テレノア視点 1
リーファル国王太子、レオドラン・ブルーナル・リ・リーファルの誕生日及び婚約式を三か月後に執り行う。相手はユーリック公爵令嬢、リリアナ・フェル・ユーリック。
王室からのその招待状が貴族中に届いたのは、まさに突然の出来事だった。
カリッ。
「いたっ!」
「も・申し訳ありません。テレノア様」
私の髪を梳かしていた侍女が床に跪く。
「許すわけないでしょう。私の体は国母となる大切な体なのよ。髪の毛一本だって疎かには出来ないのよ」
私は侍女に櫛を投げつけた。ガツッ!
「あ!」
コロコロと転がる櫛は、どうやら侍女の目に当たったようだ。
ふん、いい気味だわ。私はすぐに他の侍女を呼びつける。
「目障りだわ、その女。罰として鞭でもくれてやりなさい。学園に遅れるわ。早く私の用意をなさい」
「は・はい、ただいま」
目を押さえ呻きを上げている女を部屋から引きずりだし、代わりに数人が部屋に入ってきて動き出す。言われないと出来ないんだから、本当に使えない。
私はテレノア・ガレット。侯爵家の娘。そして王太子レオドラン殿下の第一妃候補。そう、王太子妃に一番近い女だったのよ。
それが何? 昨日のお触れは?
ユーリック公爵には娘なんていなかったはず。それが最近になって変な噂が飛び交ってきた。
いつもの根も葉もない噂だろうと相手にもしなかったけれど、レオドラン殿下の婚約者ですって? どうしていきなりそんな事になっているのよ。
……もしかして、ユーリック公爵が王族と繋がりを持つ為に愛人か娼婦にでも産ませた娘を引きとったのかもしれないわ。そして宰相という地位を利用して、無理矢理レオドラン殿下と婚約させたんじゃないかしら?
ええ、そうよ。そうに決まっているわ。
レオドラン殿下は優しいから断り切れなくて、いやいや承諾したのだわ。
ああ、お可哀そうな殿下。私がお慰めしてあげなくては。
だって殿下は私の事を思って下さっているのだから。
いつも優しい笑顔で、慈愛のこもった瞳で見つめてくれる。そのアンバーの瞳で見つめられると私、胸がドキドキして……♡ 王太子妃という地位がなくても、殿下なら結婚してあげてもいいわ。
殿下の容姿なら私の横に並んでも見劣りはしないもの。周りから見たら私達二人はお似合いすぎて、きっと憧れの的よね。お披露目が楽しみだわ。と思っていたのに、そんな二人の邪魔をしようというの、あのユーリック公爵は……。
正直、ユーリック公爵も嫡男のルーゼット様も見た目は悪くないのよ。
王太子妃になったら私の近くに侍るぐらいならしてあげてもいいかなって思っていたのに、それをこんな形で裏切るなんて。
ルーゼット様を私に夢中にさせて、ユーリック公爵に断らせてもいいかもしれないけれど、正直ミリアルが邪魔なのよね。
あの女、ちゃっかりと幼いうちにルーゼット様に狙いを付けて、婚約者の座を得たものだから、大きな顔をしていつも私の邪魔をしてくるのよ。それも生徒会メンバーの婚約者達を取り巻きにして。ちょっと面倒くさい。下手すると私の方が悪者扱いされてしまうのよ。それぐらい平気でやる女よ。
私はレオドラン殿下という大物を釣る為にルーゼット様なんて小物、まあ、少しぐらいなら遊んであげても良かったけれど……他の物は相手にしなかったわ。
それを勘違いして成人を過ぎても婚約者がいないなんて、陰口を叩いて私を辱めていたのよ。
私は何度かレオドラン殿下に助けを求めたのだけれど、優しい殿下は貴族令嬢が人を貶めるなんて思わないのか、いつも私が窘められた。
『ミリアル嬢はそんな陰口を叩くような人ではないのだけれどね。お互いに行き違いをしてしまったのかもしれない。二人でよく話し合ってみたらどうだい?」
