103話
ケイは統万城を落とし、草原の地のほとんどを手中に収めた。
賀蘭部と匈奴を併合すれば、以前の代の領土よりも広い。王を名乗っても差し支えない。
だが、王になっても隣にいるべきレイがいない。ケイの気持ちは晴れなかった。
「あなたは王になるべきだわ。妃も迎えるべきだわ。母が良い人を紹介するわ」
母シュクランは本当に人の気持ちが分からない。レイが死んだと聞いても、少し驚いた顔をしただけであった。現実主義者なのか神経が鈍いのか分からないが、強く結婚を勧めてきた。
だがケイは、そもそもカクレンに婿入りさせようとした母を信用していなかった。
「ケイ様。もはや草原に敵はいません。王になるべきです」
母だけでなく、シトウも、ソンスウも、そしてハクエンまでもが王になるべきだと言ってきた。
ケイは居室に籠もり、横になった。
「やはり王になるべきなのか」
ケイは断り続けた。王になれば、必ず妻帯の話になるはずだ。王にはなりたい。だが気が進まなかった。
転生前は結婚し、子供もいた。だが家庭を顧みなかったばかりに、いつのまにか妻は子供を連れて出ていってしまった。レイならば同じ失敗はしないと思っていた。他の女性では自信がなかった。
「ケイ……入っていいか?」
ジュンカンであった。ケイを見るなり言う。
「わたしのことなら心配するな」
ジュンカンは的外れな言い方だと思った。だが、ケイが妻帯のことで思い悩んでいると思い、来たのだ。
「ジュンカンは優しいな。鬼教官だったのに」
ジュンカンは恥ずかしくなり、顔を赤らめた。本当はケイの妻になりたいと思っていた。家柄も申し分ない。
「皇后は権力者だ……敵も多くなる……」
ケイはジュンカンを政争に巻き込みたくなかった。ジュンカンは漢人の家の出だ。レイとは違う。将来、必ず政争の火種になると感じていた。
子貴母死という制度がある。皇太子の母の一族は外戚となり権力を持つ。それが政争の火種となり、内乱となることは歴史が証明している。それを教訓に母を殺す制度が生まれる。
史実ではケイはそれが原因で死んでもいる。その制度は廃するつもりだ。だが外戚が権力を持つ構図そのものは避けがたい。ケイはそのジレンマにますます思い悩んだ。
ジュンカンは俯いた。ケイの存在がどんどん遠くなっていく。出会った頃のように、ただの将校と兵の間柄のままでいられたらよかったのにと思った。
ケイはジュンカンを抱きたかった。レイを失った悲しみを慰め、誰かに慰めてもらいたかった。
だが思いとどまった。ここで抱けば、変な噂が立ちかねない。
ジュンカンは察して、寂しげに言った。
「もう戻れないのね……」
ジュンカンが部屋から出ていく。ケイはその背中を見ていられなかった。
ジュンカンは統万城の外にある軍営に戻り、剣を研いだ。涙が流れる。妻になれないのなら、将軍としてケイを支えるだけであった。
ケイは妻帯はひとまず置き、王になることを決めた。だが、ここで異を唱える者が現れた。
シャロンであった。
賀蘭部のさらに北には、柔然という国が勢力を伸ばしていた。シャロンはその王である可汗を名乗り出し、ケイに従属せよと言ってきた。
草原で王になる以上、柔然との衝突は避けて通れない。
柔然を抑えるには、燕の威を借りるしかない。
ケイはそう判断した。
「ソンスウ。後燕に使者として行ってくれないか」
ケイはボヨウスイに贈り物をし、後盾になってもらうつもりであった。後燕にとっても悪い話ではない。断られることはないと踏んでいた。
ソンスウを選んだのには理由があった。兄ソンキンの存在である。
ケイの父である代王タクバツセキを裏切り殺害した人物。秦に渡った後はモクランの副将となった。その後、ボヨウスイが秦に亡命してきた際、その監視役として派遣された。
ボヨウスイが独立した後も、ソンキンはそのまま後燕に仕えていた。
燕の将軍カクの最期を思い出す。あのとき、ソンキンは卑劣にもハクエンを人質に取ったのだ。
ケイがもっとも許せない人物である。だが、今は役に立ってもらわねばならない。
「久しいな、兄者」
ソンキンは久しぶりに会う弟を見て顔を背けた。代が滅んだ後も、弟は賀蘭部に仕えている。
「今さら何の用だ。俺はもう代や賀蘭部とは関わりはない」
ソンキンは顔を背けたまま冷たく言った。
「関わりがないわけではない」
「どういうことだ」
「賀蘭部には新しい王が立とうとしている。かつての代王のご子息だ」
「なんだと! 子が生きていたというのか!? 王の一族はすべて殺されたのではなかったのか!?」
ソンキンは驚き、目を見開いた。
「兄者よ、よく聞け。ケイ様は代が滅んだ後、秦の奴隷となり、戦でいくつもの武功を立てられたのだ」
「ケイだと!? まさか、あの……」
その名に覚えがあった。モクランが可愛がっていた将校だ。思い出して、はっとした。あの男は会うたびに自分を睨んでいた。
「兄者よ。罪滅ぼしだと思って働いてもらいたい。ボヨウスイに、賀蘭部の後盾になってもらいたい」
ソンキンは思案した。賀蘭部は匈奴を併合し勢力を伸ばしている。後燕にとって脅威になりつつある。だが、ここで手を結ぶのは悪い話ではない。
「お安い御用だ。王に取りなしてやろう」
ボヨウスイは近頃、後継者問題と胡人の不満に頭を悩ませていた。そこへ賀蘭部から後盾になってほしいと申し出があったのだ。
久しぶりに愉快な気分になり、ソンスウの申し出を快諾した。
「そうか……お主はソンキンの弟か……」
ボヨウスイは、裏切った兄と、いまだ忠義を尽くす弟を見比べた。ソンスウは兄よりもはるかに有能で誠実そうに見えた。
「どうだ? 朕のもとに来ぬか?」
「ご冗談を。わたしは賀蘭部に生涯仕えると決めております」
「そうか。くだらぬ質問をしてすまなかった」
そのやり取りを聞き、ソンキンは顔を赤らめた。周囲の視線が痛かった。
「ところで、朕には年頃の姫がおる。ケイ殿の嫁にもらってくれぬか?」
ソンスウは、ケイの傷がまだ癒えていないことを知っている。心が痛んだ。
だが、この申し出を断ることはできなかった。
ソンスウは帰途についた。
賀蘭部にとって、後燕の後盾を得たことは大きな前進である。
だが、ソンスウの足取りは重かった。




