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声授  作者: 昏々
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12/16

⑨-2

 ――雪が、降りしきっています。

 この時期としては、見慣れた光景です。しかし、この雪が国全体を一度真っ白にならし、新しい時代を描くための下地を今まさに作っているのだと思うと、終日の凍てつく寒ささえ尊いもののように思えます。

 この国には間もなく平和が芽吹くことでしょう。

 他国の争いは終わり、民は飢えから解放され、森には平穏が訪れる。今後この国は「歌うこと」と共に歩みを進めていくはずです。その綿々と続いていくだろう歌声を聴き届けることができたらどんなに素晴らしいだろうと、胸は高鳴りますが、私にはそうする資格がないことを、ここに告白しなければなりません。

 私は、大罪を犯しました。

 それも一度ではなく、二度。この国の人々をすべからく欺いたことも数に入れると、三度となります。いえ、これから永く続いていく未来のことを思えば、もう、その数は数えきれないものとなるでしょう。

 告白します。

 私は、神様から授かった〈声〉など持ってはいなかったのです。

 事の発端は、数十年前に遡ります。

 私には、弟がおりました。この世に誕生した瞬間から一緒の、同じ顔をした、同じ声を持った、同じ仕草をとる、まるで鏡合わせのような弟です。両親ですらよくよく観察しなければ見分けがつかないほど、私たちは瓜二つでした。

 しかし、一つだけ。私たちには決定的な違いがありました。

〈声〉です。……ここに記す〈声〉とは、日常の発声ではなく、歌う時に限った〈声〉を指します。

弟は〈声〉を持っていました。

 あれは私たちが四歳の頃だったでしょうか。ある日、弟が高熱を出して寝込んだのです。顔を真っ赤にしてぐったりしているにも関わらず、解熱のための薬や薬草が一切効かず、両親も私もひどく焦ったのをよく覚えています。特に私は、(弟との間にはこういうことがしばしばあったのですが)、弟の発熱を自分事として捉えてしまい、不調は一切ないにも関わらず身体が熱くて堪らなくなり、弟が解熱するまでの三日間、一緒に寝込んでしまったほどです。

 三日後、快方した弟はケロリとしていました。後遺症が懸念されるほどの高熱でしたが、どうやら杞憂だったようです。私はホッとし、やはり自分事として身体が軽くなるのを感じました。

 大きな病気ではなかった。何でもなかったのだ。――確かに病気ではありませんでした。知恵熱や心因性の発熱でもない。しかし、この時すでに、弟の身体には人智を超えた変化が起こっていたのでした。

その日曜日、私たち家族はいつも通り近所の教会を訪れていました。礼拝が終わり、そこにいる者たち全員で詠唱を行う段になった時です。――唐突に、その〈声〉は響き渡りました。

 弟の左隣に立っていた私は、一瞬、右耳からすべての音が遠ざかったような感覚になりました。その衝撃は凄まじく、気づいた時には床に尻もちをついていました。辺りを見回すと、その場にいた全員が呆然と立ち尽くしています。一体、今、何が起きたのか……。説明できる者は一人もいませんでした。

 私は右耳を押さえながら、弟を見上げました。彼もまた、衝撃に立ち尽くす一人でした。自分がやったことなのに……、と、私は思いました。そうです、今し方の衝撃は弟が発したものだということに、私は、その瞬間遅ればせながら気づいたのです。

 その後、家に帰った私たち家族は、弟の〈声〉について様々な検証を行いました。普通に喋った場合、大きな声を出した場合、小さな声で囁いた場合、早口、他言語、呼吸法……結果、弟の〈声〉は歌う時に限ったものである、ということがわかりました。

 両親は、弟に歌うことを禁じました。おおよそ人間のものとは思えない〈声〉に恐怖を抱いたためでしょう。一方で、私は、両親とは正反対の思いに駆られていました。弟のこの〈声〉は――神の御業だ、と。〈声〉は、きっと神様が授けたものに違いない。そう確信したのです。

 そして。

 私も、それが欲しいと思いました。

 しかし、神様が選んだのは弟です。私はただ〈声〉を目の前に、「欲しい」と願うしかありませんでした。

 弟は、両親の言いつけを守り、人前で歌うことをやめました。そうしたところで、これといった不都合はありませんでした。ただ、私は知っていました。歌うことを禁止されてから、弟が、よく森に出かけるようになったこと。それも相当深いところまで足を運んでいること。そこで〈声〉を使って歌っていること……。