ルーゼット様の婚約者だから、殿下も強く出られないのよね。
本当はこの話をして、殿下が早く私との婚約に動いてくれたらと思ったりもしたのだけれど、きっとご自分が成人になるまで我慢なさっているのだわ。
婚約者なんて中途半端な立場でいるのは辛いから、成人して結婚をしてそれからゆっくり、とか考えてらっしゃるのね。婚約さえしていれば婚前交渉だって問題ないのに、殿下は真面目だから♡
そう思っていたのに、他の女がしゃしゃり出てくるなんて……。
こうなったら直接、殿下に聞いてみましょう。きっと殿下は私になら本音を話して下さるでしょうから。
『その通りだよ、テレノア嬢。私は君の事を愛しているんだ。それなのに政治的戦略に負けてしまった。本当は君を妻に迎えたいのだけれど……』
困った顔でそう言われるのだわ。キャー、ちょっと照れますわね。
とにかくその言葉を聞けば、私はすぐにお父様にお願いして、ユーリック公爵の娘なんて排除してやるわ。私の殿下を困らせたからには、それ相応の罰を受けてもらう。どう料理してやろう。
私はまだ見た事のない令嬢を痛めつける妄想をしながら、勢いよく馬車の扉を開けた。
従僕が扉を開けようとしていたみたいだったけれど、そんなの知らないわ。本当にどいつもこいつも愚図なんだから。
私が教室に向かっていると、取り巻きがやって来た。いつものようにその内の一人に荷物を渡す。
「おはようございます。テレノア様」
「テレノア様お聞きになりました? またあのココリスとかいう平民上がりの男爵令嬢。生徒会の皆様を探して、私達の教室まできたそうですわ」
「何なのでしょうか、あの女」
「生徒会の皆様に馴れ馴れしくしているかと思ったら、最近は同学年の男子学生を侍らせたりしているそうですわ」
「私はアーノック先生と親しく話している所を、何度も見かけました」
「本当にはしたない。一体どういうおつもりなのかしら」
「……あんな女、どうでもいいわよ」
私はきゃあきゃあと騒ぎ立てる取り巻き達を黙らせた。
「あんな下品な女、生徒会の皆様は誰も相手にしていないわ。惨めなだけじゃない。放っておけばいいのよ」
私がバッサリ切ると、全員気まずそうに下を向く。本当に器の小さい女達ね。
「あ・あの、レオドラン殿下のお話はご存知ですか?」
ピクッ。
「え? レオドラン殿下がどうかされたのですか?」
「昨日の今日ですからね。まだ皆様ご存知ないかもしれませんね」
「もう、もったいぶらないで教えてくださいな」
「あ、もしかして婚約者が決まったとか?」
ピクピクッ。
「あら、なぜお分かりになったの?」
「ウフフ、レオドラン殿下の話題で一番気になるのはそこじゃないですか」
「ご名答ですわ」
「では、とうとうテレノア様が婚約者に」
そこでシーンという効果音が流れた。何よ、その気まずそうな雰囲気は。
「あ・あの、お相手は最近噂のユーリック公爵のご令嬢らしいですわ。でもきっと何かの間違いです。だってその方まだ十一歳だとか」
「は? 十一歳ですって?」
思わず出た私の大声に取り巻き達は後ずさった。そこ、逃げようとしてんじゃないわよ。
「やっぱり政略結婚ですわ。レオドラン殿下は無理矢理、婚約を決められてしまったのですわ」
「そ・そうですわよね。おかしいと思ったのですわ。テレノア様を差し置いて、十一歳の子供と婚約だなんて」
私の言葉に取り巻き達は、嬉々として騒ぎ出した。
「ユーリック公爵はどんな卑怯な手を使われたのでしょう?」
「ルーゼット様も加担されたのでしょうか?」
