廃寺の預かりもの 三篇
「そう言えば、お蜜。何か、私に話すことがあったんじゃないのかい」
「そうでしたわ。すっかりイタズラ心に火がついてしまいましたわね」
「何か持ってるようだけど」
お蜜の手に持つものを指さして、住職が聞いていました。
「そうです。これなのですがね」
ボロに包まれた物が差し出されます。
「何でしょうね」
お密から受け取りまして、ボロを開いていきますと、乳白色をして僅かに輝いている、石のように見えます物が出てきました。
大きさは底面が一寸四方で、長さが三寸ほど。
手に取ってみますとほんのりと温かく、底面には何やら彫られておりました。
印章でしょうか。
「印章……判子ですかね」
「押してみたら良いんじゃないかい」
「それもそうですね」
文机の引き出しから朱肉を取り出します。
「なんですか。その朱いのは」
「朱肉と言ってね。印章に色をつけるものなんだよ」
朱肉に彫りのある方を押し当てまして、それを出しっぱなしにしておりました、仕入れ額の試し算をかきだした紙に押し付けます。
印章を持ち上げましたら、絵であるのか字であるのか、分からないものが現れました。
「こりゃ、神代の字なんじゃないかね」
住職が覗き込んで、そう言いました。
お蜜も脇から私の手元を覗き、弥七もお初の姿のままで、帳場の衝立に肘をかけて覗き込んでおります。
なんとも眼福な光景でございます。
「私にゃ、読めないねぇ〜。だけど、読めるやつを知ってるから、聞いてこようか」
さすがに顔の広い住職です。
「ならば、キレイな紙に押し直しましょう」
「そうだね。それがいい」
文机の袖から、真新しい紙を取り出しまして、もう一度、その印章を押しました。
「紙だけ預かっとくから、そいつはしっかりしまっておいた方がいいね」
「ボロじゃない方がいいかな……。」
「いや。そのボロがいいみたいだね。見た目はあれだけど、洗ってみてみなよ」
「はぁ……お蜜。頼めるかい」
「元よりそのつもりでしたので、洗ってきますわ」
「印章は琉夏の珠と、一緒にしておきます」
「ボロが乾くまでは、そうしとくがいいかもね」
私は懐から小さな巾着を出しまして、その中へ印章を入れ、再び、懐へとしまいました。
「そんじゃ、近いうちに話してみるわ。また、来るよ」
「お気をつけて」
そう言われて、住職は帰って行かれました。
しかし、あの印象は誰が落としていったものなのでしょうか……まぁ、タヌキのカンにカワウソのヒヤのどちらかだとは思うのですがね。
◆
夕餉の頃になりますと、朝出ていきました二人と二匹が帰ってまいりました。
その顔に浮かぶ表情は、疲れを感じさせます。
夕餉の支度に風呂を沸かして、寝床まで準備しておりまして、探索方を迎える準備は万端でございました。
「ただいま帰りました」
お初の声でしたが、顔も疲れていれば声も張りがありません。
そこまで疲れさせるなんて、何があったのかは気になりますが、先に風呂と飯にしてしまいましょう。
「ずいぶんとお疲れのようだね。お初から順に、湯を浴びてしまいなさいよ。颯と二匹は、お茶でも淹れますから、少し待っていなさいな」
「かたじけない」
颯が小上がりに、どっかと腰を下ろします。
このように疲れ切った颯等、そうそう見られるものではありません。
「先に水の方がいいね。汲んでくるから、待ってなさいよ」
裏の井戸から冷えた水を鍋に汲み、それと湯呑みを携えまして店の小上がりへと戻りました。
「御三方。どうぞ飲んでくださいよ」
柄杓で汲んだ水を湯呑みに注ぎ、颯と二匹の前に差し出しましす。
「いったい、何があったんだい。颯が、そこまで疲れてるなんて、余程のことでもあったのでしょう」
「思わぬ落とし穴とでも申しましょうか……。」
一体、何があったというのでしょう。
しばらくしますと、湯から上がってきたお初が店先に戻ってまいりました。
「颯も浴びてしまいな。さっぱりするだけでも違うよ」
「では、いただいてきましょう」
団扇を片手に、私の隣に座り込みその身を預けてきました。
「余程。疲れたのですね」
「参りましたよ。山谷をあんなに駆け回ったのなんて、生まれて初めてでしたよ」
「一体。何があったんだい」
「心して聞いてくださいよ」
「分かりました。何があったのか、話してください」
お初が語った。栗林での一件は、私の心に影を落とすような内容でございました。
◆
お初たち一行は栗林の廃寺近くに着くと、その辺りに異様な空気が満ちており、皆に緊張が走った。
「何かいるね。颯。頼むよ」
「はっ。見てまいりましょう」
抱き合って震えているタヌキとカワウソを抱え上げて、両脇に抱えましていつでも駆けられる準備をします。
「お初さん。まずい、見つかった」
颯が慌てた様子で、お初たちのいる茂み近くへと駆け込んできます。
「なんだい。お前なら、いなすなりできただろう」
お初はそう言いながら、片手のカワウソを颯に投げる。
颯は宙を泳ぐそれを受け取ると、脇に抱えてそのまま駆け抜けました。
お初も続くべく、駆け出します。
「あのお方が相手では、死闘になりますよ」
颯の言葉に追ってくる影に目を向ければ、黒の紋付に陣笠を着け、ぬらりと光を映す抜き身を下げた者が見えた。
「青山」
先日、弥兵衛さんを訪ねてきたお侍の青山某。
その相貌は紅く光を放ち、地獄の悪鬼のような形相と、身体からも暗い霞のようなものを垂れ流し、私たちを追ってくる。
「山を駆けて撒きましょう」
「半刻も走れば、人なら止まるだろうからね」
お初も鬼ならば、颯も狐の妖です。
人より長く走ることにはできるのでしょう。
しかし、その目論見は外れたようです。
タヌキやカワウソの案内で、獣道を駆け抜け、沢を飛び越え倒木を潜り……。
「なん……なんだい……バケモンだよ」
「人じゃ……なくなってるのでしょうね」
「姐さん。あそこの陰に、やり過ごせそうな虚がありまっせ」
カワウソの言葉で沢の岩陰に、術で開けられるという虚と呼ばれる空間。
そこに、術を放って飛び込みます。
「南無三」
そこへ颯も飛び込むと、内から閉じて悪鬼の如くとなってしまった青山某をやり過ごせれば、そう思いしばらくそこへ身を潜めていました。
姿が見えなくなって、しばらくしてから虚を出て、廃寺を諦めて保土ヶ谷へと帰ることにしたのですが、山を下りきるところで再び見えてしまい。保土ヶ谷まで虚を使いながらの追いかけっこを繰り返して帰ってきたのてす。
◆
「青山様……。」
「信じたくはないだろうでしょうが……。」
「いえ。お初が言うのです。間違いはないでしょう。しかし、何があったのでしょう」
先日、久方ぶりにお顔を拝見した時には、お変りない様子でしたので、その後でしょう。
探していた者と、何か関係があるのでしょうかね。
「夕餉にしましょう。私とお蜜で準備したものですからね。カンにヒヤも」
「あっしらも、良いのですか」
「あちきも腹が鳴って、しかたなかったんですわ」




