リリアナ視点 2
「きょ~うはだいすき、クリームシチュー♪」
私は上機嫌でユーリック家の厨房で、クリームシチューを作っていた。
以前は厨房の熱気や匂いにやられて長くはいられなかったが、最近は随分と調子が良く一品なら自分でも作れるようになった。
私が作るのは主にスープ系。料理長は隣で目をキラキラさせながらメモを取っている。
料理長に頼んでレシピを渡し、作ってもらっても良かったんだけれど、こうして自分で作っていると心がワクワクしてとても楽しい。
私の密かな趣味になりつつある。
『大釜で作っているから、屋敷の皆にも食べてもらえるかなぁ』
そんな風に考えながら、ふと庭を見る。
何か影のようなものが見えたような気がしたが、気のせいかな?
ガッシャーン!
「キャアアアァァ」
何かが翳ったかと思うと、肩を引っ張られ振りむかされる。
それは一瞬の出来事。
腹部が痛い。
そっと下を見る。
何かが刺さってる? 刃物? 包丁?
ポタリッ。
血? 私の血?
「フフフ……ハハハハハ」
突然の笑い声。
そちらを見ると老婆が立っていた。
誰?
そう思った時、私の体は地面へと倒れていくところだった。
――けれど、思った様な衝撃はない。
それよりも温かい……この温かさは、いつも私を安心させてくれる。誰よりも温かい私の唯一の……。
「リリ!」
目の前には今にも泣きそうなレオン様の顔。
ああ、そんな表情をなさっても素敵。
私は場違いな事を考えながら、どうにか安心させたくてニコリと笑った。
「リリ、もう少しの辛抱だ。すぐに治癒の力が効く。痛いだろうが頑張ってくれ」
レオン様が助けてくれているのね。それならもう大丈夫。
安心して力が抜けそうになった私の耳に、絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。
「嘘よ。どうして変わらないのよ。この女はもう使い物にならないのよ。早く、早く。こんなしわがれた体じゃなくて、若く美しいあの体に早く……」
「早く……どうしようとしてるんだ」
あれ? 今の声、お兄様? 聞いたことのない低い声……怒ってらっしゃる?
うっすらと目を開く。
私を抱きかかえて、治癒の力を使ってくれているレオン様。そのそばにはマルロス様、トーマス様、グロッセル様が私達を庇うように背を向けている。
その前にはお兄様がいる。後姿なので表情は分からない。
そしてお兄様と対峙しているのが、先程の老婆。
私はうっすらとぼやけた頭で考える。
彼女はそうココリス・マーガレット。
私欲の為に、力と命を引き換えにした熟れの果て。
やっぱり彼女は自分の罪と向き合ってくれなかったのね。
厨房にいた皆は? はっと気になって周りを見る。遠巻きに私達を囲んでいるのが見える。
「良かった……皆、無事……」
安堵の余り言葉がポロリと口からでる。
「リリ、こんな状態なのに君は……」
レオン様が眩いものを見るかのように目を細める。
そうしてまたヒステリックな声が聞こえる。
「ルーゼット様、ねえ、ルー―ゼット様。貴方も転生者なんでしょ。そしてこのゲームを知っている。バクは貴方だったのね。何で私の邪魔をするのか分からないけれど、許してあげるわ。だから今度は私に協力して。分かるでしょ。ヒロインは私なんだから、こんな結末おかしい。〔聖悪〕のファンならこんな結末望んでないでしょ。ヒロインとヒーローは結ばれなきゃいけないの。その悪役令嬢が今のヒロインだというのなら、その体は私のモノ。この使い古された醜い体はあげるから、その体を早く明け渡しなさい。私はヒロイン……」
「何度言ったら分かる? お前はモブだ。決して誰もお前を愛さない!」
「ヒッ」
お兄様の怒気をはらんだ低い声。
いつも穏やかで中性的な美を持つお兄様は〔怒る〕という事には縁遠かった。
たまにレオン様達とふざけ合ってる時に、大声を出している時があるけれど、それはあくまで振りだけで、本気で怒ってるところなんて見た事がない。
