明石様 前編
◆◆ 注意書き ◆◆
保土ヶ谷の歴史のなかに出てきます『明石様』。
そのエピソードを基にしたもので、史実や伝承とは異なるお話しの内容となっておりますことを、ここにお断りさせていただきます。
桜も終わりを迎え、木々の葉も芽吹いてくる時節でございます。
昼間は外出にも丁度よい、そんな季節ではございますが、近頃では物騒な話しがございまして、使いで外に出るのも用心しないといけません。
「お侍さんが人斬りをやってるって話しですよ」
小上がりで茶を飲む越後屋さんの噂話。
越後屋さんから聞くお話しは、噂の範疇を出てしまっていて、世に言う瓦版よりも確かな内容でございます。
「そりゃ、また、難儀なことですね」
聞いているだけで、解決が難しいものだと分かります。
「そうなんですよ。屋敷に入られてしまいますと、同心のご面々も手が出せませんからね」
奉行にはお武家を調べる力はなく、私どものような市井の民の犯したものを調べ、吟味することがそのあり方となります。
ですので、お武家の犯したものとなれば、それ相応の役を持つお家が出張ってこないとなりません。
「辻斬りと違って、昼日中にも現れるって言うじゃありませんか」
あまり聞きたくなかった内容でした。
昼間の使いも考えなければなりません。
「それは困りますね。越後屋さん、帰りは颯に送らせましょう」
多くは語らない颯ですが、居ずまいや身のこなしから、それなりに修練を積んでいるものと分かっております。
そんなこともありまして、身の守りにと言ってみました。
「お気遣いありがとう。でもね、大丈夫なんだよ。佐平を伊勢屋に待たせているからね」
越後屋の荷役などを引き受ける手代の佐平さん。
身体も大きく、力も強い。
「それなら安心ですね」
◆
越後屋さんを見送りまして半刻も経った頃でしたでしょうか。
帳場で商いの書付けをしておりますと、外が何やら慌ただしいように感じます。
「大変だよ。播州屋さんっ、播州屋さんっ」
慌てた様子で越後屋さんの小僧が駆け込んで参りました。
「息咳きってどうしたね。水でも飲んで一息つきなさいな」
「いやいや。旦那が、襲われたんですよ」
「越後屋さんが!?」
佐平さんも一緒だと言ってもおられましたもので、すっかりと気を緩めておったところにこの報せ。
「颯っ」
居ても立ってもおられません。
「ここに」
名を呼びました颯はどこに控えていたのか、直ぐに現れました。
「越後屋さんまで急ぐよ。富山の傷薬があったね。それも持っていこう」
「すでに」
気の回る手代です。
「出るよ」
颯と小僧さんを連れて店を飛び出しますと、着物の裾を取って駆け出しました。
東海道を何度も行き来した脚は、多少の衰えはあるもののまだまだ行けそうです。
◆
保土ヶ谷町まで駆け続け、息咳切って戸板を閉めていない越後屋さんへと飛び込みました。
「ご主人は」
「播州屋さん」
越後屋さんの手代の寛治が迎えてくれました。
「具合はどうなんだい?」
私の問いに何処かバツが悪そうに、首筋に手を当てます。
「それが……」
案内されて越後屋さんの奥へと足を運びましたら、頭と手に巻布をしておりましたが、布団の上に起きていつもの朗らかな顔で、越後屋のご主人は奥方や女中と話しをされておりました。
それを見て安心して緊張の糸が解けてしまい、また、ここまで駆けたツケもありまして膝から崩れ落ちてしまいます。
「播州屋さん。大丈夫かね」
越後屋さんが心配そうな声で聞いてこられました。
「それはこちらが言いたい事ですよ。小僧さんから襲われたと聞きまして、飛んで来たのですよ」
「そうでした」
月代をピシリと叩いて、ペロリと舌を出した。
このひょうきんさが、なんとも憎めなくなってしまいます。
改めて話しを聞いたところ、私の店を出まして少し行きましたところの辻で、抜き身の刀を持ちまして何かを追いかけているお侍に出くわしたそうです。
それを放ってはおけないということで、佐平さんと声を上げながらお侍を追っていきました時に、路地からひょいと飛び出してきた小僧を避けそこなって、道脇に積んであります桶へと突っ込んでしまったのだとか。
お侍の方はと言いますと、佐平さんを見て別の路地を通り逃げて行ったのを、佐平さん自身がしばらく追って見てきたそうです。
「命に関わりなくてよかったですよ。これ、見舞いの品で打ち身なんかにも効くってので、お試しください」
颯に持たせていた傷薬を、越後屋さんに渡します。
「いやいや。丁寧にどうも」
それにしても、そのお侍は日暮れ時に何を追っていたのか。
「そう言えば、お侍の辻斬りに遭ったのは、どんなお人なんです?」
「大っぴらには言えませんが、どうも娘ばかりのようです」
「それは……」
続く言葉を失ってしまいます。
◆
囲炉裏を囲んでの夕餉も少々暑く感じるようになってきましたが、暖かくなってきますと八百屋の軒先も賑やかになって参りますので、夕餉の椀の中も新鮮な野菜が増えまして彩り豊かに感じます。
「旦那さん。明日から昼間の使いを増やしてはいただけませんか」
口数の少ない颯が、珍しく口を開きました。
恐らく、越後屋さんの話しを聞いたからでしょう。
「相手はお武家さんなんだ。大丈夫なのかい」
「腕には自信がある」
「そっちはお前さんの立ち居を見れば、私にも分かりますよ」
「では、何か気掛かりでも」
「お武家さんですからね。身元が分かって……いえ、その時はその時。腹をくくりましょう」
