④
評議会での最近の議題は、もっぱら隣国の情勢についてだ。
この国を挟むようにして東西に位置する二つの大国が、現在緊張状態にある。以前からこの二か国間では領土を巡る問題や貿易摩擦による経済的な不和が発生しており、数世代前の周辺諸国を巻き込んだ大戦も元はと言えばこの二か国の小競り合いが原因だった。終戦後も睨み合いは続いていたものの、永く表面的には和平を保っていた。が、数年前、両国の君主がそれぞれ交代し、どちらの君主も相手に対して今までになく強気な姿勢を示したことで、両国の間では目に見える形での諍いが再燃し、日を追うごとにそれは激化していった。
二か国間で揉めている分にはまだよかったのだが、問題は、両国共に自国の隣国であるこの国を自陣に取り込もうと画策していることだった。遥か昔から目立った利益はありそうもないこの国だが、いざ戦争になった時、広大な森を有するその地形やは要塞や経由地として役に立つし、その中で育まれている人や物資も大国と比べて慎ましやかではあるが決して劣ることはない。
しかし、東西両国がこの国を軽んじているのも、また事実だった。
この国は永らく日和見を貫いてきた。数世代前の大戦では〈声〉によってすべてが丸く収まったように語られているが、それはあくまで国内向けの話であり、裏ではもちろん他国との政治的なやり取りが重ねられていた。結果、国民の負担は増えたものの、東西両国それぞれに貢納金を納めるという形で属国化を免れた。司祭の〈声〉はこの国の決断に確かに影響したが、それだけではなく、様々な面での国民感情をなだめるという意味でも一役買っていた。
そして、喫緊の問題が、この貢納金だった。今になってそれがこの国を危機に晒している。
両国が、貢納金の引き上げをちらつかせている。そこに追い打ちのように貿易面での制限や関税の引き上げがなされるようなことになれば、この国はあっという間に立ち行かなくなってしまう。かといって、貢納金の引き上げに即うなずけば、当然、国民が大打撃を受ける。大戦中の一時期は自給自足で乗り切れたが、現代ではそれも難しい。大国と国交を断絶するわけにもいかない。
迷っている間にも、東西両国の諍いは無視できない次元へと移っていく。はっきりとした「戦争」がはじまる。両国は共に、この国が今度こそその立場を明確にすることを望んでいる。
選択肢は二つだった。
どちらの国につくにせよ・つかないにせよ、参戦するのか。それとも、今までの比ではない経済的負担を受け入れ、参戦しないのか。どちらを選んでも多大な痛みを伴うことは避けられない。
決断は早い方がいい。ダメージを負うことがわかっているのなら、それを少しでも軽くする方法を一番に考えるべきだろう。国民の理解を得るのにも時間がかかる。
(――が、今日も具体的な案は何一つ出やしない)
ダンはそっと目を上げる。
中央教会から馬車で三十分ほど離れた場所に建つ王宮。その評議室の長テーブルには、君主を上座に、宰相、聖務院、軍務院(軍事部・治安部)の要職者がずらりと並んでいる。その中にはもちろん軍事部副長・ヒューゴ……父親の姿もある。
室内の空気は重い。参戦するのか・しないのか。改革派と保守派の無言の牽制が続く。この国の体制を変えるのか・維持するのか。この国はずっと「変わらない」ことを選んできた。現状は保守派がやや有利か……。ダンは末席から事の成り行きをただ見守る。
……おそらく、この国の中枢は遥か昔からこんなふうにずっと優柔不断なままなのだろう。民意を尊重してきたと言えば聞こえはいいが、いついかなる時も決断の責任を負うことを恐れている。そのくせ、権威が揺らぐことはもっと恐ろしい。声果隊に暗黙の上限年齢を設けているのがいい例だ。万が一、彼らが政治的な意思を持つ集団となり、国民の支持を得て、〈鐘〉を筆頭に実権を奪うようなことになってはならない。だから、隊員の人数が増え続けないよう、また、先導者となる年長の者が残らないよう、制限をかけている。
