⑨-1
アルタの故郷から中央教会に戻ったダンは、その足で執務館へ向かった。閑散とした館内を白亜の壁を横目に足早に進む。向かう先は軍事部副長室。約束は取りつけていないが、そんな段取りを踏んでいる時間はなかった。
部屋の前、息を整えてから、ダンは扉をノックした。中から声が返ってくる。副長は在室していたようだ。ホッと息を吐くと同時に、緊張に手の平に汗を掻く。声をかけてから、覚悟を決めて扉を開けた。
正面のデスクに、ヒューゴはかけていた。
ダンはデスクの前で立ち止まる。アルタの故郷に行って来たこと、そこで見聞きしたことを総合して自分が一つの「確信」に辿り着いたことを、ありのまま報告した。
「これからアルタと面会しようと思います」
自分の「確信」が本当に正しいのか、答え合わせをしなくてはならない。
「私も同席しましょう」
ヒューゴが言った。そうするのが当然であるという言い方だった。確かにそうだろう。今回の件はアルタが新しい〈鐘〉となるかもしれないがための調査だ。そのアルタを〈鐘〉に推しているのは、他でもないヒューゴなのだから。しかし、と、ダンは目を細める。ヒューゴには「確信」の一つ先の思惑がある……。
「いえ、まずはアルタと二人で話をさせてもらえませんか」
ダンは言った。「この件は、俺に任せてもらえるんですよね?」
せめてもの抵抗だった。軍事部副長を、父を、ダンはどうやらあなどっていたらしい。いや、あなどらされていたのだ。まんまと手の平の上で踊らされてしまったことは、憤懣やるかたない。
(まあ、この人からしたら、こっちの抵抗なんて蚊に刺されるより何でもないだろうが……)
ヒューゴはゆっくりと椅子の背に凭れながら、ダンを見すえた。表情がないのは変わらないが、ダンがどこまでヒューゴの思惑を察したのか、推し測っているのが窺えた。
「……わかりました」
目を閉じ、ヒューゴがうなずく。「最後までおまえに任せましょう」
「ありがとうございます」
「ただ、私もアルタに話しておきたいことがあります。彼との面会は軍事部の部屋を使いなさい。おまえとの話が済んだ後で、アルタにはそのままそこに残ってもらいましょう。頃合いを見計らってそちらへ向かわせてもらいます」
そう伝えておいてもらえますか。と、ヒューゴは淡々と言った。
「わかりました」
うなずきながら、しかし自分の「確信」が当たっていた場合、とてもじゃないがそんな言伝をできる状況ではなくなっているだろうと思う。……ダンは、そうならないことを願っている。それではあまりにもやるせない。
一礼し、部屋を後にする。
廊下を出たところで、通りすがりの司祭に声をかけ、アルタに届けてもらうよう、ヒューゴから渡された軍事部の部屋番号が書かれた紙を託した。
軍事部の一室。ダンは、アルタを待つ。
室内は、副長室よりもさらに簡素だった。飾り気がなく、数人が囲んで座れる大きなテーブルがある他には調度品の一つもない。ダンの靴の踵がコツ、コツと音を刻む。「確信」の中身を整理しようと頭を回すが、先ほどからまったくうまくいっていない。気ばかりが急く。アルタの一刻も早い到着を待っているようで、このまま顔を合わせずに済んだらどんなにいいかと、焦燥に駆られる。
扉の向こうから、微かに靴音が聞こえた。それはだんだんと大きくなる。そして、室内にノック音が響く。ダンは唾を飲み込み、
「どうぞ」
と、応じた。
「失礼します」
ゆっくりと開かれた扉の隙間から、アルタが顔を覗かせた。前に話した時も思ったが、〈声〉の響きがなくても、アルタの声はよく通る。それは確かに持って生まれたものだろう。
ダンは、向かいの席をアルタに勧めた。
「急ぎの話があるって伺ったんですけど……」
アルタは遠慮がちに室内を見回した。ダン一人しかいないのを訝しんでいるようだ。それもそうだろう。新しい〈鐘〉の候補と、今の〈鐘〉の専属警吏が一対一で話し合うなど、妙なことだ。
