氷姫
私は、果乃と一緒にいるときだけ笑えるようになった。
果乃と一緒にいるときだけ、私は、私になることができた。
果乃は、私のことを「可愛い」と褒めちぎってくれたが、普段の私はちっとも可愛くなかったと思う。
仏頂面で、生意気で、まるで触れると呪われる人形のように、人を寄せ付けなかった。
しかし、果乃と一緒にいるときだけ、私は可愛くもなれた。
中学に進学する直前、商店街振興組合の理事長が、私と果乃をご当地アイドルにすることを思いついたのも、まさに果乃と一緒に笑い合っている姿を目撃したからだ。
キャンディー・クルーズは、私と果乃の二人組でしかあり得なかったのである。
別にアイドルに興味があったわけではなかった。
歌もダンスも、学校の授業で触れた程度で、特段得意だとも思わない。
それでも、私がご当地アイドルとしてデビューすることを決めたのは、果乃が乗り気だったからだ。
「妃芽花だったら、日本一のアイドルになれるよ!」
果乃の部屋のベッドの上。
隣合って座った果乃が、私の両手を掴んで、そう言った。
本気で言っているのかどうかは分からないが、果乃の目はキラキラと輝いていた。
「果乃は?」
「へ?」
「私が日本一のアイドルになったとしたら、果乃はどうなるの?」
「え!?……えーっと、日本一のアイドルの友達?」
「何それ。果乃、変だよ」
私は笑う。
私は、果乃の冗談が日本一面白いと思う。
「……果乃、私、アイドルやってみるよ」
「本当!?」
「その代わり――」
私は、果乃の手をぎゅっと握り返す。
「私たち二人で天下を取ろうね。約束だから」
「……約束? じゃあ、指切りげんまんする?」
「ううん。このままで良いよ。指一本同士じゃなくて、指十本同士の約束なの。これは絶対に破れない約束」
「……分かった」
私が手に力を入れると、果乃はさらに強く力を入れて握り返してきた。
「痛い! 果乃やめて」
「妃芽花もやめて。痛い痛い……」
手を離し、お互いの顔を見て笑い合う。
アイドル界の天下を取ることの重みは、当時の私には必ずしもよく分かっていなかったが、果乃とならばなんでもできる気がしていた。
キャンディー・クルーズの活動は楽しかった。
果乃と一緒に歌ったり踊ったりするのが楽しくて、ステージの上の私は常に笑顔でいられた。
他方でファン対応は苦手で、「氷姫」などという異名をいただいてしまったのだが、ライブとのギャップが良い、と褒めてくれる奇特なファンもいた。
ファンの数は、果乃よりも私の方が多かったかもしれない。そのことで果乃が悩んでいたことも知っている。
しかし、長く応援してくれているファンは、そのほとんどが果乃のファンか、もしくは「箱推し」だった。
人間としての魅力では、誰しもが果乃に軍配を上げるのである。
キャンディー・クルーズは、そして私は、果乃によって支えられていた。
しかし、私の母は、そのことを少しも理解していなかった。
「あの子はただの引き立て役だから」
母は、私に対して、果乃のことを常にそう称していた。
「違う。果乃は私の親友だから」
「今はお友達で良いのかもしれないけど」
母は「今は」という言葉を強調する。まるで、果乃は私にとっての「踏み台」に過ぎないと言いたいかのように。
「それに、果乃は可愛いよ」と私が言うと、「この島では可愛い方かもしれないわね」と母。
「妃芽花、あなたはもっと上にいけるわ。本土で、もっと可愛い子とユニットを組んで、売れっ子になるの」
そんなこと、私は望んでいない。
私は、果乃と二人で天下を取りたいのだ。
果乃なしで売れることなど欲していない。
しかし、母は、キャンディー・クルーズの本土遠征について来るたびに、私が頼んでもいないのに、芸能関係者に私の売り込みをしていた。
その理由が、一人娘の可愛さ余って、というだけではないことを私は知っている。
母自身が昔アイドルに憧れていたのだ。母は並外れて綺麗な人だ。しかし、母の家庭は厳しく、芸能活動などもってのほかだった。
母は、父と結婚し、離島で暮らすことで、ようやく厳しい家庭から逃げられたのである。
母は、私に、母自身が叶えられなかった夢を叶えさせようとしているのである。
それは、私からすれば、押し付けでしかない。母の両親が母にしたことも、母が私にしていることも同じである。
子の意見を封殺し、子を私物化しているのだ。
しかし、私は、母にハッキリとNOを伝えることができていなかった。
母の思惑を知りながら、それを放置してしまったのである。
そのことが、最悪の結末を招いた。
「妃芽花、中学を卒業したら本土に引っ越すから」
中学三年生の夏休みが終わってすぐの頃、学校帰りの私に、母は「おかえり」と続けてサラリとそう言った。
それは決定事項だった。
すでにマンションが購入されており、また、私が所属する予定の芸能事務所まで決まっていた。
父をこの島に残し、私と母とで本土に引っ越すのだという。
「妃芽花、机の上に受験案内があるから、その中から気に入った高校を選んで」
「ママ、私、そんなの聞いてない!」
「話す機会がなくてごめんね」
母は悪びれる様子もなく言う。
「でも、すごい良い条件なのよ。妃芽花を新しく作るユニットのセンターにしてくれるんだって」
「そんなことどうだっていい!」
私は本心からそう言ったのだが、母は、あまりにも急な話に私が一時的に混乱しているに過ぎないのだと勘違いしたようだ。