(まあ……今の〈鐘〉に限って言えば、そんな心配はするだけ無駄だろうが)
今の〈鐘〉は、政治に興味も関心もない。というより、「歌うこと」に関すること以外は人生の付録くらいに思っている。たとえ今、この国が隣国の脅威に晒されていることを知らせたところで、〈鐘〉として心を砕くこともなければ、国や国民に寄り添ってその〈声〉を使うこともないだろう。
「問題は西国の方です」
おずおずと、宰相が口を開いた。「今はまだ『例の件』についての言及はありません。しかし、それも時間の問題かと。あれは我が国の強みでもあり、弱みでもある。向こうがそこを突いてこないことはないかと思われます……」
低い唸り声があちこちで上がる。それぞれが高い天井を見上げ、王宮らしい豪奢な装飾を睨みつける。
……西の大国には、貢納金にプラスしてある「もの」を提供していた。評議会に参加するようになってからダンはそれについて知ったわけだが、あまりの衝撃に眉を顰めることすらできなかった。万が一にも国民が知るようなことになれば、まず間違いなく暴動が起きる。下手をしたら戦争に巻き込まれる前に内側からこの国が崩壊する。
結局、今回も議論は進展しなかった。この国は変わるのか、変わらないのか。結論は先送りされる。
「――では、最後に。〈鐘〉についての報告を」
議長役の宰相の言葉に全員の視線が一瞬こちらに向く。ダンは顔を上げると、誰とも目が合わないよう空を見つめながら、
「変わりありません」
いつも通り回答した。
〈鐘〉に何かあれば評議会など待たずに即報告を上げている。このやり取りは毎回必要だろうか。それとも、と、ダンは思う。要職者たちは期待しているのだろうか。「〈鐘〉さまは、国の現状を大変憂いておられます。自身の歌声でこの国をあるべき姿に導きたいと申しております」とでも報告するのを。
ダンは内心で嗤う。――天地がひっくり返ってもあいつはそんな考えに至らないだろう。
誰かが、大きなため息を吐いた。それがこの国の象徴である〈鐘〉に向けられたものなのか、それとも末席に座っている自分に向けられたものなのか、はたまた何の意味もないのか、ダンにはわからない。
「…………」
……ダンは自分の立場をわきまえているつもりだ。〈鐘〉の専属警吏として、〈鐘〉と要職者たちそれぞれの「お使い」をする。それぞれの様子を窺い、意向を汲み、それぞれに角が立たない形で報告を上げる。それによって自分が多少の理不尽を被ろうとも、誰の機嫌も損ねない落としどころを見つけられるのなら良しとする。
評議会は「この国」について話し合う場だ。しかし、ダンに限っては、間違ってもこの国の未来について意見することはない。そんなことは求められていない。
そもそも、〈鐘〉の専属警吏でなければダンはこの場に立ち入ることすらなかった。他の要職者と比べて若く、警吏としての経験も実績もない。未だに場違い感が否めない。
それでも、毎度、ダンはこの末席に座る。たった一言、同じ報告をするためだけに。
「――ダン、ちょっといいかな」
評議会後。聖務官の一人から声をかけられた。聖務官には元・声果隊員が多い。目の前の男もそうだったはず。
「さっきはああ言っていたけど、調子はどうだい? 私も一時期は体調を案じていたのだが……近頃のご活躍を見る限り、もう大丈夫のだようだね?」
これは、ダンの調子を訊ねているのではもちろんない。〈鐘〉だ。〈鐘〉のことを訊いている。
(挨拶の代わりだ)
「お疲れ」や「ご苦労」や「やあ」。そういうものの代わり。家族だろうと友人だろうと誰だろうと、ダンの周囲の人間が知りたいのはいつだって〈鐘〉のことだ。ダンが〈鐘〉の専属警吏になってから十五年、それはずっと変わらない。
「ええ、元気ですよ」
だから、ダンは決まってそう答えてやる。
(あいつが『元気』だったことなんて一度もないけどな)
