煙の佐吉
近頃、保土ヶ谷の宿の旦那衆の中では、江戸で名を馳せた泥棒の噂が飛び交っておりました。
何でも、煙の佐吉と言いまして、急ぎ働きはしない、仕事は必ず独り、取るものは根こそぎは取らずと言う、今時珍しい泥棒でございまして、その佐吉がこの辺りでほとぼりを冷ましていると言うのです。
「旦那さん。聞いたかい?」
昨年の歳神様の騒ぎから、播州屋に三日と開けずに訪れるようになった尼寺の住職。
どこからか噂を仕入れてきたのでしょうか?
「煙の佐吉ですかい?」
「知ってたようだね」
町の旦那衆の間でも話しに上っておりますし、商家としては明日は我が身と思いましても不思議ではありません。
「町の旦那衆の間でも、話題に上がりまして」
あったことをそのまま伝えます。
「やっぱり、商人は耳が早いね」
商人は、人と合うことも仕事のうちでございますので、その時々の様々な話しを耳にします。
「お役人にも顔が利く、越後屋さんがいますからね」
そこは越後屋さんのおかげです。
やはり、江戸の方にも顔が広いこともありまして、いち早く報せが入ったようでした。
「そうだった。同心の旦那方にも顔が利くんだったね」
住職と話しをしていますと、ふと思い出したことがありました。
「もしかしたら、お初は知ってるんじゃないですかね」
歳神様の騒ぎの際に、野良猫の網を使った探索方法を作っていたお初のことですので、もしかしたらすでに耳にしているかもしれません。
「何を?」
住職はキョトンとした顔になります。
「煙の佐吉の行方ですよ」
「野良猫の網か!」
私の答えに、住職も合点がいったようです。
◆
「いやいや。猫どももタダじゃないだよ」
お初に野良猫の網のことを聞いたところ、そのような返事が返ってきまして。
「タダじゃないって、煮干しでも配ったのかね」
からかうような口ぶりで住職が言いますと、お初は住職の肩をポンと叩きます。
「猫といったら煮干しだろう?なぁ、弥七」
「何?姐さん。煮干しくれるの?」
猫の姿で鞠に戲れていた弥七が、頭だけ起こしてお初を見ます。
◆
「煙の佐吉。気になりますか?」
夕餉の後に囲炉裏端で茶をすすっていますと、お初が穏やかに聞いてきましたが、実のところ、それほど気になってはおりません。
それも、江戸働きを終えて、ほとぼりを冷ましている盗人が、その滞在先で勤めを果たしては、それこそ本末転倒というものです。
世を忍ぶ仮初めの姿に宿。
下手をしてしまえば、それらを失うことになるからでございます。
「私はね。煙の佐吉はこの宿だと、思いの至らないような姿で、堂々と暮らしているような気がするのですよ」
農家なのか、町人なのか、それとも越後の縮緬問屋を名乗っているのか、それは当の佐吉しか知らない事です。
「それは、商人の勘のようなもので?」
お初は、佐吉というよりも、私の話の方に興味があるようでした。
「いえね。古いやり方の盗人なんかは、一味で商家や大工をやったりするもんだと、耳にしたことがありましてね」
「堅気の仕事もしてたのですね」
驚いたような顔をするお初。
盗人が、日頃は商家や大工になって、自分の隣人として暮らしてるなんて、思いもよらないことですから。
「中には、商家を建てるところから仕掛けが始まって、何年も商家の生活を見て、ここだと言うときに盗みをしたってのも聞いています」
日本橋の駿河屋に、たまにいらっしゃっていた、岡っ引きの親分さんから聞いた話しですから、どのくらい尾ヒレが付いているかは分かりません。
「もしかすると、うちにも隠し扉なんかがあるかもしれませんよ」
お初は、そう言うといたずらっぽく笑いました。
そんなものがあったら面白いなと思うものの、家主の知らないものがあることに背筋が冷えるのも確かです。
「あるよ。こっち」
猫の弥七が立ち上がって、奥の間の方へと駆けていき、その後ろ姿を見送ると、お初と顔を見合わせてしましたした。
「やだ。冗談のつもりでしたのに……」
頬に手を当てつつも、どこかワクワクしている様子です。
私たちも腰を上げまして弥七を追い、奥の間の方へと移りました。
◆
いつもお初と二人で寝る部屋の隅で、猫の弥七が壁をカリカリと引っ掻いていました。
「弥七。そこなのかい?」
近づきますと、わずかに隙間風を感じます。
「ここだよ。旦那」
場所は分かりましたが、どうやって開けたものかと思案を巡らします。
このような隠してあるものと言いますのは、何かしらの仕掛けがありまして、その手順を守らないと開かないなんてことがあります。
箱根の寄木細工を思い浮かべて下さると、それに近いものだとお分かりになるでしょう。
漆喰塗りの下側は板壁となっております。
てっきり、漆喰壁の上に貼り付けてある飾りだと思っていたのですが、一部は違っていたようでした。
板壁の部分を拳で軽く叩きますと、弥七がカリカリとしていた場所は、他のところよりも乾いた音に聞こえます。
「この辺りにありそうなんですがね…仕掛けが分かりませんね」
ポリポリと月代を掻いてみます。
「棟梁さんに見てもらいましょうよ」
そう言って両手を合わせる。
餅は餅屋。家のことは大工に聞くのが一番ですね。
◆
大工の棟梁が木槌を使い、件の板壁を軽く叩いて何やら調べておりますが、素人目には何が何やらです。
本職には、私が見えていないものも見えるのでしょう。
「んっ!?ここか…こうやって、こうじゃろ!」
コトン。
壁の向こうで、何かが落ちた音が聞こえました。
「これで開いたな」
板壁がキレイに切り抜かれたように引き出されますと、壁の向こう、外壁の板塀が見えました。
