行列 中編
今朝方、紀州様がお立ちになられたこともあり、保土ヶ谷の宿の慌ただしさも少しだけ落ち着きが戻っておりました。
紀州様の後には、尾張様が控えてございますれば、ほんの一時の息抜きといったところでしょう。
私は帳場でこれまでの取引を整理しておりましたが、やはり、頭に浮かぶのは百鬼夜行のことばかりです。
「どうかしましたか」
帳場で帳面に向かうものの筆は進まず、どこかほうけたような私に、お初が心配するように声をかけてきました。
「百鬼夜行のことばかり考えてしまってね」
正直に話します。
「そのことでしたか。私はありませんけど、凛の話しを聞いてますと、呑んで騒いでと大変みたいですよ」
多くの妖が集まり酒を飲んでは騒ぐ。
人も妖も変わらないのですね。
「やっぱり見てみたいものですね」
文机に両肘をつきまして頭を手に乗せますと、花の咲く大きな木の下で、飲めや歌えやの大宴会を楽しむ妖たちを想像してはにやけてしまいます。
「ふふふ。お茶にしましょうね」
そんな私を見て、お初は微笑みました。
◆
明くる日。
尼寺への届け物がありましたので、颯に変わって私が届けることにしました。
依頼の品を持ちまして寺への階段を登っていますと、山門の前で何やら言い争うような男女がおります。
女人の方は尼寺の僧で、ヨネと呼ばれていると覚えております。
男の方はと言えば身の丈は六尺を超える大男で、着物の上からでも分かるほどに盛り上がりを見せる筋肉。顔の方も総髪の髪を若衆髷にまとめ、ヒゲもきれいに刃を当てているようで、町中を歩けば振り返る女人も少なくないでしょう。
颯の線の細い色気とは違ったものを感じます。
「どうしたね」
ぼうっと見ているわけにもいかず、山門の二人に声をかけました。
「播州屋さん」
ヨネが声に気づいたようで、私に向かい手を振ってきました。
はて。険悪そうに見えたのは、気の所為だったのでしょうか。
「お前さんは」
ヨネに合わせてゆっくりとこちらに振り返る美丈夫。
「私は麓で小間物屋を営んでおります、播州屋と申します」
「お前が播州屋か」
美丈夫がニコリと笑顔になりますと、私の方へと下ってきまして、両の肩をがっしりと掴まれました。
「藤五郎の酒はあるのか」
美丈夫の問いかけに、住職が焦っておられる理由を察しました。
◆
離れに通された美丈夫と二人。
いつもの縁側ではなく、来客があった際に通される部屋の方でした。
ヨネが下がってしばらくしますと、ヨネともう一人の尼僧に両脇を抱えられダラリと引き摺られた住職が、部屋に投げ込まれます。
何とも荒々しい。
「お凛。達者なようだな」
「は、ははははは……。」
潰れたまま笑い声をあげます住職に、いつものような快活さはありません。
どこか諦めのような気配も感じられます。
「住職。ちゃんと話して頂きませんと、藤五郎の酒だってすぐには届かないのですよ」
越後屋さんに商家を安くしていただいた、そのお礼として贈った二樽と、うちにある徳利がいくつか。
それが、この宿場にある藤五郎の全てだと思います。
「なんだ。酒はないのか」
酒がないと知った美丈夫は、しょんぼりと肩を落とします。
よほどの酒好きだったのでございましょう。
「はい……。すいません」
起きあがり座ってはおりますが、俯いたままの住職。
なにやらごにょごにょと、今にも消え入りそうな声で何か言っているようですが、よく聞き取れません。
「いやいや。そうではなくて百鬼夜行の夜に藤五郎で、宴会でもやろうって話しになってたんじゃないですかい?」
藤五郎の酒を五合徳利を一つ。住職にも分けておりましたので、そのことをどこかの妖に自慢でもしたのでしょう。
その場に藤五郎の酒の味を知っている妖がおったそうで、是非にもと言われ、断れなくなってしまったと……。
安請け合いにも程がありますし、もう少し早く聞いていれば藤五郎に回してもらえましたのですがね。
「俺はそう聞いておったが、違ったか」
やはり、察したとおりだったようです。
「うぅ……。」
住職は俯いて呻くばかりで、何も発しはしません。
私もどこまで人が良いのやら……。
「はぁ……。住職。もう日もありませんし、皆に力を借りて何とかしましょう。私も一肌脱ぎますよ」
私の声に顔を上げる住職。いつもは細く開かれているだけの目が、期待に満ちてパッと開かれております。
「ほんとかいっ」