以前に「僕が怒る前にいつもレオンが怒ってくれるからね」と照れたように話してくれた事があった。それ程お兄様と怒りは別物だと思ってた。
それなのに今のお兄様は、本気で目の前の人に対して怒りをさらけ出している。
「じゃ・じゃあ、貴方達は主役だって言うの? その悪役令嬢も……」
ココリスさんはお兄様の本気の怒りに一瞬怯んだものの、すぐに体制を整えたが、それはお兄様の声に押し返された。
「悪役令嬢なんかじゃない。リリは僕の妹だ。愛すべき優しい僕の妹だ! それ以外でもそれ以上でもない!」
「……何を……」
「――まだ分からないのか?」
治療の終わったレオン様が私を抱きかかえながら、深い深い溜息をついてココリスさんを見据えた。
「ルーがお前をモブだと言ったのは、この世界は現実で〔モブ〕こそが全てなんだよ。〔ヒロイン〕も〔悪役令嬢〕も〔攻略対象者〕も何もない。全員がモブだ。その中で役割があるだけ。王族、貴族、平民とな。ここは現実世界で、全員がモブで全員が主役なんだ。自分という物語の主人公と他人の物語のモブ。とな」
レオン様が言い聞かせるように、ゆっくりとかみ砕いて話す。
ココリスさんは潰れかけていた目を大きく見開いて、こちらを凝視する。
「わ・私は愛される人間で……」
「誰も貴方を愛さなかった?」
私は堪らず体を起こす。レオン様が気遣わし気に私の背に手を添えて、小さな声で「もたれていいから」と言ってくれる。私はそれに甘えてレオン様に体を預ける。
そうしてもう一度、彼女の目を見て言ってみる。
「貴方は産まれてきて、今まで誰も愛さず、愛されなかったの?」
ココリスさんはキョロキョロと私達から視線を離し、必死で何かを掴もうとする。
「愛されてたわ。だって私は愛されるべき人間……」
また同じ言葉を繰り返す。
「……なら本気で愛してくれた人の気持ちは分かるはず」
「そうね、分かるわ。皆私に夢中でチヤホヤしてくれて、色々な物を与えてくれて。だから私もあの人達が望む私の体を代償として与えてあげて……最後は全員見返りを求めるの……体を求めるのよ。体だけを求められた……」
最後の方はブツブツと小さな声になって、そうして一点を見つめたまま、動かなくなった。
「……それも愛なのかもしれないけれど、そういうのなしで愛してくれる人はいなかった?」
「いるわけないでしょ。男なんてそんなものでしょ。何奇麗ごと言って……」
「そうじゃなくてお母様とか友達とかは?」
「え?」
そんな単語、初めて聞いたと言う様な顔をして不思議そうに見てくるココリスさんを、私は初めて彼女を見たような気がした。
ああ、彼女は知らないんだ。代償がなくても与えてくれる愛情に……。
「貴方にはお母様がいたはず。お母様は貴方に笑顔を見せてはくれなかった?」
「だって、だって……あの人から私は姉を奪った。あの人はそれを知っていたはず。姉が死んで、私が産声を上げた時、あの人は恐怖の目で私を見た。医師が姉を見る為に私を抱いていろと言った時、あの人は拒んだのよ。怖いと……。だからあの人は私を恨んで、愛して何ているわけが……」
「本当に一回も愛情を感じた事はなかったの?」
「…………あ・ああ、あああ…………」
彼女は急に頽れた。そうして何か分からない事を喚き散らして、泣き叫んだ。
その間に騎士達がやってきて、泣き叫ぶ彼女の周りを取り囲んだ。
騎士の数人が彼女を捕えようと動くが、レオン様がそれに首を振る。
厨房の皆は私の身を案じてくれたが、私は大丈夫だと皆を下がらせた。
そうして落ち着いた頃、彼女はレオン様に一言「死刑にして下さい」と言った。
「俺が決める事じゃない。俺はお前の件に関しては一切係わらない。今もこれからもずっとな」
「フフ、本当に容赦ないですね。でも、ありがとうございます。今の私には最高の罰です」
そうして彼女は最初に現れた時よりも、ずっと年老いた様子で騎士に連れられて行った。
マルロス様・トーマス様・グロッセル様は後始末をしに出て行った。