「こりゃぁ……たまげましたね」
「修繕のときに気づかなかったとは」
「ここまでキレイにされてますと、なかなか難しいのではないですか?」
「そう言ってもらえると助かるんだがな…やっぱり本職として見抜けなかったのはな」
棟梁は肩を落としますが、手にしている板壁の仕掛けに、何かが書かれているのが見えました。
「棟梁さん。それは何でしょう?」
私がそれを指さすと、棟梁さんも覗き込む。
「銘が入ってら。余程の自信作だったんだろうな」
銘。
刃物等の作られたものに、作者の銘(名前や通り名、ブランド名)を彫り込むことがありますが、隠し通路の仕掛けにも彫ることがあるのですね。
「おっ!帷子町の朔太郎かよ」
同じ町内の職人さんのようです。
「朔太郎さん。あまり聞かない名前ですね」
同じ大工さんだからこそ知っていたのでしょう。
「やっこさん。江戸の方で仕事するばかりだからな」
以外なところから、思わぬ報せが入るものです。
「ここのところ、そば屋の歳で見かけるな」
煙の佐吉。
おそらくではありますが、朔太郎さんがそうなのでしょう。
◆
棟梁に仕掛けを見てもらって数日。
「ごめんなすって。播州屋さんてのは?」
暖簾を潜って現れた男。
「私でございます」
私は人伝に、朔太郎さんへ仕事の依頼を出しました。
「それで、あっしに仕事というのは?」
「こちらです」
そう言って、上がってついてくるように促しました。
小上がりから濡れ縁を通り、奥の間へ案内します。
そして、件の板壁の前。
外したままにしてあったそれを見て、朔太郎さんの顔から血の気が引いていくのが分かります。
「ご存知なのでしょう?」
商人の笑みを浮かべたままの問い。
「あっしはこのまま…」
何かを覚悟し、あきらめたようでした。
「いえいえ。ここは商家でございますから、このような仕掛けを、そのままにしておくことはできません」
顔を伏せたままの朔太郎さん。
「ここを直してさえいただけましたら、うちのことはこれで手打ちといたしましょう」
私の言葉にはっと、上げた顔は驚きと呆れの入り混じった表情をしております。
「えっ!?役人に突き出すんでなく?」
急ぎ働きの浪人崩れが増えた昨今。
盗みの現場、それは凄惨なものであると耳にしております。
そんななかでも、昔気質の盗みをつづける佐吉のような盗人には、盗まれて悔しく思うよりも、その技の見事さに舌を巻いてしまう方でございます。
大きな声では言えませんが、そんな盗人に敬意を抱く一人なんですよ。
「江戸から人相書きが回ってきているならまたしも、この辺りでは噂話しが聞こえてくるだけです。それも、煙の佐吉…でしたかね」
私の話しが進むにつれて、涙ぐんでおりましたが、終わる頃には男泣きに泣いておりました。
「旦那。ありがとう。ありがとうございやす」
覚悟があっての盗人稼業なのでしょうが、その覚悟に肩透かしを喰らうと、人間てのは涙もろくなるってものです。
◆
その後、奥の間の板壁を直して下さいまして、朔太郎さんは帰っていかれました。
「旦那さん。よかったのですか?」
「朔太郎さんのことかい?」
お初の言わんとしていることも分かります。
朔太郎さんはしばらくの後に江戸に戻って、盗人に戻るのでしょう。
そして、いつかは御用になるのかもしれません。
「朔太郎さんが煙の佐吉と結ぶのは、町方の旦那方の仕事でしょう」
保土ヶ谷の宿では被害もないのですから、お役人の動きも鈍いでしょうし、それに、身に迫る危険を感じ取れば、朔太郎さんは江戸に身を移すことでしょう。
「それもそうだね」
壁の仕掛けで満足したのか、お初もそれ以上は口も手も出すつもりは無さそうです。
◆
煙の佐吉の騒動も忘れ去られ、季節は何度も巡りまして、私も随分な歳となりました。
「旦那さん。店に、古い顔なじみと申す男が、参っております」
いつまで経っても話し言葉の硬い颯。
始めは手代でございましたが、今では立派な番頭でございます。
「弥七。また、旦那の膝の上であったか、忙しいのだよ」
颯が私の膝の上から、弥七の首根っこを摘んで、店の方へと運んでいきました。
その後をよっこらせと立ち上り、店の方へと顔を出しますれば、そこには朔太郎さんがいらしておりました。
「朔太郎さん。達者だったみたいだね」
小上がりに円座を出して、それを勧めます。
私も帳場の外に円座を出して、またまた、掛け声一つ、腰を下ろしました。
「旦那さん。こんなのを扱ってはみませんか?」
出してきたのは、木目の美しい四角。
「これはまた……どうやって開けるんだい?」
箱だとは思うのですけれども、明け方がよく分かりません。
「これをこうして、こう」
朔太郎さんの手のなかで、形を変えた四角の物から、引き出しが出てきたじゃありませんか。
「これは何ていうものなんだい?」
「寄木細工っていいます」
「こりゃいいね、見栄えも美しいし。颯、少し仕入れてご覧よ」
「あぁ、確かに面白い。幾つ用意できるんだ?」
「月に十といったところです」
颯が算盤を弾き、仕入れから売り出しまでにかかる、算段を考えているようです。
「こんなもので、いかがか?」
「いえいえ、助かります。いつから納めましょう」
「そう売れるものではないからな、次は三月後だと、どうだ?」
二人のやり取りは、商売そのもの。
こうして茶を飲みながら、ゆったりと見られるようになるなんて、あの頃の私は思いもよらなかったことです。
こうやって、店も職人の技術も受け継がれていくのでしょうね。