「やはり滞っておったか。よし、俺もやるぞ」
美丈夫の方は住職の手配が滞ることを見越し、宴会が潰れてしまわぬよう助力するつもりでいたようです。
その美丈夫の言葉を聞くかいなや、住職は並んで座る私と美丈夫に抱きついてきました。
◆
美丈夫と二人。
途端に喋るようになった住職を見て、呆気にとられてしまいます。
兎に角、百鬼夜行での宴席の準備は進んでいて、会場はこの尼寺境内を使われるそうなので問題はない。
宴席で供する料理の食材等の手配もつつがなく済んでおるようで、品の方も順に運び込まれているそうです。
では、何が落ち度なのかと……。
「藤五郎の酒を忘れてたのさ」
関東にも名前が知れている名杜氏。その名も藤五郎。
男の仕込んだ酒は、播磨の男酒の中でも飲みやすく、合わせる料理も選ばないほどだと言われています。
聞いたように言いますのも、実は私。酒はからっきしでして、一口でひっくり返ってしまう下戸でございます。
「越後屋の旦那が二樽持ってるのは知ってたから、それを都合してもらおうと思ってたんだよ」
紀州様の行列の後に話しをと思っていたら、播州屋でその後に尾張様が来るのを聞き、百鬼夜行の日ともかち合ってしまうのもあり、慌てて越後屋さんに酒のことを聞きに行ったそうなのです。
もちろん。寝耳に水の越後屋さんです。尾張様の夕餉にと、既に本陣軽部様へお届け済とあり、一樽どころかお猪口に一杯も手に入らないこととなってしまったようです。
そこから酒屋を回ってみたようですが、日もありませんから数が揃わずとにっちもさっちもいかない状況のようでした。
「俺たちゃ、他の酒でも満足できるがな。味を知ってる御爺がどうだろね」
妖のなかにも、藤五郎の味を知るものがいるようですが、どうやら誤魔化すことも考えていたようで、図星を突かれて動揺している様が手に取るようでございます。
「うぅ……。」
再び項垂れる住職。
「藤五郎の蔵まで、早くても半月はかかりますし……。」
播磨ですから、東海道を行くだけでもそれだけかかりましょう。
しかも、酒が手に入ったとしましても播磨で荷を作り、舟を手配して、それに乗せとやることは多くあります。
そして海を運んで、横浜で荷受けしてと、順調に行きましても、手元に届くまでは二月は見ないといけません。
「お前さん。藤五郎とは懇意なのかい」
美丈夫は私の方に向きますと、そう尋ねました。
「縁がありまして、越後屋さんの二樽も私が贈ったものなのです」
私の答えを聞いた美丈夫は何か良い考えが浮かんだようで、私の答えに飛び上がりそうなくらいに喜びます。
「おいっ。お凛。播州屋がいれば、何とかなるぞ」
住職にも酒の手配が間に合いそうだと仰られた。
「あと、四日もないんだよ。どうするのさ」
そうなのです。
いくら見知りの私がいたところで、播磨までとなりますと間に合わないのです。
「まぁ、そこは俺に任せろ」
己の考えに余程自信があるのか、腕組みをして爽やかな笑顔となりました。
「善は急げって、言葉が人にはあるんだよな」
「ありますね」
「明日の昼に、ここへ戻ってくる。播州屋。面倒だが落ち合っちゃくれんかね」
「分かりました。旅装も支度しておきます」
「それには及ばんよ。なにせ、上手くいけばひとっ飛びだからな」
そう言った美丈夫は、豪快に笑いました。
「よし。ひとっ走り行ってくる」
言うが早いか美丈夫は立ち上がりますと、縁側から庭に飛び出て駆け出していってしまいました。
「で、どなた様たったんです」
美丈夫が飛び出た後に、名を聞くのも忘れていたことに気づきましたので、住職に尋ねてみます。
「祇園様。そうい事にしといとくれよ」
住職にしては、どこか歯切れの悪い答えでした。
◆
明けて翌日。
祇園様のお言葉通りに尼寺の離れで、住職と並んで茶を飲みながら待っていましたが、待てど暮らせど祇園様は帰っては来られませんでした。
「どうしたものでしょう」
縁側で途方にくれてしまいます。
「どこかで酒でも呑んで、忘れてるかもね」
一番の懸念を請け負ってくれる者の出現で、気が抜けたのか、いつもの軽い口調の住職に戻っております。
酒は好きそうでしたからね。
「一旦、店に戻っておりますので、何か変わりましたら知らせてください」
「そうだね。アタシも準備を進めないといけないもの」
そう契って尼寺を後にしました。




