かない限り、安定へ行くことが出来なかった。
「数ではこちらの方が多い。だが、あれは……」
ランカは後秦の陣を見て攻撃を躊躇した。陣の前は狭く、兵力差を活かせない。
それにランカは、レイを失ったことで気持ちが沈んでいた。ヨウチョウは許せない。だが、それ以上に悲しみの方が大きかった。
「無理攻めすると被害が出る。天水へ引き上げる」
涼と後秦は何日か睨み合ったが、ランカは街亭を諦め退却を開始した。
ヨウセキトクの軍がヨウチョウと合流した。
「よいところへ来た。涼を追撃するぞ」
ヨウセキトクの軍は昼夜を問わず飛ばして来たので疲労困憊であったが、涼軍が退却するのを見逃す手は無かった。
「裏切り者を殲滅せよ!」
ヨウコウ、ヨウセキトクが追撃した。六万の軍が涼軍に襲いかかる。
「いつの間にヨウセキトクが戻ってきているだと!? しまった!」
ランカは追撃はないと踏んでいたため、完全に虚を突かれてしまった。後秦の追撃に後方が飲み込まれていく。
「くっ……立て直す」
ランカは反転し円陣を組んでいく。だが、ヨウセキトクの攻撃は鋭く、円陣は抉られていた。
ランカはヨウセキトクを止めようと前に出た。槍を投げる。
槍はギュルギュルと唸りをあげ、ヨウセキトクへ真っ直ぐ飛んでいく。
「はああああー!」
ヨウセキトクは右手に渾身の魔力を注いだ。右手だけが異様に太くなる。矛を払い、ランカの投槍を弾き飛ばした。
「馬鹿な! わたしの槍を弾くなんて!」
「思ったより軽いな! その首をもらうぞ!」
ヨウセキトクが突進してくる。
咆哮。
その声は波動となりランカの体を揺らした。
「これは!?」
ヨウセキトクは強化する場所を絞っている。右の腕の次は喉だ。再び大音声が空気を震わせ、ランカは思わず耳を塞いでしまった。
「隙だらけだ! 愚か者め!」
ヨウセキトクは矛で力任せに殴った。ランカは受ける間もなく馬上から吹き飛ばされた。
「うう……無念だ……」
ランカは後秦軍に囲まれ捕らえられた。大将を失った涼軍は一気に崩壊した。もはや天水に戻るどころか、算を乱して逃げ惑った。
ヨウチョウはそのまま軍を進め、天水を取り戻した。
「まったく、えらい目にあったな」
レイは戦に巻き込まれて死に、匈奴も破れ、涼とも敵対関係となり、得るものは何も無かった。
「また会ったな、ランカ。この恨みを受けてもらうぞ」
捕まりヨウチョウの前に引き出されるのは二回目である。あの時はリョコウがランカを連れ去っていったが、今回は観念するしかなかった。
「くっ……一思いに殺せ!」
「簡単に殺すか。覚悟しろよ」
ヨウチョウの声は暗く冷たかった。それから地獄が始まった。ヨウチョウは玉を失っても欲は衰えるどころかますます歪み、ランカは生まれてきたことを後悔するほどの屈辱を味わうのであった。
やがてランカの目は虚ろとなり、何をしても反応を示さなくなった。ヨウチョウは剣を抜く。ランカは声を上げない。剣が振り下ろされるのを虚ろな目で眺めるだけであった。
リョコウは後秦から届けられたランカの首を見て号泣し、怒りで震えた。
「あの玉無しめ! ぶっ殺してやる!」
だが涼には後秦を攻撃する力は残っていなかった。ヨウアンに出兵を止められ、リョコウは力なく玉座に座り込んだ。
「もうどうでもよい……」
リョコウが塞ぎ込むのを、ヨウアンは白けた顔で見下ろしていた。
涼の敗退の影響は大きく、離反していく者が多かった。この西域の狭い地域に国とも言えぬものが乱立していく。リョコウは病がちになり、やがて衰弱死した。ばらばらとなった涼は後秦の攻撃を受け併合されていった。ここに涼はあっけなく滅んだのである。
「もうこの世にやり残したことはない」
ヨウアンは敦煌の寺院に入った。剃髪し仏教の僧となった。この頃、敦煌には高僧のクマラジュウが現れ、仏教が急速に広まっていた。ヨウアンは即身仏となるため寺院に籠るのであった。
涼を飲み込んだ後秦はいよいよ長安奪取へ向けて動き出す。軍備を整えている時、ヨウチョウのもとに行方をくらませていたカクレンが現れた。
「今頃、何をしに来たのだ。もうお前は支援しないぞ」
カクレンはヨウチョウの前で平伏した。その体は一段と小さくなり筋肉もそげ落ちていた。かつての姿はなく、長身の美しい女にしか見えなかった。
「ヨウチョウ様にお仕えしたい。わたしを好きに使ってください」
「ヨウチョウ様? 随分としおらしくなったな」
カクレンはケイに敗北した後、放浪していた。行く先々で支援を求めたがことごとく断られ、憔悴し痩せ細っていった。そしてやむなく、後秦に頭を下げに来たのだ。
――再びこんなやつに頭を下げることになるとは……
だがケイを倒すには後秦の支援を得るしかなかった。
「まあよいだろう。だが草原には出兵しないぞ。まずは長安だ。そこで武功を立てるなら考えてやらんこともない」
「……分かりました。必ず武功を立ててみせます」
「そうか。今のお前は一兵卒からだ。だが俺の言うことを聞くなら将軍に取り立ててやる」
カクレンはその意味を悟り、屈辱に体を震わせた。ヨウチョウはカクレンの腰を掴む。カクレンは涙を流した。悔しかった。声は上げなかった。声を上げると負けだと思った。いつか雪辱を果たすと心に誓うのであった。




