第十七話 二人と二つ
階段を上る。階段を登る。駆け上がる。走り続ける。汗が流れる。足が痛くなる。けど足を止めない。息が切れる。だが息を止めたりはしない。
ビルがグラグラと揺れる。このままだと建物自体が崩壊しちゃうんじゃないかと思ってしまうくらいに。
停電し薄暗い。蛍光灯が割れている。人の気配がない。騒がしさのないオフィス。乱雑に投げ出された資料。稼働をやめたコピー機。鳴り響かない電話。蠱惑的な香りを作りださないコーヒーメーカー。ほんの数時間前まで、それらは動いていた。人と同じように、人に使われるために。機械に気持ちが宿っているのなら、彼らは人とともに生活し人と数多く接している。もしかしたら現代人は、同じ人よりも機械と接する機会の方が多いのかもしれない。むしろその方が楽で、傷つかなくて。そう思う人も多いだろう。
グラグラとまた揺れる。人の手がつかなくなった彼らはやがて壊れるだろう。もしこの地がルシアニウムの手に落ちれば、彼らの命はなくなってしまうだろう。
佐藤の先を走るのは如月。膝より少し長いスカートが揺れる。階段という覗きには絶好のエリアにも関わらず、彼女のスカートは強固だった。わずかに見えた黒い線に、ほんのわずかだけ佐藤の目が泳いだが、それは拳銃のホルスターだった。
二人は無言のまま階段を駆け上る。7階、8階、9階。
エレベーターは使えない。電気が途絶えつつある中でそんなものに乗って閉じ込められるわけにはいかないからだ。
10階、11階、12階、そして、
屋上に続く階段は、今までと比べてかなり狭かった。人一人がやっと通れる。コンクリートが無機質に露出していて、踊り場はなく、一直線に空へと向かっている。
その扉を開いた。
如月の瞳に飛び込んできたのは、真っ赤な果汁だった。
それは果物を絞ってジュースを作るときのようだった。フードプロセッサーにかけるのが一般的だろうけど、手で絞ったものでも良い。手絞りを謳い文句に発売しているジュースだってあるくらいだ。その時の映像に似ていた。
ギュっとまず握る。果汁が中身から溢れる。だが、人の腕力で出る量など高が知れている。だから硬い何かに擦り付けて、潰す。ぶちぶちと、果物の繊維がちぎれ、奥底にあった液体が吹き出てくる。何度もなんどもそうしていると、やがて皮とかも一緒になって液体に紛れ込む。
それはどんな果物かもわからなくなる。例えばオレンジ色の液体があったとして、それが伊予柑なのか、夏みかんなのか、デコポンなのか、オレンジなのか、違いがわかるだろうか。
矢部をかばった人間が一体誰だろうと変わらない。わからない。意味がない。だってそれは死んでいるのだから。死んで、そして形も何もなくなってしまったのだから、それには何の意味もない。
ゴリラが矢部をつかもうと腕を伸ばす。
「矢部!!」
佐藤が叫んだ。二つの影が、矢部とゴリラとの間に割り込む。
一人は大剣、もう一人は通常タイプの剣型を両手に二本持ち、ルシアニウムの大きな腕を受け止めていた。
「うぐ・・・なんてパワー・・・」
二人は息を止めて、全力でゴリラの腕を押し返そうとしていた。しかし、できない。相手は片手だけだというのに、R.I.Rデバイスで強化された人間二人と対抗している。
「おい、逃げろ矢部!矢部!」
佐藤が矢部に必死に呼びかける。腕はもうすでに限界だ。あと少しで彼も如月も吹き飛ばされてしまうだろう。
だが、矢部は動かなかった。動けなかった。どうでもよくなっていた。
シィ・・・死んじゃったの?私もそっちに行きたい。行っても良いよね?多分しぃは怒るかもしれないけど、でもきっと、しょうがないなぁって笑ってくれるよね。
覚えてる?昔シィが付いてこないで、って言って一人で帰っていったの。私は何だかそれが悔しくて、悔しいって言い方はなんか変かもしれないんだけど、多分私が知らないシィがいるのが悔しかったんだ、それで尾行したんだ。
そしたらシィはお店でバイトしてた。後から勝手に調べたんだけど、シィの家って要介護の父母がいて、自分一人は足らなくちゃいけなかったんだよね。そんなシィに自分が負けているような気がしてならなくて、私はシィと同じ店でバイトし始めた。その時シィは、ちょっと怒ってたよね。勝手に付いてきて、とか言って。でも私に隠し事をしようとしたシィが悪い、って言ったら、シィは困ったように笑って、歓迎してくれたよね。