「かたじけない」
颯は持っていた椀と箸を置きますと、居住まいを正して頭を下げました。
「それに、奥方は兎も角。お蜜はしばらく中の用事に置くのが良いかと」
「アタシかい。そこまで心配しなくても……」
「某に心当たりがあってな。妖と言えどもタダでは済まないかもしれんのだ」
「そうだね。外回りは颯と私で済まそう」
◆
明くる日から颯は店の準備を済ませますと、腰に二本を差しまして、保土ヶ谷の宿を歩き回るようになりました。
私の方は、明石のお家事情を探ろうと動いておりましたが、お家には出入りの商人ではありませんから伺うこともできず、かと言って明石のお家との顔つなぎもありません。噂話でしたら越後屋さんでございますが、少し踏み入った内容です。それをどこで聞けばよいかと頭を悩ませておりました。
「どうかしましたか。旦那さん」
帳場で筆を鼻と上唇で挟みまして、何かいい案が浮かばないかと試していたところに、お蜜から声をかけられました。
「ぷふっ……きゃはははは。なんて顔をしてるんですか」
言葉はよそ行きですが、心の底から笑っているようです。
「いやね。明石のお家の話しを聞いて回りたいのですがね」
良い考えも浮かばないもので、愚痴のようなものをお蜜に漏らしてしまいます。
「それでしたら、口の軽い中間がよろしいのではないでしょうか?」
中間と言いますのは、武家屋敷の中の雑務を引き受ける者で、お侍様と小物の間に位置する役職からか中間と呼ばれております。
代々続くような役職ではなく、農家から引き抜かれたり、大きな町ではそれを専門としている町人等もございました。
様々なお家を渡り歩くような者もおりますれば、その口も固いものではありません。
「なかなか見当たりませんでね」
「昔。江戸の武家屋敷で奉公してました中間から聞いた話しなのですけど。夜中のお勤めは蕎麦を啜るのが良いって言ってました」
お蜜の話しを聞いた後に、自身が手代だったときの事が頭の中にはっきりと思い浮かんできます。
夜中までかかった仕事の後や、商いでやらかして大旦那に迷惑をかけた夜なんかに、日本橋の袂にやってくる夜鳴き蕎麦。それを、近くの武家に奉公する中間たちと啜った思い出。
「それですよ。お蜜。ありがとう」
「それですと、夕餉はどうされます」
「お初に話しをしませんとね」
◆
暮れて九つ。
春とは言いましても、この刻限ではまだまだ肌寒く、羽織を着けまして提灯の明かりを頼りに明石屋敷へと向かいます。
屋敷近くの堀端に、行灯の明かりが見えてきました。
それは、担ぎ箱を二つ並べて板を渡す、よく見る夜鳴きそばの屋台。
屋台には着物の裾を尻からげにし、股引に脚絆を着けて鉢巻を締めております夜回り中の中間といった風体の男が二人、そば屋の先客として立っておりました。
「邪魔するよ。オヤジさん。一つおくれよ」
気負わずにさりげなくと心がけましたが、大丈夫でしたかね。
すると、中間の一人がこちらを見ます。
「おや、こんな夜更けにどちらの旦那だい」
話し好きそうな、朗らかな笑みを浮かべる年増の男が、そう問うてきました。
「播州屋といいます」
「帷子町の方の小間物屋さんだね。タバコ入れには世話になってるよ」
そう言って、腰に下げた革づくりのタバコ入れを見せてきます。
表の焼印から、うちで扱っているものと分かりました。
「これは、ご贔屓にどうも」
「で、そんな旦那がこんな夜更けに蕎麦なんだい」
「帳面の書付けをやってましたらね、夕餉を食いそびれましてね」
「商いってのも大変だね」
「お前さん方は、明石様の」
「今日は夜の見回り組でね」
「そうでしたか。なら、オヤジさんこちらの方々に一本つけてあげて」
「そりゃ、悪いってもんだよ」
「いやいや、うちの品を使ってくださってるんだ。少しくらいの恩返しってものだよ。それに、まだ冷えるからね」
「助かるよ。歳をとってくると、夜の冷えが堪えるもんでね。ありがたく頂戴しますよ」
その後も蕎麦を啜りながら、年増とばかり話しをしていたのですが、酒が入ると若い方の中間が、最近のお家事情について漏らし始めました。
「近頃のお家は、なんかおかしい」
待ちに待った話しが始まりそうです。
「そりゃ、どういったところが」
合の手を入れて先を促します。
「おいっ」
年増の男がたしなめるような声を上げましたが、やはり何かありそうですね。
「平次のおやじも言ってたじゃないか、あの刀が来てからってよう」
刀。
「佐の字。お前……。」
顔を手で覆いながらも、年増の方も話しを止める気はないようです。
「刀。ですか」
「うちの殿様は刀を集めるのが好きでね。新しいものだったり、銘のある刀匠のモノだったりを手に入れては……な」
なんだかんだと言いましても、年増の中間も話したかったようてすね。
「あの刀ですよ」
若い方が刀のせいだと言いはります。
「確かになぁ……先月、殿様が手に入れたってお披露目したヤツな。一目見て、背中がゾッとしたもんだよ」
「ありゃ、祟られてんだよ」
なるほど。
話しをまとめますと、刀剣の類を集めるのが好きな明石家の御当主は、新しく手に入れた一振りを切っ掛けに、昼日中と関わらず抜き身を晒して徘徊するようになった。
そして、家中の御家来の忠言にも耳を貸さず、引き留めも振り切り出ていく始末だという。
「こりゃぁ……」
蕎麦を片手に頭へ手をやった。
後に続く『人の手には余る』と言う言葉は、何とか飲み込むことができました。




