廃寺の預かりもの
「御免」
そんな声が聞こえまして、書き付けておりました帳面から目を上げますと、黒の紋付羽織に陣笠と二本差しという出で立ちのお武家様が立っておられました。
帳場から出まして居住まいを正しまして、深く礼をいたします。
「いかような御用向きでございましょうか」
間口で陣笠を外されまして現れた顔は、日本橋の駿河屋におりました頃、お世話になっていましたお人でございました。
「これは。青山様」
「弥兵衛。久しいな」
「息災でございましたようで」
「お前もな。弥兵衛」
青山様はそう言いますと、小上がりにどかりと腰を下ろされました。
「お初。湯を持ってきておくれ」
奥にいるであろう、妻のお初に声をかけます。
「いやいや、それには及ばん。少し顔を見たくて寄ったまでだ。それよりも、茶をもらえるか」
「でしたら」
住職がよく来られますので、帳場に茶の用意もしてあります。
急須に入れた茶の葉に、火鉢の鉄瓶から湯を注ぎ少し蒸らしましてから、後から追って湯を注ぎまして湯呑みへと茶を注ぎました。
少し冷ましまして伊勢屋の饅頭をお共に、青山様へと差し出しました。
茶を受け取りました青山様。
余程に乾いてらしたようで、湯呑みの茶を一息に飲んでしまわれました。
そして、もう一杯とでも言うように、湯呑みを私の方へと突き出します。
その手の湯呑みに、急須の残りを注ぎ込みますと、再び、その茶も一息で飲んでしまわれました。
「っはぁ……生き返るようだ。いや、駆けに駆けて来たものでな」
「そうでございましたか。また、捕物でございますか」
湯を急須へ入れなおしまして、空になった青山様の持つ湯呑みへと注ぎます。
「江戸で急ぎ働きばかりする一味が、こちらの方へと身を隠しているという話しを聞いてな」
「そういうことでございましたか」
「盗みも徒党でとなるとな……町方には荷が重い」
「火付盗賊改方の出番というわけでございますね」
火付盗賊改方。
徳川家御先手組の臨時役職で、江戸では重罪とされる火付け、博打、盗みの中でも押し込み強盗のような犯罪を取り締まる役目を持っています。
また、町方とは違いまして、その捜査は江戸だけには留まらず、徳川家直轄領の武蔵国も対象でした。
一度、汚職の横行で役が意味をなさぬようになりますと、その役は廃止となるのですが、再び、歴史の舞台に登場いたしますと、管轄は関東八州となりまして、広域機動隊のような働きであったとされています。
「そう言うことよ。ところで弥兵衛。この街の顔役は誰なんだい」
「本陣の苅部様でございますが、青山様のご用向きでございましたら、越後屋の御主人でございましょう」
「話が早くて助かる。どれ、馳走になったな」
「青山様。ご一緒しますよ」
奥のお初に声をかけまして、青山様と共に越後屋さんへと足を運びました。
越後屋さんは戸塚側の見付の方でございますので、江戸見附側の播州屋とはいくぶんか離れてございます。
それでも街道沿いでございますので、道を行けば辿り着けるのでございますが、大恩ある青山様でございますれば、案内しないわけにはいきません。
◆
「御免よ」
越後屋さんに伺いますと、店先には幾人かのお客さんとそれに案内をしている手代さんがおりました。
「御主人はいるかい」
「播州屋さん。そちらは」
手代の男がこちらを伺います。
「江戸のお武家さんでね。私の古馴染みなんだよ」
「そうでしたか。主人は奥におりますので、こちらへ。おい。旦那に播州屋さんがお越しだと」
「はい」
帳場の小上がりで、別の手代さんの手伝いをしていた小僧さんが、奥の方へと小走りに行かれました。
「では、こちらへ」
青山様と二人。越後屋さんの奥へと案内されて行きます。
「よくいらっしゃいました。私が主人の越後屋為蔵と申します」
付き合いも一年となっていましたが、越後屋さんの名を聞くのは初めてで御座いました。
屋号で呼び合う事に慣れている、商人の性というやつでございますね。
「そう、畏まらんで良い。この弥兵衛のやつに、町の話しを聞くなら、お前だと言われたのでな」
「そうでございましたか」
越後屋さんの女中に茶と菓子を供され、出ていきますと、部屋の周りから人の気配がなくなりました。
「人払いもいたしました。気兼ねなく」
「気遣い。痛み入る」
「それで、御用向きのほどは」
大店の主人とはこうするものなのかと、感心するばかりで御座いました。