 私はそっと後をつけて、離れたところからその〈声〉を聴いていました。弟の姿が見えないほどの離れていても充分に届く、人間離れした声量。けれど、歌声そのものは弟のそれなのです。柔らかく、澄んでいて、聴く者の不安を遠ざける、まるで神様の愛を感じるような歌声です。

 私たち兄弟が互いの間に「秘密」を作るのは難しいことでした。私が弟の秘密を承知しているように、その逆もまた然りだったでしょう。つまり、私の〈声〉が「欲しい」という願いは、彼に筒抜けだったはずなのです。

 私は、幼い頃から「歌うこと」を褒められてきました。ゆえに、自分の歌声を自負しておりました。たとえ〈声〉がなくとも、人の心に訴えかけることができる、と。私の歌声は、弟の歌声と瓜二つでした。弟は、人前で歌う私を見て、一体何を思っていたでしょうか。〈声〉がなかったら、と、思ったことはあったのでしょうか。

 その後、成人を迎え、私は教会に務めるようになり、弟は家業を継いで羊飼いになりました。やがて両親が亡くなったり、弟が婚約者と大喧嘩したり、放牧していた羊が逃げたり、と、生活に波風はありつつも、私たち兄弟はそれぞれ日々をつつがなく過ごしていました。

 そんな時です。私は司祭として、とある老齢の女性を看取ることになりました。女性は、私が部屋に到着すると、そこにいた家族に退出を促し、私に向かって「お話ししておきたいことがあります」と、少し緊張した面持ちでおっしゃられました。

 最期の時を前に告白を望む方は少なくありません。私はいつも通り静かにうなずき、女性の口元に耳を寄せました。

「わたしは、特別な〈声〉を持っているんです――」

 女性は言いました。……その〈声〉は幼少期に突然発現した。歌う時のみ出せる。とてつもない響きを持ち、遠く離れた場所にまで届く。とても人間業とは思えない……。「今ここで歌って差し上げられないのが残念でなりません」と、皴の刻まれた瞼を伏せました。

 告白から数時間後、女性は息を引き取りました。家族が入れ代わり立ち代わり挨拶を済ませると、遺体は私の務める教会に運ばれました。

 ――私は、ここで最初の罪を犯します。

 棺の番は、私がすることになっていました。他に人の姿はありません。その動作は我ながらあまりにも自然でした。私は、女性の遺体に近づくと、躊躇いなくその喉元にナイフを突き立てたのです。……この時の精神状態を思い起こそうとしても、靄がかかったように曖昧です。ただ、とにかく、「欲しい」という願いに駆られていました。「欲しい」「欲しい」と、それだけが頭の中で繰り返されていました。

 棺の周囲に灯されていた蝋燭の熱がやけに熱く感じられました。できるだけ丁寧に〈声〉の秘密を探ろうとしていたはずですが、傍から見ていた者がいるのなら、私の姿は間違いなく悪魔そのものだったことでしょう。

 そうしているうち、深くえぐった喉奥に見覚えのある物を見つけました。私は思わずそれを摘まみ、引きずり出しました。意外にも軽い手応えで体外に出てきたそれは、血と肉片と管にまみれて見るに堪えないおどろおどろしさでしたが、その表面の独特な凹凸には見覚えがありました。ラウドベリーです。

 なぜ、ラウドベリーが喉奥に……?

 喉に突っかかった可能性や消化不良は位置的にも時間的にもさすがに考えられません。ということは――

 私は閃きました。それは何の根拠もないただの直感でした。天啓、だったのかもしれません。

 これは、ラウドベリーではない。これこそが〈声〉なのではないか? 〈声〉は、ラウドベリーにそっくりな見た目をしているのではないか――?

 今になって思うと、遺体の喉を裂くという私の行動は常軌を逸しており、不可思議でした。〈声〉が形あるものとしてそこにあるとは夢にも思っていなかったのですから。それなのに、私は、一切の抵抗もなく罪を犯しました。まるで最初から〈声〉の在処を知っていて探し当てるかのように。

〈声〉は、人間の体内に出現する時は気まぐれですが、それを強く欲する人間を導く力があるのかもしれません。惑わす力、とも言い換えられます。……どんな言い訳を並べたところで、私の罪が罪であることは承知しています。

 そして、私は――この〈声〉を食べました。

 なぜ食べようと思ったのか。それは〈声〉が欲しかったからに尽きます。食べたら〈声〉を授かることができるのではないかと思ったのです。確証はもちろんありませんでしたし、論理的なことは何一つ考えていませんでした。考えられませんでした。

