第1話 空からの贈り物
《シーウィンド号》は、順調に南の風を帆に孕んでいた。
舵を握るサリヴァンが、細めた目で空を見上げる。
「いい風だ」
「ピィ!」
マストの上に止まっていたカモメのシロが、同意するように鳴いた。
甲板で、アイリスがじっと空の一点を凝視している。
「……接近」
「ん? どうしたアイリス」
悠は、彼女の視線を追って空を見上げた。
最初は海鳥かと思った。
だが、その影は急速に大きくなり、さらに奇妙な悲鳴を伴っていた。
「う、うわあああああああッ!?」
男の野太い叫び声。
全員の動きが止まる。
「え、人!?」
ノアが口をあんぐりと開けた。
「空から……人が降ってくるだと!?」
サリヴァンが舵を取り落としかける。
「ピィーーッ!?」
シロが羽を逆立てた。
「落下予測地点、甲板中央」
アイリスが淡々と告げる。
驚いている暇はない。
このままでは《シーウィンド号》の甲板に激突して、船もろともミンチになってしまう。
「間に合え――《潮風の手》!」
空へ向けて右手を突き出した。
突風のような乱暴なものではなく、柔らかく、包み込むような潮流のような風のクッションを。
ヒュオオオッ!
目に見えない風の巨大な掌が、落下してくる男の身体を優しく受け止めた。
衝撃を殺し、ふわりと羽毛のように減速させる。
「へ……?」
男の間の抜けた声が聞こえた次の瞬間、彼はドサリと甲板の上に尻餅をついた。
波の音だけがチャプチャプと響く。
「……た、助かった……のか?」
落ちてきたのは、くたびれた灰色のスーツを着た中年男性だった。
年齢は四十ほどだろうか。
黒髪に眼鏡、少し突き出たお腹。
どう見てもこの世界の住人ではない服装だ。
「おいおい、大丈夫かあんた」
「ピィ?」
サリヴァンとシロが恐る恐る近づく。
男は眼鏡の位置を直しながら、キョロキョロと周囲を見回した。
「こ、ここは……? 私は確か、営業周りの途中で……」
「あんた、空から降ってきたんだぞ。怪我はないか?」
男はハッとして自分の体を確認し、それから俺たちの顔を順に見渡した。
そして、アイリスの機械的な関節や、リィアを見て、絶句した。
「い、異世界……?」
どうやら状況を飲み込むのが早いタイプらしい。
あるいは、日本のサブカルチャーに詳しいのか。
男は名を、山田 修と言った。
ひとまず落ち着かせるためにノアが焼いたパンと水を差し出すと、山田さんは涙目になりながら語り始めた。
「言葉が、通じるのはありがたいですが……」
「それがですね……女神様に召喚されたとか、トラックに轢かれたとか、そんなドラマチックなものじゃないんです」
山田さんはガックリと項垂れた。
「歩きスマホをしていて、蓋の外れたマンホールに落ちまして」
「まんほーる?」
リィアが首を傾げる。
「ええ。真っ暗な穴に落ちたと思ったら、次の瞬間には青空の下で……下が海で、そこにこの船があったんです」
全員が顔を見合わせた。
女神の導きでも何でもなく、ただの不注意によるマンホール落下事故。
それが次元を超えてしまったというのか。
「なんて不運な……いや、この船の上に落ちたのは強運なのかな?」
「まあ、生きててよかったじゃないですか!」
ノアが明るく背中を叩くと、山田さんは「痛っ」と言いつつも、安堵の笑みを浮かべた。
「それで、どうする? 元の場所に返すアテなんてないぞ」
サリヴァンの言葉に、悠は腕を組んで考えた。
マンホールが空に繋がっているなんて現象、聞いたことがない。
帰る方法を探すにしても、まずは陸地に行かなければ始まらないだろう。
「山田さん、僕たちは南の《珊瑚環礁群》へ向かっている途中なんだ。とりあえず、そこまで一緒に行くかい?」
「よ、よろしいんですか? 右も左もわからない世界で、放り出されたらどうしようかと……」
「乗りかかった船だ。それに、受け止めたのは僕だしね」
悠が手を差し出すと、山田さんは恐縮しながらその手を握り返してきた。
サラリーマン特有の悲哀と、奇妙な誠実さが滲み出ている。
「よろしくお願いします。あ、何か営業のスキルとか役に立てばいいんですが……」
「ふふ、賑やかになりそうね」
リィアが微笑み、風が帆を強く叩いた。
異世界からの迷子、中年サラリーマンの山田さんを乗せて、《シーウィンド号》は再び南へと進み始める。
目指すは陽光と歌の海、《珊瑚環礁群》。
山田さんの運命やいかに――まあ、なんとかなるだろう。
「ピィ!」
シロが高らかに鳴き、青い空へ飛んでいった。




