明石様 後編
朝餉の前の庭先。
未だ寒さも残るというのに、もろ肌脱ぎとなりまして刀を振るう颯の姿。
「颯。少し良いかな」
名を呼びますと素振りを止めて、こちらへ振り向きます。
息は切らしていないものの、何時から振っていたのか身体は汗で濡れ、湯気が立ち上っていました。
「旦那。昨夜は遅かったようですが」
夜鳴きそばからの帰りを言っているのでしょう。
「おかげで、良い話が聞けましたよ」
明石の家の中間たちとの話しを思い出します。
ご当主が辻斬りへと変貌する切っ掛けとなった刀の話しを。
「良い話」
「祟られた刀と言うのは、聞いたことはあるかい」
私の言葉に大きく溜息をついたと思えば、人の身である私にも分かる怒りの感情の発露。
静かにではありますが、相当に怒っているようです。
「もう、人の手には負えそうもなくてね。頼めるかい」
ゆっくりと、言もなく頷いてみせる颯。
◆
あれから数日。
早々と辻斬りと出会うなんてこともなく、日が過ぎておりましたが、外回りも颯に任せきりともいきませんので、私の方でもこなしていきます。
今日は日暮れの前くらいに、猟師の源蔵さんの家へ鉄製の鏃と矢羽用に鷲の尾羽根を、届けに参ったところでした。
「播州屋さんが来てから、道具も良いものが手に入るんで、猟も調子が良くて助かるよ」
「いえいえ。源蔵さんの腕が良いからですよ」
「尾羽根の取り置きも良くて、毛羽立ちもない。矢が思ったように飛ぶんだよ」
源蔵さんは、お渡しした鷲の尾羽根を一つ手に取って、品を定めるように目を細めました。
源蔵さんのような猟師に、そこまで言われたら嬉しいものです。
「では、私はこれで」
「また良いのが捕れたら持ってくぜ」
「それは、嬉しいですね。店の皆も喜びます」
鬼であるお初に、キツネの颯、それに化け猫の弥七も獣の肉は喜びますが、源蔵さんのものは特に質が良く、見ただけでもよだれを垂らしそうになっております。
源蔵さんの家を出て、山(神奈川県は小さな山と谷が多い地形)を降りる道を歩いていますと、見知った女童が駆け登ってくるのが見えました。
源蔵の娘子で名を羽矢と言います。
遠目ではありましたが、いつものニコニコとした女童ではなく、何処か恐れ慄いているような雰囲気で、必死に駆けているように見えました。
「羽矢。今行きます」
そう声を発しますと、裾を掴み上げ駆け下ります。
すると羽矢の後を追っている、単衣を着崩した髷も整えられていない男が、抜き身を下げておりました。
件の明石の御当主でしょう。
私の方が当たりでしたか……。
しかし、私の方が下りで速いはずなのですが、羽矢を追う明石の御当主は人とは思えない速さで、羽矢の後を登ってきております。
羽矢の背に迫るそれよりも先にと思うのですが、紙一重になるかもしれません。
あと少しというところで、男が刀を振りかぶります。
私も羽矢に飛びつくよう、腕を伸ばして飛び込みました。
「羽矢」
間一髪。
羽矢をこの手に抱きとめ、男の足元の方へとそのまま転がり、下り坂の勢いそのままに、男の脇を抜けます。
男の振り下ろした刃は、地に叩きつけられただけですが、それでも、その地は小さく裂けておりました。
それを見た私の背筋に冷たいものが伝っていきます。
仕留め損ねた獲物の方へと、ゆっくりと振り向く男。
その目には正気の色はなく、こちらを見えているのかも分からない視線。
明らかに私の手には負えません。
抱きとめていた羽矢を背中に素早く膝立ちとなると、男との間に入りまして何ができるかを懸命に考えます。
男から目を離すことなくゆっくりと立ち上がりながら懐を探ります。
そこに入っているはずの鈴を探しますが、異様な者と向かい合っている緊張のせいか、思うように出てきません。
刀をだらりと下げていた男が再びそれを振りかぶり、躊躇なく私に向けて振り下ろしてきました。
羽矢を庇いつつ、半身になり躱します。
速さはありますがただの大振りでしたので、気を抜きさえしなければ避けることはできそうです。
あった。
『弥七』
その鈴を想いを込めまして握ります。
鈴は水神様の青い玉ほどではないのですが、尼寺の住職が作って下すった私と弥七をつなぐ鈴。それを弥七を思って握りますと、弥七の首の鈴が鳴る仕組みになっております。
羽矢を庇いつつも男と距離をとるように後ずさります。
ゆっくりと異様な眼光を放つ顔がこちらを向き、後から体が私と正対しました。
抜き身の刀を大上段に持ち上げ、再びの振り下ろし。
