行列 前編
木々の葉も青々と茂り、夏の気配を感じさせる海からの湿った風が吹き始めました。
保土ヶ谷の宿で迎える初めての夏でございます。
そんな暑さも感じ始める季節でございますが、保土ヶ谷の宿は大忙しでございました。
それも、江戸へと上る、江戸から下る諸大名の列が多く通る季節(参勤交代が旧暦の四月)でもあるからです。
「播州屋さん。なんとかならないかね」
「馬の飼葉ですか。それならば、見知りの農家を当たってみましょう。値付けはどこまでやれますかね」
宿は宿泊のお武家様やその供回りの世話でてんてこ舞いとなっておりまして、馬などの世話に必要なものを、越後屋さんが保土ヶ谷中を駆け回って集めていました。
江戸へと上る東海道でも幕府直轄領の初めの宿ということもありまして、保土ヶ谷の宿で登城に合わせて日を合わせたり、馬や供揃えの見栄えを整えたりと、とにかく物が入り用となるのです。
「これだといかがか」
急ぎと言うことで、少し高くなるとお考えのようだったのか、盤面に上がっている珠の数が多い。
回るのは私の顔見知りの農家です。もう少し、何とかなりましょう。
「それは高い。ここまで抑えられるかと」
越後屋さんの持つ算盤の珠を、いくつか下げます。
「それで任せますよ」
言うが早いか、あの話し好きの越後屋さんが、踵を返し店を飛び出していくじゃないですか。
それほどに仕事があると言うのは、嬉しいことであります。
「お初。店を頼めるかい」
奥に声をかけますと、前掛けにほっかむりをしたお初が、手をフキフキ出てきます。
「旦那さん。お蜜もおりますし大丈夫ですよ」
ニコリと微笑むお初。
その姿を見ますと、忙しく焦りを感じていた心も穏やかになっていくようでした。
「済まないが、頼むよ。良し、颯」
「ここに」
土間で、弥七と品の並び替えをしていた颯。
名を呼びますと、即座にそばへと控えます。
「年の瀬に、お世話になった農家を回りますからね。しっかりと顔を覚えてもらってください」
「はい」
今年の年の瀬は、颯に任せてよいかもしれません。
そう思えるほどに、商人としても逞しく成長をしている颯でございます。
◆
近隣と言わず遠くは二俣川の方の農家まで回り、馬の飼葉を手配して参りました。
そうしまして店に戻る頃には日も傾き始めておりましたが、小上がりで茶を飲み、お初と話しを楽しんでいる住職が居られました。
「おや。旦那のお帰りだよ」
こちらに気が付かれたようで、私の方へ細く開かれた目を向けられます。
「お帰りなさい。旦那さん。随分と回られたのですね」
「ただいま帰りましたよ。えぇ、二俣川の方まで足を伸ばしました」
「飼葉の手配はいかがでしたか」
「越後屋さんが、多めに持たせてくださったからね。飼葉の他にも色々と都合つけてくれそうだったよ」
「二人とも。湯を持ってきましたよ」
お蜜が盥に張った湯を持ってきました。
「助かるよ」
「かたじけない」
土間に盥を置いてもらいましたが、小上がりには住職が腰掛けております。
「ほら、凛はこっちに避けときなさい」
お初が気を利かせ、住職に言って聞かせました。
「いい男、二人に挟まれたかったんだがね」
住職は渋々と、小上がりに上がり、帳場の奥、お初の背の方へと移ってくださいました。
颯と並んで小上がりに腰掛け、歩き回った足を、湯に浸して濡らした手拭いで拭います。
「気持ちいいな。歩き回った疲れも取れるよ」
奥へと戻ったお蜜に聞こえるかは分からないか、感謝の言葉を口にしました。
「それにしても、住職がいらっしゃるのも久しいですね」
三日と明けずに来ていた住職でしたが、近頃は尼寺の方でもなかなか会うことはございませんでした。
「人の世も大変そうだけどね。こっちも大変なんだよ」
肩をモミモミ。何か一仕事を終えたような雰囲気でございます。
「何かございましたか」
気になりましたので、絞った手拭いで足の水気を切ってから、小上がりへと上がりまして、住職の方へと向き直ります。
「京に向かう百鬼夜行が通るのよ」
「百鬼夜行でございますか」
百鬼夜行。
聞いたことのない言葉でございました。
「いろんな妖が列をなして、この東海道を進むのさね」
得意そうに腕組みをし、鼻を鳴らすかのように話す住職。
「そりゃ、壮観でしょうな。一度くらいは見てみたいものですね」
妖の並ぶ姿を思い浮かべてみはしましたが、いかんせん、出会った妖など手足の指で足りるほどでございます。
しかし、未だ見ぬ妖に思いを馳せてしまいそうになります。
「旦那じゃ、取って食われちまうよ」
想いに水を差す住職の言葉。
少しくらい夢見たところで、バチは当たらないと言うのに。
「百鬼夜行はいつ通るのですか」
話したくてしょうがなかったのでしょうか、先を促すよう問いかけます。
「八日後の夜たね」
「八日の後……尾張様がいらっしゃる日ですね」
先触れからの報せは、既に方々へと発しております。
尾張様は大大名どころか徳川御三家に名を連ねるお方ですので、その受け入れの準備となれば、宿場はちょっとしたお祭り騒ぎでございます。
そういう事もありまして、手は足りないが金はあるといったところで、私も駆り出された次第でございました。
小間物屋としましては、江戸にお上がりなさります奥方や姫様、そのお付きの女中向けの白粉や紅、扇や簪といったものを機がありましたら持参するくらいでございます。お声がかからなければ、それほど忙しなくないということもあり、白羽の矢がたったのでございましょう。
「尾張っていうと……大大名じゃないかい」
尾張様の名を聞いて、跳び上がるくらいに驚いた住職。
「そうですね。越後屋さんとも懇意とのことでして、贈った酒を献上しても良いかと相談されましたよ」
懇意のお武家様にもと、そういう気遣いのできる越後屋のご主人。
「はぁ〜っ。それは本当なのかい」
途端に頭を抱えます住職。
「えぇ。如何様にもとお答えしましたから」
「こうしちゃいられないよ。初。ごちそうさん」
キュッと湯呑みを煽り茶を一息に飲み干しますと、湯呑みをお初に渡して立ち上り、そのまま小上がりから飛び降りまして、雪駄をつっかけ播州屋を飛び出していかれました。
播州屋から駆け出していくのは、近頃の流行りなのでしょうかね。