心の中でそう嗤いながら。でも、仕方ないだろう。皆、〈鐘〉が元気だと安心する。大切なことは言わず、人々の望む答えを汲み、目先の安心を与える。後でとんでもないツケを払うことになったとしても、とりあえずはそれで丸く収まる――評議会に参加する中で学んだことだ。
「申し訳ありません。〈鐘〉さまに呼ばれているので、これで失礼します」
〈鐘〉について重ねて何か訊ねられる前にダンは丁重に頭を下げ、聖務官に背を向けた。
王宮の外に出る。前庭で待機していた馬車に乗り込む。
向かうのは、中央教会の敷地内に建つ〈鐘〉の住まいの塔。〈鐘〉に呼ばれているというのは嘘ではないけれど、本当でもない。だから、行かなくてもいい。しかし、ダンには他に行く当てもなかった。
塔の周辺では数人の警吏が〈鐘〉の警護にあたっている。また、塔内には使用人が複数名常駐しており、〈鐘〉の身の回りの雑事を担っている。そんな〈鐘〉と身近なところで働いている彼らでさえ、〈鐘〉と顔を合わせることはほとんどない。理由は単純で、彼らは神に近い存在である〈鐘〉を畏れ、〈鐘〉はそんな彼らに微塵の興味もないからだ。
また、塔内に立ち入るにはしかるべき手続きを踏まなければならない。〈鐘〉と面会するとなると手続きはさらに面倒なものになり、それは要職者や声果隊員であっても変わらない。例外は君主と、専属警吏のダンだけだ。……誰も足を踏み入れられない場所にしか居場所がないというのは皮肉だな、と、ダンは思う。
塔内の、眩暈がするような螺旋階段を上がり切った最上階。ひっそりと一つだけある扉の前に立つ。ダンが名乗っても、応答はない。入っていい、ということだ。
扉を開ける。同時に、甘く重い香りに迎え入れられる。
広々とした、灯りの絞られた室内。二つの大きな窓からは薄く陽が射し込んでいる。その手前には壁に沿う形でソファが置かれており、そこに〈鐘〉は座っていた。ソファの背に肘をつき、窓の外を眺めている。プラチナの長い髪が陽射しを受けて淡く輝いている。
「リリー」
呼びかけると、〈鐘〉が振り返った。今はじめてそこにダンがいることに気づいたかのように目を瞬く。長い睫毛が震え、音が立ちそうだ。
……この国の象徴である今の〈鐘〉は、とても美しかった。天井画から飛び出して来たような見る者の息を止めるその容姿は、十三歳で出逢った時からずっと変わらない。もちろん少年時代の愛らしさそのままということはないが、歳を重ねてもどこか浮世離れしたその華やかさが衰える気配はない。〈鐘〉が定期詠唱する際のバルコニーはとても高い位置にある。地上からでは最前列でも〈鐘〉の顔をはっきりと認識することはできないだろう。この無駄に美しい顔を拝めないのはもったいない、と、ダンは聴衆に対していつも俗な憐れみを抱いてしまう。
「買ってきたぞ」
ダンは、持っていた紙袋を掲げてみせた。
リリーはそれを一瞥し、また窓の外へ目を戻す。
今さらリリーに礼や労いといったものを期待することはない。ダンはテーブルに近づくと、皿の上に紙袋の中身をあけた。つややかに輝く燃えるような緋色の実が音もなく山になっていく。――ラウドベリー。塔に来る前にマーケットに立ち寄って買ってきた。ラウドベリーはこの国で採れる代表的な果実の一つで、他のベリー類と比べて小粒ながら甘味が強い。また、どういうわけか森に行けば一年中摘むことができ、生のままの長期保存も可能という不思議な生態の実でもある。
リリーはこれが好物で、主食のように口にしていた。ストックがなくなると電池が切れたようになるため、ダンや使用人たちは、リリーが他の食事を摂らなくなることがないよう量を調節しつつ、ラウドベリーを切らさないよう届けることにしていた。
「さっきまで評議会だったんだ」
ダンはテーブルに着きながら、言う。「聖務官の一人がおまえの調子を気にしてた。あのお偉いさんは元・声果隊員だからな、ちょっと前までのおまえの歌声を聴いていて思うところがあったのかもしれない」