ダンは「急に呼び出して悪かったね。遠征中じゃなくてよかった」と言いながら、アルタを正面から見すえた。黒い髪に、黒い瞳。愛らしい顔立ちをしているが、印象に残るような派手さはない。どこにでもいる、普通の少年に見える。
頭の中は、まだ整理がついていない。本当は気持ちの方も、まだ。しかし、ヒューゴは「頃合いを見計らって」ここへ来ると言っていた。それは「それまでに話を済ませろ」ということだ。躊躇っている時間はなかった。
ダンは、深く息を吸った。
「……まずはじめに、告白しておくことがある」
アルタが小さく首をかしげる。
「これまで、この国では、元・声果隊員の遺体の喉が掻っ切られる事件が何件も起きていた。犯人は『悪魔』と呼ばれ、美しい〈声〉に魅せられ、魂が天に導かれる隙をついて犯行を重ねている、と。――知ってるな?」
アルタが一瞬、まぶたを震わせた。「はい」と、短くうなずく。
「その犯人は、俺だ」
「えっ……?」
「とある事情があって、俺は元・声果隊員たちの喉を裂いていた。その事情の詳細は話せない。ただ、まあ、とにかく『悪魔』の正体は俺なんだ。その上で……アルタ、きみに訊きたいことがある」
ダンは、アルタを捉える。
「アルタ。きみも――〈声〉をとったことがあるな?」
アルタが息を詰めた。その瞳に動揺が走る。視線が、そこにある何かを探すみたいにテーブルの上を彷徨う。
「何をおっしゃっているのか、わかりません」
「きみの故郷に行って来たんだ。二年前に起こった強盗殺人事件の現場となった家を見てきた。それから、きみの叔母さんにも会ってきた」
「叔母に?」
「ああ、そうだ。そこで――」
ダンは、アルタの故郷で得た情報と、そこから導き出された「確信」を――一先ず、アルタ自身が認識しているだろう範囲内で――話して聞かせた。……アルタの顔からみるみる血の気が失せていく。そして、もう一度、改めて〈声〉をとったことを確かめようとしたその時、アルタが椅子を蹴って立ち上がった。
その目にはっきりと恐怖の色が浮かぶ。罪を暴かれたことに対する動揺ではなく、罪を犯した瞬間の記憶が蘇ったのかもしれない。額に汗を掻き、肩で息をし、浅い呼吸を繰り返す。
「座ってくれ」
ダンはできる限り穏やかな声音を意識して言う。
「俺はさっき自分が『悪魔』であることを打ち明けた。それは、きみが他人の〈声〉をとったことがあったとしてその事実を公にするつもりがないという、意思表示のようなものだ。もちろん自首を勧めるつもりもない。俺の胸の内に留めておく」
警吏として不適当な発言であることは重々承知している。しかし、自分が真っ当な警吏であったことなど一度もないことを、ダン自身が一番よく知っていた。
「ただ……、本題はここからだ」
アルタが目を上げる。瞳が揺れている。
「きみは、知っておかないとならないことがある。俺も、本当のことを知りたいと思ってる。きみをこうして呼び出したのはそのためなんだ」
自分の「確信」がはずれてくれていることを、ダンはこの期に及んで願ってしまう。……アルタが「違う」と言ってくれたら。本当はずっと昔に声授していて、歌わずに隠してきたんだと告げてくれたら。十四歳で声授したというのは嘘だったんだと認めてくれたら。それは、どんなにいいだろう。
「これを読んでほしい」
ダンは、テーブルの上に数枚の古紙を滑らせた。例の機密文書だ。先ほど、副長室を訪ねた際、ヒューゴに事情を説明して持ち出しの許可を得た。もちろん、本来はヒューゴの許可だけで扱えるものではなく、発覚すれば親子揃って投獄以上の罰は免れない。
それでも。どんなリスクを冒しても、アルタには読ませなければならなかった。
「……なんですか……、これ……」
アルタが文書に手を伸ばす。
「この国の最重要機密文書だ。そして、」
ダンは目をつむる。
「遺書、だ。逸話の司祭の」
目の前で、息を呑む気配がする。
ダンは目を開ける。テーブルの上で祈るように手を組み、顔を伏せた。アルタの顔をまともに見る自信がなかった。
「とにかく、読んでくれ」
古紙の擦れるわずかな音が、耳に届いた。