 ラウドベリーに似ていたことで、それを口に入れる際の抵抗は少なかったです。

〈声〉は、ラウドベリーのような重く甘い味ではありませんでした。血の味でした。

 そうして私が〈声〉を授かることは、しかしありませんでした。


 先の大戦は、この数年後のことです。

 この国からすると、ほとんど前触れなくはじまった戦でした。大国同士の小競り合いが瞬く間に大きな衝突へと発展し、この国にも暗い影を落としました。国内の閉塞感は日に日に強まり、教会を訪れる人々の表情も沈鬱なものになっていきます。

 私は、どうすれば人々の不安を少しでも取り除けるだろうかと、日々考えを巡らせていました。しかし、具体的な策は何も思いつきません。司祭である私には祈ることしかできませんでした。

「歌ったらいいんじゃないか?」

 そう言ったのは、弟でした。私の悩みを聞くと、明日の天気の話でもするようにさらりと提案したのです。

「おまえの詠唱は、人々の不安を森の向こうまで遠ざけるだろう」

 翌日、早速、私は教会を訪れた人々の前で詠唱しました。今まで人前で歌うのに緊張することなどなかったのですが、この時ばかりは心臓が早鐘を打っていました。詠唱後、人々の表情が穏やかなものになっているのを見た時、たとえそれが一時のことであったとしても、歌ってよかった、と、心から喜びを感じました。

 そうして詠唱を続けているうち、教会を訪れる人の数が増えていきました。小さな教会ですから、集まった全員を収容することはできず、私は野外で歌うようになります。朝も昼も晩も、人々が求める限り、詠唱しました。やがて他の地域にも足を運ぶようになり、歌うことが務めのようになっていきました。

 私は思いました。

 あぁ、〈声〉があれば。もっと、もっともっと、もっと多くの人々に、私の歌を届けられるのに――。

なぜ、神様は、私に〈声〉を授けてくださらなかったのでしょう。人々はこんなにも私の歌声を求めてくれているというのに。

 ある晩のことです。私が家に帰ると、弟の姿がありませんでした。この時間に家にいないというのは妙です。平時だったら気に留めなかったでしょうが、この時は戦時中です。この国にはまだ直接的な攻撃が仕掛けられていないとはいえ、いつ何時、どこで、何が起こるかわからない状況ではありました。

 私は、もしや……、と訝りました。弟を探しに外へ出ようとして、一度キッチンに立ち寄り、護身用のナイフを布で包んで懐に仕舞うと、今度こそ家を飛び出します。向かう先は、森です。私たちの家から森までは本当にすぐそこでした。

 弟は森にいる気がしました。いえ、絶対にいるはずです。私たちは幼い頃から意識の一片を共有しているようなところがあります。……私はこの時、私の心もまた、そうして弟に伝わっていたのだろう、と、思い当たりました。私は、自分の歌声を自負していました。 この閉塞的な空気の中、自分にできることがあるとするなら、それは「歌うこと」ではないか。そうして人々の不安を遠ざけられたらどんなに素晴らしいだろう、と。弟は、私のそんな「願い」を後押ししてくれたのでしょう。

 それなのに、私は目を瞑り続けていたのです。弟の「願い」にはずっと気づいていました。それは私と同じく「歌うこと」であり、私に「歌ったらいいんじゃないか?」と言ってもらうことでした。

でも、私には〈声〉がないから。

 ……〈声〉がないから、何だというのでしょう。私の思考はいつもそこで止まります。〈声〉がなくても、歌える。歌っている。でも、〈声〉は、まるで歌うために生まれてきた証のようで――

 私は足を止めました。いつの間にか、森の深くまで来ていました。大戦がはじまってからの森は、標識や通行用の道を失い、複雑な迷路と化しています。幼少の頃から森に入り、自宅の庭のように慣れ親しんでいる私でも、注意を怠れば遭難する危険性がありました。

 その時でした。少し先の方から、獣の唸り声のようなものが聞こえました。私はなるべく足音を立てないよう慎重に進みます。だんだんと唸り声がはっきりとしてきました。そうして、大木の影からそっと声のする方を窺うと――

 弟が、倒れていました。

 苦悶の表情を浮かべ、荒い息を吐き、しかし身体は微動だにしません。よく見ると、首から胸にかけて大きな傷を負っています。私は一瞬、森に侵入してきた敵国の兵にやられたのかと思い、まだその兵が近くにいるかもしれないと身構えましたが、弟の傷に目を凝らしてみると、それは大型の動物に襲われた時のものとよく似ていました。