一時期、リリーはやる気をなくしていた。時々訪れる発作みたいなものだ、と、ダンは理解していたし、〈声〉の調子に問題があったわけではなかったから、国民の大半は気づいていないだろう。ただ、ダンにはよくわからないが、歌声そのものは〈声〉と違って気持ち一つで簡単に揺らぐものらしい。「〈声〉に乗ってね、伝わっちゃうんだよ」と、リリーは言っていた。先ほどの聖務官のような〈声〉の持ち主は敏感にそれを感じ取るのかもしれない。
「最近は――」
ダンは、リリーを振り返った。まだ窓の外を見ている。
歌っていない時のリリーの声は、〈声〉の迫力がない分、その繊細さが際立って聞こえる。美しく、神秘的で、吸い寄せられるように耳を傾けてしまうそれは、普段の会話でも変わらない。
「毎朝毎晩ずっと祈ってる。もう祈り疲れるくらい」
「ほう。それは殊勝なことで」
「でも神様はなかなか願いを聞き入れてくれない」
「気まぐれだからな」
「何を祈ってるのか、訊かないの?」
「訊かない。聞きたくもない」
リリーが小さく笑った。そうしてこちらを振り返る。
「『あの子が早く死にますように』って祈ってるんだ」
案の定……碌な願いではなかった。ダンは息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。
「不吉なことを言うな」
天使のような微笑みを浮かべたまま、リリーは肩をすくめた。が、その目にはそこはかとない真剣さが宿っている。碌でもない願いはあながち冗談でもないらしい。
……「あの子」とは、一年ほど前に声果隊に入隊した隊員・アルタのことだ。
声果隊を管轄しているのは聖務院であるため、ダンは最近までアルタのその特殊な経歴など詳しいことは知らなかったが、今となってはいろいろな意味で気がかりな存在となっている。
「この前、あの子の遠征に同行したんだったよね? どうだった? あの子の詠唱は。凄かったんじゃない?」
リリーの口ぶりは、とても死を願う相手について語っているとは思えないほど邪気がなく、どこか誇らしげでさえある。
「声がいいよね、あの子は。まだ十六歳だから子どもと言えばそうなんだけど、溌剌とした少年みたいな声なのに、どことなく色気があって、力強い。胸に真っ直ぐ届く感じがする。音域も広くて、端々まで綺麗。何より、あの子はちゃんと解ってる。場所によって自分の〈声〉がどう響くのか、聴いている人の耳にどう届くのか。〈声〉の使い方を理解してる。同時に、声そのものの使い方も解ってるんだ。歌うには、〈声〉だけじゃ駄目。〈声〉と声、両方をうまく使えないといい詠唱にはならない」
先日の遠征で聴いたアルタの歌声を、ダンは思い出す。
リリーの言う通り、アルタの歌声が響き渡った瞬間、ダンは胸を貫かれるような衝撃を受けた。新しい〈鐘〉になるかもしれないという噂はもちろん耳にしていたが、それは単純にヒューゴの動向に関心を寄せる者たちの願望に尾ひれがついただけだろうと思っていた。しかし。アルタの歌声を目の当たりにしてはじめて、ヒューゴの本気、そして新しい〈鐘〉誕生の可能性に、ダンは戦慄した。
(ただ、聴いている間は、そんなことは考えなかった。ただ聴き入ってしまっていた)
アルタのあの歌声は何なのだろう。目に映るものの輪郭をはっきりとさせ、今ここに生きていることを実感させる。不安や恐怖を解消するという意味ではリリーの歌声と同じだが、そうして与えるのは安心や癒しではなく、どこまででも突き進んでいけそうな高揚だった。
リリーの歌声が人々に夢を見させるものなら、アルタの歌声は人々をその夢から醒まさせる。……ヒューゴが目をつけたのも納得だ。そしてリリーが執着しているのも、だ。
「アルタって、十四歳で声授したんだったよね? 危なかった。もしも〈声〉がなかったら、どんなに素晴らしい歌声を持っていたとしても、僕らの耳にそれが届くことはなかったんだから」