今回もそうだよね。天国に行っても、シィはそのぷっくりした唇でまず私を怒るんだ。何できたの?って。でも私がシィに会いたいからって言ったら、恥ずかしそうに顔をピンクに染めて、俯き加減で、長い睫毛の目を伏せて、手を後ろに組んでモジモジして、ちょっと腰を低くして、ふわふわの髪が風に揺れながら、そっか、って言って、私を抱きしめてくれる。
「矢部!」
矢部の体は担ぎ上げられていた。担いでいるのは佐藤。屋上の出口に向かって全力で走っている。その間も、矢部は無表情で何も反応することはなかった。
矢部は気の毒に思いながらも、足手まといが増えたことに苛立ちを隠せないでいた。自業自得、とは言えない。だが、親友が戦場に来ている以上、こうなる覚悟はしておかなければならないはずだ。それが戦場に出る覚悟。それができていない奴がこんなところに出るべきではないのだ。
背後では如月は大剣を薙ぎ払いながら、ゴリラの腕をかわし続けている。それは人間が必死になってハエを捕まえようとしているようだった。如月はゴリラの動きを完全に見切っていた。今までチーターのような奴と戦って来ていたせいか、目が速さに慣れている。
鈍い。このゴリラに下した言葉はそれだ。
「佐藤くん、早く!」
如月の声が響く。残っている狙撃班の奴ら。彼らのふらつく足取りを急かし、屋上から下に続く階段に誘導する。
階段を降り、矢部を床に降ろす。彼女は表情一つ動かさない。佐藤は彼女から視線を外し、一番しっかりしていそうな、秋庭という男子生徒に頼んだ。
「このままビルの中に立て籠もってろ。それでビルの地響きがなくなってから、少人数で様子見しろ。連絡が取れるようならこれに」
そう言って佐藤は秋庭にケータイを渡した。秋庭はうろたえながらも頷いた。多分ほとんど理解していないだろう。だがこの中で頷くことができるやつなんてこいつぐらいしかいなかったのだ。
ほとんどの奴は二人の仲間を失い、言葉を無くした。感情も同時になくしているようだ。
泣いている生徒はいなかった。だが涙を流す奴はたくさんいた。それはまだ良い方だ。涙は人のストレスを和らげる。その流れに悲しみとかを押し付けて、外に多少ではあるが流すことができる。
佐藤は矢部の姿を一瞥し再び屋上に続く階段を走った。
一瞬だけ見た矢部は、顔が真っ白で光るものなど何もなかった。
如月未来は自信がある。
なぜなら彼女は人間ではないからだ。そのことを鈴支那優一に話したかどうかは覚えていない。多分隠そうとはしなかったから、彼は気づいていると思うけど、でも彼からそれを質問されたことはない。なぜだろう、と疑問に思うこともあったが、今はそれは置いといた。それよりも目の前の敵を処理しなくてはならないからだ。
ゴリラの拳を避ける。避ける。避ける。掴みかかろうとしてくれば、逆に前に出て、足の間をすり抜ける。人型というのは、足付近がおろそかになりがちだ。人にとっての視覚になる。あるいは四足歩行なら、後ろ足付近。加えてこのルシアニウムは巨体だ。
隙を見計らって、大剣で斬りつける。だが、硬い甲殻に簡単に弾かれる。頭や腕、足なんかも狙って見るけど、やはり利かない。
関節部分を狙いたかったが、流石に警戒はしているのか、難しそうだ。
また、避けるだけ。これでは拉致があかない。こっちに攻撃手段がないのは戦いにおいては負けたも同然だ。あとはこっちの体力が徐々に削られて、いつかは捕らえられるだけ。
しかも時間をかけていられない理由があった。
数十分前、佐藤に言われた言葉だ。
「良いか、俺たちは時間をかけるわけにはいかない」
佐藤の言葉ははっきりと、自信を持った言葉だった。
「このままあいつらを放っておいても、やがて正規軍が配備され、すぐにルシアニウムは殲滅されるだろう。だがそれは本当の意味での殲滅戦だ」
佐藤が言葉を区切る。もう時間がない、ともう一度行った。
「火力に任せた攻撃をここら一帯に仕掛けるだろう。ルシアニウムに対してはそれが一番有効だからだ。だけどそうなればここら一帯は焦土と化す。もしかしたら生存者がいるかもしれない、その可能性ごと全部肺に変えちまう。だから俺たちだけで、せめてこの状況を打破できる可能性を提示して、ここを救わなくちゃならない」
(時間をかけられないって言ったって、攻撃が効かないんじゃ意味ないじゃない!)