「妃芽花、私の言うとおりにしてたら間違いないから。また今度話しましょう」と言い残し、そろりと自室に消えていった。
腹立たしかったが、母に腹を立てている場合ではなかった。
果乃との約束をどうしよう――
そのことで頭がいっぱいだった。
その翌日が、ちょうどキャンディー・クルーズのライブだった。
「楽屋」として用意された部屋で二人きりになる機会を見計らう。
二人きりになると、果乃は、これからパフォーマンスをするキャンディー・クルーズの曲を口ずさみ始める。
それが終わるまで、私は口を開くことができなかった。
「……果乃」
「妃芽花、どうしたの?」
フリフリのアイドル衣装に身を包んだ果乃が、私に振り返る。
その笑顔を見ると、私は、言おうとしていたことを言い出すことができなかった。
「……なんでもない。今日もライブ頑張ろうね」
「うん!」
私は一秒でも長く夢を見続けることを望んでしまったのである。
私は意気地なしで、わがままだ。
果乃に何も伝えないまま、私はこっそり上京して高校の試験を受けた。島で行く予定だった高校とは比べられないほどに綺麗な校舎だった。
芸能事務所の社長とも面談した。悪い人ではなかった。
新しく住むマンションも、新築で、悪い場所ではなかった。
しかし、常に胸が苦しかった。
私が二人いたら良いのに――
そうすれば母の期待も裏切らず、同時に、果乃と夢を追い続けることもできるのに。
そんな寝惚けたことばかり考えているうちに、時は過ぎていった。
そして、ついに中学校の卒業式を迎えた。
せめてこの日までには果乃に正直に話し、謝る予定だった。しかし、果乃の顔を見るたびに、それは順延となってしまっていた。
今日こそは絶対に言わなければ。
そのことで頭がいっぱいだった私は、式の後、クラスメイトの男子に、教室で二人きりで会いたいと言われた時、その意味を考えることすらできていなかった。
気も漫ろで、指定された時間に教室に現れた私に、その男子は、恋の告白をした。
「妃芽花、ずっと好きだったんだ。もしよければ俺と付き合って欲しい」
気の良い奴で、決して嫌いではなかった。
しかし、それどころではなかった。
「……ごめんね。私、卒業したら本土に引っ越すの」
「え!? 知らなかった……」
「誰にも言ってなかったから」
その男子は、両親ともに島の出身で、彼自身、島から出るという発想がない。
私が島から出ると聞いて、交際は潔く諦めたようだった。
しかし――
「俺のことは良いとして、キャンディー・クルーズはどうするんだ?」
と、私にとって一番痛いところを突いてきた。
私が黙ってしまうと、
「果乃のことはどうするんだよ?」
とさらに心を抉ってくる。
「あの子はただの引き立て役だから」
母の言葉が頭に浮かぶ。
違う。果乃は私にとって――
「親友だろ?」
――そう。親友だ。
果乃は、私にとって唯一無二の親友だ。
「果乃は、高校に進学してもキャンディー・クルーズを続ける、って言ってたぞ」
耳が痛い。
ステージで目が合ったときの果乃の笑顔が頭に浮かぶ。私が一番大好きな笑顔が。
「妃芽花、お前は果乃を裏切るのか?」
――違う。裏切ったわけではない。
私は、ただ――
「果乃のこと騙してるんだろ?」
――騙してない。
私は、ただ――
「そんなの親友じゃないだろ」
親友じゃない――
私と果乃は親友じゃない――
……じゃあ、何?
「あの子はただの引き立て役だから」
頭の中で母の声がする。
「違う!!」
母の声を断ち切ろうと、私は叫ぶ。
「……違うって、親友じゃないってことか……」
男子が唖然とする。
もう何がなんだか分からない。
母の声が私の頭にこだまする。
あの子はただの引き立て役だから――
あの子はただの引き立て役だから――
あの子はただの引き立て役だから――
それは絶対に違う。私にとって果乃は親友である。
――本当にそう?
目の前の男子の言うとおりじゃないか。
私は果乃を騙している。
キャンディー・クルーズをずっと続けられると信じている果乃を置いて、本土で新しくアイドルユニットを組むのだ。
二人で天下を取るという約束も反故にして。
果たして、それでも私は果乃の親友なのか。
果乃の親友を名乗る権利は、私には、ない。
じゃあ、果乃は、私の何?
男子が質問する。
「親友じゃないなら、妃芽花にとって、果乃は何なんだ?」
また母の声がする。
「今はお友達で良いのかもしれないけど」
「妃芽花、私の言うとおりにしてたら間違いないから」
「あの子はただの――」
果乃は、私の――
「……アイツはただの引き立て役だから」
私の口から発せられたその言葉は、私の言葉ではない。
しかし、この場面で、私が、私として発することができる言葉が何もなかった。
男子は「言いにくいことを言わせちゃってごめん」と謝り、教室を去った。
この時を境に、私はもう、私として生きるのをやめた。
翌日、果乃に電話をして、上京すること、キャンディー・クルーズをもう続けられないことを告げた。
意外なことに、果乃は、さほど驚いた様子もなく、また、抵抗もしなかった。
「今までありがとう。これからも頑張ってね。妃芽花なら日本一のアイドルになれるよ!」
果乃の健気な言葉が胸に刺さる。
そんな言葉をもらえる権利なんて、私にはないのに――
果乃は、私にとって太陽のような存在だった。
太陽を失った私は暗い夜を生きるほかない。
しかし、私が輝けるのは太陽のおかげなのだ。
ちょうど、地球の裏側にある太陽から、太陽風を受けて光を放つオーロラのように。