リリーが首をかしげる。「それにしても、そんなに遅く声授することって、あり得るの? 僕たちとは違う方法で声授したってことはない?」
ダンは思わず扉の方へ目を走らせる。この塔には、ましてや〈鐘〉の部屋には滅多に人はやって来ない。そうとわかっていても、声授について話す時は、人の気配を探ってしまう。
声授の仕組みは、公には公表されていない。要職者の中でも知っているのはごく一部であり、本来なら〈鐘〉でさえ知り得ることはない。なぜそんな国家機密をダンが知っているのかというと、幼い頃、自宅でヒューゴが声授について話しているのを盗み聞きしたからだ。しかし、今思うとあれは、「聞かれてもいい」という意図があったように思う。そうだとして、そこにヒューゴのどんな狙いがあったのかは未だ知る由もないが。
ダンは、リリーに声授の仕組みについて話して聞かせていた。
ラウドベリーに手を伸ばす。指先でつまむと、弾力があって、少しざらついている。燃えるような緋色は甘味の証でもある。
――声果隊の「果」は、この実のことを指している。
〈声〉の元はラウドベリーなのではないか……という見方がある。この国の人間は、生後間もない頃からラウドベリーを食べて育つ。〈声〉を宿す条件がラウドベリーの摂取量なのか、時期や期間なのか、体質との関係なのかなど、詳しいことは何もわかっていない。とはいえ、なぜ〈声〉の元ではないかと推測できるかというと、それは〈声〉の持ち主たちの体内にのみ存在する特殊な器官が理由だった。
その器官は、喉の軟骨の後ろ、声帯のすぐ近くにあり、鼻腔と細い管で繋がっている。弾力があり、表面には独特な凹凸があって少しざらついている。簡単に指で潰せそうだが、他の臓器とは違い、衝撃に強く、刃物で裂かれても傷つかず、高温で焼かれても灰になることはない。鮮やかな緋色をしており、大きさは小指の爪の先程。つまり、ラウドベリーそっくりな見た目をしている。
ラウドベリーは人間の歯で簡単に噛むことができ、料理に使われることからも熱に強いわけではない。ただ、生のまま長期保存が可能なこと、季節を問わず一年中実をつけることなど、常識はずれな面もある。〈声〉とラウドベリー。確かな根拠があるわけではないが、両者を結びつけて考えるのはあながち間違いでもない気がする。
「声授の違う方法って何だよ。まさか移植でもしたっていうのか?」
そんなことができるとしたら大問題だ。「悪魔」でなくとも、声果隊員の喉を裂いて回る人間が現れかねない。
「アルタ本人は何て言ってるの?」
「『ある日突然高熱が出て、それが治まったら〈声〉が出るようになっていた』と証言したと、報告書には書いてあった」
「それが嘘ってことはない?」
「〈声〉の仕組みをしらなきゃ無理だろう」
「知っていたってことはない?」
「あのなぁ、おまえだって俺が教えたあの時まで知らなかったことだぞ。十四歳の少年がどうやって国の機密情報を知り得るんだ」
「じゃあ、一般的な声授と同じ、か」
「そうだろうな」
ダンは相槌を打ちつつ「一般的な声授」という言い方に少し笑ってしまう。
リリーがつまらなさそうにため息を吐く。
「何か方法を知っているなら教えてもらおうと思ったのに」
矛盾してるな、とダンは思う。アルタが一般的でない声授の方法を知っていたとして、その方法を試すことと、アルタの死を待つことは、リリーにとっては背中合わせだというのに。
リリーはソファから立ち上がると、滑るようにこちらへやって来る。……繊細かつ神秘的な歌声と、遠目に見た時の線の細いシルエットから、リリーは小柄な印象を抱かれがちだが、実際には結構上背がある。席に着き、長い脚を組むと、息を吸うようにラウドベリーを食べはじめる。
「おまえを見てると、ラウドベリーの摂取量が〈声〉を授かるのに影響してるんじゃないかと思うよ」
「そう? 今だからこうやって好物ばっかり食べられてるけど、三、四歳の頃は普通に食事してたはずだよ」
