第三話 破壊と記憶
トントン、とドアを叩く音が聞こえた。彼は丁度、ベッドの中で起きていた。今日の、彼女の行動と言動について考えていた。
思考するのをやめて、ベッドから降りる。
「入って良い?」
それが、小鳥の家の住人だということにはすぐに気がついた。鈴支那は扉に近づき、ドアノブをひねって開ける。
「どうした?また幽霊でも・・・」
いつものことだろうと思って声をかけていた。だがそれは、空気を切り裂く音でかき消されていた。
左頬が暖かくなった。たらりと液体が垂れた。
鈴支那が、無意識に顔を逸らしていたと気づいたのは、もう少し後のこと。今の彼は、何が起こったのかわかることもなく、目の前にいる男の子を・・・
「オ、ニイイチャン、ききここここきいいいいいきききききききききききききききききっきききききき!!!」
突如、男の子は奇声をあげた。耳障りな、甲高い音だ。同時に鈴支那の目の前で、男の子は、ガクガクと震え始める。
ポタリ、と頰の血液が床に落ちる。ようやく彼は自分の皮膚が裂かれたことに気がついた。
「ききこここおいききききここおいききききいいいいいいい!!!」
ズブリ、と肉を引きちぎる音が響いた。男の子の体から、伸びる、三本目の腕。
ズブリズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
ズブリ
腕、ではない。正確には腕のようなもの。長さは、大きいものは、2mはあるだろう。月明かりに照らされたそれは、気持ちの悪いピンク色をしていた。
「オニイイイイイイイチャンチャンチャンきききききっきききききいいいいききいきき」
ピンク色の手が鈴支那に伸びる。それはまるで刃物のように鋭利で、彼を、鈴支那の命を奪おうと伸びていた。
鈴支那は動くことができなかった。その光景を目の当たりにして、青ざめ、恐怖した。体が震えて動かなかったのだ。
蒼穹学校という、軍隊を育成する学校に入り、殺しあう、ということを覚悟していたはずなんだ。なのに、そのはずなのに、彼は、なんの抵抗もできていない。
死が目の前に迫る。これが殺されるということ。誰の何も考えることができず、彼はただそれを受け入れるしかなかった。
ガラスが砕ける。
「優一くん!」
その女性の声は、頭の中にきついお香を焚いたみたいな衝撃を走らせた。
ゴトリ、とピンクの腕が床に落ちる。
「如月さん・・・」
月明かりに光る二つの青銀色の光。
中型レカルタサーベル。刀身を備えた、最も標準的なサイズの剣型の装備。
彼女の声が頭の中を反響する。温かみさえそれから感じ取ることができる。
「・・・ルシアニウム・・・もう入り込んでいたのね・・・」
ボソリと呟くと、今まで見たことがないような表情をした。それに鈴支那は背筋を震わせた。
それは殺しの表情だった。臆することなどない、戦いの最中の瞳。
「悪いけど、邪魔はさせない」
如月は大きく踏み込み、前に出た。次々と向かってくる腕は、まるでたんに野菜を切っているかのように次々と床に落ちていく。そして、青い光が一段と輝いたかと思うと、数本の相手の腕がバラバラに落ちていった。
「ききいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃっぃっぃぃぃっぃぃっぃぃっぃ!!!!!!」
耳を擘くような奇声をあげて、怪物は未だ大量に残る腕を震わせる。だが、その叫び声はどこか寂しげで、幼い子供が幽霊を怖がるような声に似ていた。
怪物は、鋭い刃物のような手を振り回しながら、如月の方へ走っていく。それはまるで、いじめっ子に必死に食らいつく少年のように。
如月は数歩後退し、向かってくる怪物をじっと見つめる。そして、怪物が接触する瞬間、真横に飛びのいた。
ガラスが再び砕ける。今度は外に向かって。
直後、ドガリ、という音が響いた。
怪物の大きさに合わせて砕かれた壁と窓。如月は躊躇せずそこから外に飛び出した。