「火付盗賊改方の役でな。俺は青山という」
「青山様でございますか。それで、そちらの播州屋さんとは、どういったご関係で」
「駿河屋で世話になってました時に、ずいぶんと目を掛けて頂きまして」
「こやつも童の頃は、浅草やら巣鴨やらで暴れておったからな。ほとほと手を焼かされたもんよ」
「そういう青山様も」
「ははははっ。互いに童だったからな」
「ずいぶんと古いご関係でいらしたのですね」
青山様のお話しに、越後屋さんは意外なものでも見るように、私を見ておられます。
私からいたしますと、海の男たちをまとめている越後屋さんの方が、もっと興味深いお話しが聞けそうですがね。
「それでな。ここからはお役目の話しになるのだが、この一月くらいで、見慣れぬ者たちがいつくようになったようなことはないか」
「宿場でございますから、出入りは多くございます。……居着いてとなりますと、手前の耳には入ってはございませんね」
保土ヶ谷の宿で右に出るものはいないとまでされる、越後屋さんの耳の早さでも、掴んでおられない。
そうなりますと、宿場から離れた集落や山奥の廃寺などにでも、潜んでおるのでしょうかね。
「そうか……しばらく藤屋で世話になるゆえ、何か耳に入ったら、そちらに頼む」
「はい。畏まりました」
「話しは変わるが、越後屋。こやつの嫁はすごいな」
「お初さんですね。いやいや、どこから見つけて来たのかと」
お役目の話しが終わって、越後屋さんを出るのかと思いましたら、私の話しへと変わりました。
突然のことに、ギョッとさせられるばかりでございます。
兎に角、お初や店の者が妖であることを、口を滑らせないようにせねばなりません。
「で、どうなんだ弥兵衛」
青山様のお顔は、共にイタズラをして回ったあの頃の、ガキ大将の顔になっておられました。
これは、逃げられませんよ。
「私も東海道を、それは何度も行き来しましたからね」
「なら、どこかの宿場で見初めたってやつか」
「店を開いてしばらくしたら、突然、お連れになりまして、私共も驚きましたものです」
「てぇと。ずいぶん前から、いい仲の女がいたってのか……女遊びを袖にされる理由が、分かったわ」
「そんなことまで」
「青山様。青山様。そろそろ、暇と……。」
「いやいや。折角ですから、弥兵衛さんの話しを肴に、一献いかがでございましょ。青山様」
「気が利くな。越後屋」
酒の呑めない私は、二人からの質問攻めに、針の筵に座っているような心地でございました。
◆
「昨夜は悪かったね。青山様のお話しが面白くて、つい、深酒をしてしまいましたよ。いててて」
そう言いながら、頭が痛むのでしょう。越後屋さんは、頭に手をやります。
「そんなになるのですから……とは言いましても、やめられないものなのでしょうね」
「分かっちゃいるのですよ」
「そうまでしてまでうちにいらしたのですから、何かあるのでござんしょ」
「あの話し。少し裏がありそうだと思いましてね」
「裏。と、言いますと」
「これは、あたたた……。」
二日酔いに苦しむ越後屋さん。もしかしますと、その辺りを引き出そうと深酒になられたのかもしれません。
しかし、青山様は酒にお強いお方です。
「越後屋さん。これを湯で飲んでくださいな」
「こいつはなんです」
「唐の薬で、五苓散というものですよ。直ぐに良くなるもんじゃありませんが、うっかり呑んでしまった時に飲んでるもんです」
「そいつは助かりますよ……よく、唐の散薬などお持ちですね」
「江戸の薬屋に知り合いがおりまして、そちらからです」
「胃の腑がスッキリしてきましたよ。私も薬種を卸している薬師に聞いてみましょうかね」
「しかし、青山様のお話しに裏ですか……。」
あの快活で豪胆な青山様でございます。
隠していることがあるようには思えませんので、越後屋さんの取り越し苦労と感じてしまいます。
「私の勘なので、大きな声じゃ言えませんがね。青山様。藤屋にはお一人だとか」
「それは確かに、おかしな話してすね。青山さまも与力ですから、下働きの同心衆をお連れになるのが常」
「まぁ、お役目ですから、色々とございましょう。私の取り越し苦労であって欲しいものです」
そう言いますと、越後屋さんは小上がりから立ちまして、私にも気をつけるようにと言って出ていかれました。
「どうしたものかね」
一人。思案しておりました。