 森を境にした戦争により、森に住む動物たちも殺気立っていたのでしょう。弟がここで歌っていたのなら、その〈声〉に反応し、興奮して襲いかかったとしても不思議はありません。

 弟の胸が微かに上下しています。

 私は、その様子をただじっと見つめていました。一刻も早く処置を施さなければという焦りと、もう手遅れだろうという諦めが、同時に胸を去来していました。弟の呼吸はどんどん浅く、弱くなっていきます。そして、私は気づきました。私は、弟が息を引き取るのを待っているのだ、と。

 間もなく弟は苦悶の表情を解き、全身から発していた緊張を緩めました。私はそっと近づき、傍らに膝をつきます。脈をとろうとして、やめました。代わりに、懐から、護身用に持参していたナイフを取り出します。

 ……この時、私が何を考えていたか。

 それは〈声〉のことです。それだけです。

〈声〉がそこにあるのなら、とらなければいけない。手に入れなければならない。

 私は、弟の喉に刃を当てました。

 私と弟の違いは何だったのでしょう。顔も、声も、歌声も、これほどまでに似ているのに。神様はなぜ弟をお選びになったのでしょう。〈声〉を授けるのは、私ではいけなかったのでしょうか。

 弟の喉から大量の血が溢れます。遺体の喉を裂いた時とは比べものにならない量です。真っ赤に染まる自分の手を見ながら、あぁ、弟はまだ生きていたのだな、と思いました。そして、ならば〈声〉もまだ生きているはずだ、と、直感しました。

 弟の〈声〉も、やはりラウドベリーそっくりでした。前回と同じく、私はそれを口に入れました。強い血の味が広がります。反射的に嫌がる喉を必死で動かし、私は〈声〉を体内に収めました。

 その後、弟の遺体を埋葬し、私は家に戻りました。

 すでに陽が昇っていました。この日も少し離れた地域で詠唱する予定だったため、すぐに支度をしなければなりませんでした。しかし、家に入った途端、私はその場に座り込んでしまいました。椅子に座る気力すらないのです。今し方自分が仕出かしたことに対する恐ろしさがようやく追いついてきたためかと思いましたが、全身がやけに熱く、吐く息も湿っています。そこでようやく発熱している可能性に気づきました。

 そして、不意に、思い出したのです。幼い頃、弟が高熱を出したこと。薬や薬草が一切効かなかったこと。しかし、その後ケロリと回復したこと。そして、〈声〉を授かったこと――

 予感は的中しました。数日後、解熱した私は、再び、人々の前に立ちました。半信半疑のまま、息を吸い込み、詠唱をはじめると……その歌声は、遠く広く彼方まで響き渡ったのです。

 私は〈声〉を得たのです。

〈声〉は、神の御業です。私の両親のように畏れを抱く人もいるでしょう。しかし、私は、この〈声〉を自分だけに聴かせて終えるつもりはありませんでした。

〈声〉は、多くの人々に歌声を届けるためのもの。歌うために生まれてきた人間の証なのです。たとえそれが自分の持って生まれた〈声〉ではなくとも、「授かった」ことに変わりはありません。

「歌ったらいいんじゃないか?」

 私の中に声が響きます。それは弟のものなのか、自分のものなのか。……私にわかることはないでしょう。


 ――この国の平和は目前です。〈声〉によって、「歌うこと」によって、今後もこの国には穏やかな日々が続いていくでしょう。その礎は、私の罪です。赦されざる大罪です。自らの命を差し出したところで、償い切れるものではないことは、理解しています。それでも、新たな罪になることは承知の上で、これ以外の方法は思いつかないのです。

 最期に、後世に残すとするのなら。……私が弟に対して行ったことは、絶対の秘匿としてください。私の罪を隠蔽してほしいという意味ではありません。私のように〈声〉に魅せられ、他者を殺めてまでその〈声〉を奪おうとする者を二度と出さないためです。〈声〉には、人間には計り知れない魔力のようなものがあります。それは吉にも凶にも成り得るものだと、私は身を以て確信しています。

〈声〉は、神によって授けられる。そう言い伝えられていくことを強く望みます。

 この国には、弟や私が看取った女性以外にも〈声〉を持つ者が存在しているはずです。彼らは、今後長きに渡り、「歌うこと」によってこの国をあるべき姿に導き、人々の不安を森の向こうへと遠ざけるでしょう。使命を持って生まれた彼らに、あらん限りの祝福が降り注ぎますよう、私は祈ります。

 雪が、降り続いています。

 春が訪れ、新たな歌声が芽吹くことを心より願って、筆を置きます――


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