「痛いところはもうない?」
自室の寝台に運ばれた私に、レオン様が綺麗に傷跡が消えた腹部を擦りながら言う。
「はい、もう大丈夫です。ありがとうございました。フフ、くすぐったいです。レオン様」
「リリの奇麗な体に、少しでも傷跡が残ったら大変だからね。我慢せずにちゃんと教えてね」
「クスクス、レオン様ったら、心配性ですね。やん、本当にくすぐったいです」
「ナニシテルノカナ?」
クスクスとレオン様と笑いあっていたら、血管に青筋の立てた笑顔のお兄様が現れた。
「ナニって治療」
レオン様が私の腹部を隠すように、シーツをかけてくれる。
「本当にちゃんと治った? 僕にも見せて」
お兄様が心配顔でシーツをはぎ取ろうとするが、ガッチリ握ってそれを許さないレオン様。笑顔なんだけれどちょっと怖い。
「俺が治療して確認した。大丈夫。問題ない」
「レオン、ヤキモチ焼かないで。僕は兄だよ」
「男だよな」
「そこ、男の部類にはいるの?」
「じゃあ、リリが十五歳になっても一緒に風呂に入れるか?」
「……すみません。もう言いません。レオンを信用します」
レオン様の完全勝利だ。
フフ、やっぱりお兄様はそういう雰囲気の方がいいな。さっき怒ってたお兄様は、やっぱり少し怖かったから。
くしゃ。
お兄様が私の頭を撫でる。
「ごめんね。間に合わなくて。痛い思いをさせたね」
どうしてお兄様が謝るのだろう? お兄様は何も悪くないのに。
「……同じ転生者同士、もう少し話を聞いてあげればよかったのかもしれない。僕は結局ゲームの事を知ってても、何の役にも立たなかった」
私の頭を撫でながら落ち込むお兄様の頭を、レオン様がパチンと叩く。
「な・何するんだよ、レオン」
「分かってるのか? その場合ミリアル嬢に誤解されて、奴には〔ルーゼット〕を攻略したと思われて、残ったのはお前の屍だけって事になるぞ」
本気でぞっとしたのか、お兄様は青い顔をして呻いていた。
「まあ、思うところはあるだろうけど、どんな事があろうと結局は本人の問題だ。第三者がどうこうなんて出来ないよ」
確かにその通りだと思う。
私は余計な口を挟んでしまったけれど、結局は彼女の問題、彼女がどう考えてどう行動するかは、本人の問題なのだから。
「それはそうと公爵家の警備どうなってる? 公爵家の私兵に城からも派遣して、結構な人数が周辺を巡回していて入れる隙間などなかったはずだが」
レオン様が話題を変える。そういえば私が婚約者になってから、公爵家は人の出入りが以前より厳重になった。女性一人とはいえ、そうやすやすと入れるはずがない。
ココリスさんはどうやって厳重な警備の目を盗んで入って来たのだろう?
そう思っているとトーマス様がひょいと顔を出した。
「今警備の穴、確かめてきた。すごいね彼女。裏の壁に数か所、足がひっかけられるような小さな穴が見つかった。そこを登って侵入したとみられる。警備兵も老婆がウロウロしていたのは目にしていたようだけれど、まさか老婆が壁を登るとは思っていなかったんだろうね。さほど注意をしていなかったみたい。まあ、これは怠慢だからね。今マルロスが死ぬほど説教している。後は老婆になってますます小さくなった体を草の茂みに隠しながら、厨房を見つけたみたいだよ。まさかリリがそんなところにいるとは思わなかっただろうけど、いやあ、執念って怖いねえ」
「しまったあ、彼女は乙女ゲームのヒロインだと自負していたんだ。木登りなんて朝飯前。その要領で壁を登ったんだ。ヒロイン恐るべし」
………………。
お兄様が訳の分からない事を言っている。何? 乙女ゲームのヒロインって木登りできないといけないの?
「……ルー、やっぱり俺には乙女ゲームってのは理解出来ない」
「……私も」
「僕は面白くなったな。乙女ゲームっての? 詳しく教えてよ、ルー」
レオン様と私が遠い目をする中、苦悩するお兄様に絡むトーマス様を見て、本当にこれで終わったのだと、日常に戻った事を痛感したのだった。




