大椿妃芽花
人間は、誰しもが泣きながら生まれてくる。
私もそうだった。
人間は、生まれたばかりの頃は何かと泣いてばかりだが、やがて色々な感情が備わってくる。
嬉しかったり、悲しかったり、苛立たしかったり、楽しかったり。
しかし、私は違った。
私には、感情がなかった。
家に幼少期の写真を収めたアルバムがあるが、笑っている写真など一枚もない。
遊園地にいる時も動物園にいる時も、全て真顔なのである。
大人に言われたことは大体できた。
しかし、何か言われない限りはその場でじっとしているだけという、まるで機械のような子どもだった。
六歳になるまで、私はずっとそんな感じだったから、親は、私には心がないのではないと本気で心配したらしい。
何度も病院に連れて行かれ、その度に「原因不明」と突き返された。
「妃芽花はなぜ笑わないの?」
母親から何度もそう訊かれた。
時に母は怒りながら、時に母は泣きながら。
しかし、自分でも理由は分からなかった。
笑わない理由も、笑う理由も私にはなかったのだ。
もっとも、私には心がなかったのではない。
心が凍っていたのだ。
私の凍った心を溶かしてくれた人物――それが果乃だった。
果乃とは、同じ離島出身の幼馴染だが、小学校に進学するまでは関わりがなかった。
果乃とだけ、ではない。
私は、就学するまで、島の子どもとの交流が一切なかった。
表情がなく、「不気味」だとクラスメイトから避けられている私をいつも遊びに誘ってくれるのは果乃だけだった。
果乃は、常にムスっとしている私を「可愛い」と誉めそやした。
他方、果乃は、よく笑う子だった。
急に雨が降り出したときも、大きな蜘蛛の巣を見つけたときも、道でつまづきそうになったときも、どんなことがあっても果乃は笑うのである。
まさしく箸が転げても笑う果乃に、私は質問した。
「果乃はどうしていつも笑ってるの?」
「え!? それは、もちろん、楽しいからだけど……」
「本当に楽しいの?」
道でつまづくことが楽しいことだとは、私には到底思えなかった。
「……まあ、そう言われてみると微妙なときはあるけど……」
「じゃあ、どうして笑ってるの?」
果乃は少し困った顔をする。
「……そもそも笑うことに理由って必要なのかな?」
「必要……じゃないの?」
「分からないけどさ。でも、何も面白くなくても笑ってるだけで楽しい気分にならない?」
「ならない」と、正直に答える。
「うーん、妃芽花の場合はそうなのかもしれないけど……」
「なんかごめんね」
「ううん。そういうのは人それぞれだと思うから大丈夫。というか、妃芽花は私と一緒にいて楽しい?」
答えにくい質問である。
正直に答えるならば、「つまらなくも楽しくもないが、果乃が誘ってくれるからいつも一緒にいる」となるだろう。そんなことは絶対に口に出せない。
ゆえに、私は黙り込んでしまった。
「妃芽花、私は妃芽花と一緒にいて楽しいよ」
「……ごめん」
「謝らないで」
謝ってしまったのは失策だった。果乃と一緒にいても楽しくないと自白してるようなものだ。
「私、妃芽花はそれで良いと思うから」
「……どういう意味?」
「妃芽花と一緒にいると私は楽しくて幸せなの。それが理由で良いんじゃないかな? 妃芽花が私と一緒にいる理由」
そんなことを言われたのは、人生で初めてだった。親からも、私は常に、今の私以上の何かを求められていた。
「それから、私は妃芽花の笑顔が見られたら楽しくて幸せ」
だから、と果乃は微笑む。
「妃芽花、私のために笑って」
私は、果乃を真似して微笑んでみた。
決して鏡で見たいとは思えない、引き攣ったぎこちない笑顔。
それでも、果乃は「最高に可愛い」と言ってくれた。
果乃は、私に笑う理由を与えてくれたのである。