真下には、土に食い込み、よろよろと立ち上がろうとする怪物の姿。鋭利な腕は、枯れた草花のように、へたり込んでいる。
くるりと空中で一回転する如月。右足を伸ばすとその先が青白く輝いた。
怪物は上を向き、如月の存在に気づく。腕を伸ばし、彼女に攻撃しようとするが、遅い。
彼女は、そのまま怪物に向かってかかと落としを決める。
青い閃光が、一筋の光となった。怪物の左肩が、眩さで乖離する。
すかさず彼女は右手に持ったレカルタサーベルを大きく真上に振りかぶり、怪物の右肩を切断した。
怪物はもはや何もわかっていないようだった。理解する間も無く、自らの体が次々と離れていく。もうほとんど、残された腕はなかった。
そして如月の左足先が光る。右足を軸に、怪物の首元を狙って、大きく蹴り上げた。
怪物の体と頭がずれる。
「きい、きい、き」
その泣き声は、お母さん、と言っているように。
地面に転がった。血は出ない。そして、男の子のものではないピンク色の腕は、サラサラとした砂へと変化した。
残されたのは、体をバラバラにされた男の子の遺体だけとなった。
失いがどす黒い何かになって、彼の頭を狂わせた。
膝をつく、鈴支那。
砂が風に吹かれて空を舞う。それが目に入り、彼に大きな涙を引き起こす。
「どうして・・・こんな、こんな・・・こん、な」
血生臭さはなかった。まるで、もとより命のない人形のように、ただパーツが外され、捨てられているように、男の子は死んでいた。
鈴支那は人形に触れようとはしなかった。それが彼もよく知る、この小鳥の家の住人で、いつも仲のいい男の子と夕食の取り合いをしている、あの子だとは到底信じられなかった。
「優一くん・・・」
如月は彼に近づく。そっと彼のそばに屈んだ。彼女は、彼を覗き込み。そして、数秒の躊躇と戸惑いの後、彼の肩に手をおこうとした。
だが、それを鈴支那の手が弾く。
「・・・・・・」
沈黙。ただ、彼女は泣きそうな瞳で、小さく口を開いた。
「この子を殺したのは、あなたたちがルシアニウムというもの。北極に落ち、ロシアが支配においた地球外生命体よ」
鈴支那は黙ったままだった。
「ルシアニウムは人に取り付くことによって、その生命力を奪う代わりに絶大な力を与える。ロシアはそれを利用して、生物兵器を作っているの。でもこいつは、その失敗作の成れの果て。海に捨てられて偶然漂着して、偶然ここにたどり着いたもの」
彼女はもう一度、彼に触れようとした。だが、その前に彼が口を開いた。
「・・・それが一体どうしたんですか」
突き放すような静かな返答。
「僕は・・・僕が考えているのは、これが何かなんてことじゃない・・・・・・」
「優一くん!私にはあなたの気持ちがわかる。あなたの心が私にはわかるの!だから」
「僕は今!!」
聞いたともないくらい、大きな声。彼女の記憶にも彼のこんな声はなかった。それが彼女を不安に突き落とす。自分の知らない彼が、もしかしたら私とはもうすでに離れているような気がしてならなくて。
「僕は、僕は、あなたが来なければ、こんなことならなかったはずなのにってそう思ってる。あなたが来たせいで、こんな・・・ことに・・・」
彼の胸に鉛の塊が打ち込まれた。
隣で如月が立ち上がる気配を感じた。何も言われることはなかった。何かを告げられることも、反論されることも、ましてや肯定することも。
彼女から発せられた言葉は、提案だった。事務作業のような淡々とした。
「私は、多少だけど記憶を操ることができる。・・・この子の記憶を、みんなからなくすことができる」
僕が何を言ったのかはあまり覚えていない。ただ、とてもじゃないが思い出したくもない、ひどい言葉だったと思う。
けれど、彼女は彼女の提案を実行してくれたのだろうと思った。
目の前に消えていく、少年のことを覚えている人間は、少なくともこの小鳥の家には誰一人としていなかったのだから。