「だとしたらなんてお可哀そうな殿下。親友だと思っていらした方に、政略の駒として使われたなんて」
「テレノア様、どうか殿下を助けて差し上げて下さい」
「そうです。テレノア様なら出来ますわ」
「真実の愛で殿下を救って差し上げて下さい」
……真実の愛……なんて私達に相応しい言葉なんでしょう。
ついニンマリと笑った私に、取り巻き達は後ずさりしながらもついてくる。
教室に着いた私達の目に飛び込んできたのは、朝日に浴びた神々にも劣らない超絶美形のレオドラン殿下、そして殿下を取り巻く美しい生徒会の皆様。
その空間だけ、まるで一枚の絵画のような光景が出来上がっていた。
「……レオン、あれから毎日家に来るのやめて」
「何言ってるんだ。俺は治療に行ってるだけで、やましい気持ちはないぞ」
「いや、あるよね。絶対あるよね。むしろやましい気持ちしかないよね」
「……心外だ」
「なら何で二人きりで部屋にこもるの?」
「触れ合った方が効き目があるからな」
「じゃあ、部屋にこもる必要ないよね」
「目の前でベタベタしていいなら、するぞ」
「ほら言った。ベタベタって言った。それ治療じゃないよね。イチャイチャだよね」
「………………」
「まあまあルー。レオンにもやっと来た春なんだ。少しぐらい大目に見てやれよ」
「大目なの? 毎日は大目なの?」
あら、生徒会の皆様の他者を寄せ付けない麗しいお姿に、見惚れてしまっていたわ。
何を真剣に話されているのかしら? フフ、きっとお仕事の事よね。皆様真面目だから。
「テレノア様、レオドラン殿下ですわ。ちょうどルーゼット様もいらっしゃいますし、真実の愛で殿下をお助けしてあげて下さいませ」
取り巻きの一人が私をつつく。
はっ、そうだったわね。真実の愛でレオドラン殿下の本音を聞きださないと。
ちょうど第三者もいる事だし、証人となってもらいましょう。ルーゼット様にはお気の毒ですが、私とレオドラン殿下の為です。
私は意を決してレオドラン殿下の元へ向かった。
「ご機嫌よう、レオドラン殿下・ルーゼット様・トーマス様・マルロス様・グロッセル様」
名を呼ぶのは爵位の順、学生とはいえ身分ははっきりとさせないと。フフ、やはり私ほど王妃に相応しい令嬢はいないわ。
「……おはよう、ガレット嬢」
すっとレオドラン殿下が、氷の微笑と呼ばれる美しい笑顔を向けてくれる。
ほら、やっぱり私がいると機嫌が良くなるわ。
他の生徒会の皆様もおはようと同じように笑顔で挨拶してくれる。
フフフ、私は王太子妃になるのだから、そのように気持ちを向けてこられても困るわ。
「トーマス、この書類は今日中なのか?」
レオドラン殿下がくるりと私に背を向け、仕事の話に戻られた。それを皮切りに生徒会の皆様は仕事へと戻られる。
お忙しいのね。そう思ってぼんやりと皆様を見つめていると、取り巻き達に視線を送られた。
はっ、ここで引いている場合じゃないわ。
「レ・レオドラン殿下、少しお時間いただけないでしょうか?」
「……何?」
「昨日我が家に、殿下の誕生日の招待状が届きましたの」
「ああ、今年は小規模で行おうと思っているから、ガレット嬢には幾分退屈かもしれないね。無理はしないで下さい」
そう言ってニコリと笑うレオドラン殿下。
ああん、その輝くばかりの笑顔。腰が抜けてしまいますわ。じゃなくて、何だろう。言外に来るなと言われたような感じだわ。私は気を取り直して再度、殿下に尋ねる。
「その、紹介状にも書かれてありましたが、婚約式も同時に行うと……」
「ええ、それが何か?」
「え? 何かではなく……相手がその、ユーリック公爵家のご令嬢という事ですが、それは本当なのですか?」