羽矢を庇いながら大きく避けます。
しかし、後、幾つまでもちますかね……颯。
そう思いました時。小さな影が飛び込んできました。
「颯っ。こっち」
猫の弥七でございます。
「応っ」
後から飛び込んできたのは、颯。
「待たせました」
颯は私の前に立ち、腰のものを抜きますと、件の男へとその切っ先を向けて構えます。
硬すぎず自然体でありながらも、いつでも動けるようわずかに腰を落とす姿勢。
対峙する男とは比べるまでもなく、相当の手練れであることが分かります。
「颯。刀だけですよ」
「お任せを」
男が不用意に刀を振りかぶります。
その動きを終える前に、名の通り颯となった妖狐の一閃。
目にも留まらぬとはよく言いましたもので、颯の動く様を私は目に見ることはできませんでした。
男の右腕がおかしな方に折れ、手にした刀を落とします。
そして、颯のもう一閃。
首筋に打ち込んだのでしょう。
男が白目を剥いて倒れました。
「旦那。旦那。大丈夫だったかい」
猫の弥七が駆け寄ってくる。
「弥七が颯を呼んできてくれたのか、助かったよ」
そう言って弥七の前にかがみ込み、その頭をなでました。
「猫ちゃん」
羽矢がいたことを、すっかりと忘れて、弥七と言葉を交わしてしまっておりました。
◆
明石家のご当主には、右手は添え木と当て布で簡単に処置をしまして、保土ヶ谷町の井戸端にその身を捨て置いてきました。
件の刀の方は颯が回収しまして、尼寺の住職へと届けてあります。
颯の見立て通り、その刀には悪鬼を封じらておりましたようで、強い力をもった妖刀だということでございました。
力が強いだけに、それを持つ者が弱ければ、その体を乗っ取ってしまうような危険な物だったということです。
正に、人の手には余る代物だったわけですな。
◆
あの一大事から一月も経ちました頃。
そんな時節に、怪我の具合も良くなりました越後屋さんが、茶飲み話しにやってこられています。
「聞きましたか。明石のご当主のこと」
小上がりに腰掛け、茶を飲む越後屋さん。
「辻斬り騒ぎの」
保土ヶ谷町の井戸端で倒れていたところを、近所の人が見つけたは良いが、お家どころか名前すらも分からない具合となっておられたと聞いております。
簡単に申しますと、気が触れた状態で見つかったということです。
「えぇ、そのご当主です」
越後屋さんは少し暗い顔になりました。
生まれも育ちも保土ヶ谷の宿となりますと、少なからず関わりもおありだったようで、気が触れてしまう前のことを思い出すのでしょう。
「それで、どうなったのでしょう」
「お取り潰しは免れそうですなのですが、ご当主は代替わりするようですね」
しばらくの養生の後、正気に戻られたそうですが、それまでの言動や今回の辻斬り騒ぎもございました。それが上役の耳にでも入ってしまったのでしょう。
それで、当主としての務めは果たせそうにないと判断されてしまったというわけです。
「しかし、随分と早いお取り決めですね」
「ご子息も元服なさっておられましたし……あの、刀集めの方も、上の方に睨まれていたみたいですね」
「そうでしたか」
「なんでも、幕府の重鎮と競り合いをして、手に入れてしまったものもあったとか」
そんなにしてまで手に入れたい刀。
蒐集家の気持ちというものは、どうにも分かりません。
そんなものに掛けるくらいでしたら、お初と小田原にでも行きたいと思うのは、欲がないのでしょうかね。
しかし、気になりますのは、蒐集のための金子でございます。
「そこまでしていて、よく身を崩さなかったものですね」
「ほんとに。どこからその金子を用意していたのか……。」
越後屋さんですら知らない人の欲につけ込む悪い者が、この保土ヶ谷の宿に入ってきたのでしょうか。
「よし。ちょっと嗅ぎ回ってきますかね」
小上がりから勢いよく立ち上り、そう言った越後屋さんの目は何かを期待して輝いています。
噂好きの本領というところでしょう。
「良くなったばかりなのですから、お大事になさってくださいよ」
ペロリと舌を出して、月代を一つ叩いて見せる越後屋さん。
「邪魔したね」
「いつでもいらしてくださいよ」
人の手に余るような物すら、手に入れたくなってしまう人の欲。
その先に待つ破綻の刻を迎えるまで、その愚かさに気づけない。
今回の件はしっかりと刻み、私自身がその一線を越えないようにと、戒めないといけません。
金と物。
それらを扱うのが、私の生業でございますから……。