「だとしたら、やっぱり〈声〉については謎だな。幼少期に声授して〈声〉が発現するっていうのは、言い換えると、その時に〈声〉の器官が備わるってことだ。前々から思ってはいたが、それは、そもそも正しいのか? はじめて歌うのがそのくらいの年齢ってだけで、〈声〉の器官自体は持って生まれたものっていう可能性はないのか?」
しかし、そうなると、アルタという存在の謎がより深まってしまうが。
「きみは昔から小難しいことを考えるよね」
リリーがくすくすと笑う。「声授には、答えがある。〈声〉は、神の愛。あるいは、意思。『神様が授けてくださったもの』だよ」
「だったら尚更、俺みたいな持たざる者は考える。神が愛を授ける人間を選別しているなら、その基準を知りたい。知ってどうこうできるわけでもないが、人間の性だ」
「それは僕も知りたいかも。特に、今は。神様が必要だと思って〈声〉を授けているのなら、あの子――アルタは今がその時だと判断されたことになる。どうしてアルタだけは『今』だったんだろう。何か理由があるのか、ぜひ神様に訊いてみたい」
ダンは、横目にリリーを見た。
ダン以外の外部とはほとんど接触していないとはいえ、アルタが新しい〈鐘〉になるかもしれないという噂は、警護の警吏や使用人たちの雑談伝いにリリーの耳にも入っている。リリーは、おそらく誰よりもアルタの歌声を正しく把握し、評価している。だから、噂の現実性も認識している。しかし、自分が〈鐘〉でなくなる可能性については考えていない。
リリーは政治にも、生活にも、人間関係にも興味がない。出逢った時からそれはずっと変わらない。ただ「歌うこと」で生きている。〈鐘〉という地位にさえ執着がなさそうに見える。実際、地位そのものには執着していないだろう。ただ、疑っていないだけだ。――自分の歌声の絶対的な価値を。アルタを含め他人の歌声を正しく把握した上で、リリーは自分の歌声の価値が揺らがないことを確信している。万が一揺らぐ時がくるとするなら、それはリリー自身の歌声に問題が生じた時だ。
リリーが恐れているのは他人の存在ではない。いつだって自分自身を恐れている。
「……おまえ、アルタのことを気にするのはいいが、勝手に会いに行ったりするなよ?」
リリーは基本的に外出しないし、するとなればたとえ中央教会の敷地内であっても警備だ警護だと一騒動になる。心配し過ぎる必要はないだろうが、リリーが突拍子もない行動をとらないとも限らないことを、ダンは過去の経験から心得ている。
「わかった」
あっさりと、リリーはうなずいた。「代わりに頼みがある」
「頼み?」
嫌だな、と反射的に思う。リリーがこうして素直にこちらの言葉を聞き入れる時こそ注意が必要だった。「代わり」として釣り合ってない頼み事をされかねない。そもそも、こちらは面倒事にならないよう忠告しているというのに、なぜそれを聞き入れるための交換条件を出されなければならないのだ。
「中央マーケットの近くに、ラウドベリーを使った果実酒が評判の店ができたらしい。警吏たちが話してるのを小耳に挟んだんだけど……店の名前はわからない。ダン、買ってきてくれるね?」
マシな内容にホッとしたものの、本当に「お使い」だった。そういうのは使用人の誰かに頼んだらいいだろ、と思うが、そうすると「命令」になってしまうから気が引けるのだろう。歌うことに関しては尊大なくせして、リリーにはこういうところがある。
「あ、今舌打ちしたね? 〈鐘〉にそんな態度をとるなんて、神をも畏れぬ人間だね、きみは。その度胸を軍事副長あたりに言いつけてあげようか?」
「そうしたらおまえは評判の果実酒を永遠に飲めなくなるわけだが、いいのか?」
「それは困る」
リリーは小さく笑う。それからふと表情を落とし、もう一度「困るね」と言った。ダンがいなくなることで発生する他の「困り事」を思い出したのかもしれない。
「買えたら、買っておく」
ダンはそう答えて、ラウドベリーを一つ、口に入れた。