如月は心の中で舌打ちする。あの大火力の攻撃でどうにもならなかったのだから、今彼女たちが所有している武器ではどうにもならないということだ。
(くそっ、どこか弱点は・・・)
切りつけ続けると、ゴリラが守ろうとする場所がある。後ろ足の関節部分。だが、狙いにくい上に、ゴリラの方もそれをわかっているから攻撃しにくい。せめて他に仲間がいれば・・・
佐藤は青白く輝く短剣を二つ、両手に持っている。それを十字に交差させ、鍔迫り合い。相対する敵は、一体のルシアニウム。その面影は、余田の顔に酷似していた。
そのルシアニウムが片手に持っているのは、佐藤が持っているのと同じ大きさの剣。そして、もう片方の手には赤色の光を放つ、五角形のシールド。
蒼穹学校において、対ルシアニウム戦では主に殲滅戦となる。その場合、火力の減少につながるシールドは、あまり持つ意味を持たない。さらに、常にシールドを展開するのは、剣型よりもエネルギーを消費するので、スイッチの切り替えが必要となって来る。その判断、思考に割くキャパの関係上、敬遠されがちな武器だ。余田自身も、殲滅戦においては使っていない。しかし、一度対人戦になると、これが猛威を振るった。たかが盾、と侮ってはいけない。剣型、そしてスナイパーの攻撃さえも防いでしまい、盾で殴ることだってできる。そんなのがあるのだから戦いにくいったらありゃしない。
「ちっぃ!」
加えてここは階段の中程。ルシアニウムは上から襲いかかってきている。重力の分だけ、相手の方が有利だ。その上この階段は人一人が通れる程度の狭いもの。横にそれて受け流すということもできない。
ギリギリと、体が押される。
(こうなったら・・・賭けになるが・・・)
佐藤が意を決して行動しようとした時、
「佐藤!」
背後から声が聞こえた。秋庭だ。階段を上っていく音が聞こえた。
片手に剣を構え、必死に階段を上っている。まるで背後から忍び寄る絶望から逃げようとするように。
だが、腰が引けていた。重心が高い。足取りがフラフラだ。肉体的にも精神的にもボロボロの状態で、それでも仲間を助けるために動いている。
その時、余田のルシアニウムの奥で、何かが動いた。
「やめろ秋庭!来るな!」
佐藤の声だけが虚しく響いた。余田の背後から迫ったルシアニウムは、佐藤を飛び越え、秋庭に迫る。
「・・・あ」
秋庭は小さく声をあげた。
左胸に突き刺さった、ピンク色の剣。滴る赤い血を抛飛ばせながら、秋庭の背中から生えていた。
秋庭の口から血が漏れた。瞳が一瞬、自分の胸に突き刺さったそれを見つめる。そして、ひっくり返った。
どチャリ、と階段から落ちる秋庭。それに近づく新たなルシアニウム。いや、新たに、という言い方はどうだろうか。それは堀田椎名の姿そのものだったのだから。
「シィ・・・・・・」
生きてた。
矢部が最初に抱いた感想。
たとえそれがピンク色の甲殻で覆われていても、手の先が鋭利な刃物になっていようとも、その葉先から、先ほど秋庭を切り裂いた血が垂れていても。
「シィ」
呼びかけた。私は、矢部真哉花はここにいると。シィはこっちを向いた。ああ、シィだ。ちょっと変な格好してるけど、それはシィに間違いない。
矢部は近づこうとした。
堀田だったルシアニウムは、その顔を矢部に向けた。