「そう記してあったと思うが?」
「政略結婚! ユーリック公爵に脅されて婚約されたのですね」
…………………………。
場が静まり返る。
レオドラン殿下は一瞬驚いた顔をされたが、すぐに微笑まれた。
やっぱり! 私の読みは当たっていたわ。
『流石テレノア嬢、私の事をよく分かってくれている。ええ、その通りですよ。私が真実愛しているのは、お美しいテレノア嬢。貴方です』
そう言って下さるのよね。ええ、分かっているわ。
「恐れながら殿下。もしよろしければ我が父、ガレット侯爵から今回の婚約、破棄出来るようにお手をお貸しいたしますわ。ユーリック公爵がどんな卑怯な手を使われたかは存じませんが、無理に意に添わぬ方と婚約などする事はありません。私は殿下をよく分かっています。殿下の味方ですわ。ルーゼット様も殿下のそばでずっと友達のようなお顔をなさっていたくせに、これは余りにも酷いなさりよう。友を裏切る行為ですわ」
「……黙れ」
「しかもその令嬢、まだ十一歳というではありませんか。そのような幼き子供を、紳士である殿下にあてがうとは、無礼にもほどがあります。そんな子供が王太子妃なんてなれるはずないではないですか。マナーも教育も何も出来ていないお子様など、殿下が満足されるはずないでしょう。すぐに側室を設ける羽目に……」
「黙れ!!」
ビクッ。
え? 何、今の声? レオドラン殿下?!
私は殿下の笑顔に促されて、殿下の気持ちを代弁してあげていたのに、殿下に怒鳴られた?
しかも、あの穏やかな殿下に……嘘? 声を荒げた事なんて一度もなかった方なのに……。
私は慌てて殿下を見る。
ギクッ!
殿下は今までに見た事のない怒りの形相で、私を睨みつけていた。
「……あ、ああ……」
私はフラリと横の机に手をついた。だって自力でなんて立っていられない。
「貴様は何様のつもりだ。よくもそこまで勝手な事を述べられるものだ。今の貴様の発言はユーリック公爵家、そして我が王家への侮辱としてとらえる」
怒りを押し殺したかのような、低い低い声で殿下は続ける。
「ユーリック公爵令嬢、リリアナは私が唯一愛した、たった一人の女性だ。彼女を侮辱する事は私、レオドラン・ブルーナル・リ・リーファルを侮辱する事と同意であるととらえよ。耐え難い怒りを感じるが、学園内での事、今回は特別に不問にする。が、しかし二度は無いと思え。皆にも伝えておく」
そう言ってぐるりと周りの生徒に視線を送る。
「以後私の結婚及びユーリック公爵家への悪意を耳にした場合、私レオドラン・ブルーナル・リ・リーファルと敵対する事を頭に叩き込んでおけ。学園内での事でも一切許される事はない。肝に銘じろ。以上!」
……ヘタリ……。
とうとう私は床に座り込んでしまった。侯爵令嬢の私が……。
レオドラン殿下と生徒会の皆様は、そのまま廊下に出て行かれた。
教室内も廊下から覗いていた生徒も皆、恐れに体が動かないようだった。
絶対王者の貫禄。
有無をも言わせない姿に、私は産まれて初めて恐怖を感じた。
あれが私のレオドラン殿下? そんな馬鹿な。
ふと廊下を見るとココリスとかいう目障りな男爵令嬢がいた。
「リリアナ様って確か悪役令嬢……愛してるって、そんな……ありえないわ」
何やら意味不明な言葉をブツブツ言っていた。やっぱり変な女。
いえ、あんな女の事なんかより、今は自分の心配よ。
私はあの穏やかなレオドラン殿下を、本当に怒らせてしまったんだ。どうしよう。
不安になって取り巻き達を見ると皆、目を反らしてどこかへ行ってしまった。
床にへたり込んだままの私に、手を差し伸べてくれる者は誰もいなかった。




