第85話
苦い過去。辛い時間。先の見えない暗闇に、手を伸ばして何かに触れようとする、そんな途方のない感覚。足元をすくわれ、地面のない下に向けて落下を続ける、夢のような気持ち。彼女が何に何に悩み、何に苦しみ、何に怯えているのか、重倉にはそのすべてを把握することなど出来なかった。ただ、いつもと彼女の様子が違うことは明らかで、それによって彼女が苦しんでいるように、重倉からは見えた。友達としてこういう時、何か声をかけてあげたい、何か助けになりたいと思っていても、中々行動には出なかった。
人には、必ずとは言い難いが、ギャップというものが存在している。たとえば、普段サバサバしていて男になんて興味がない、という人でも、往々にして好きな男性が出来、その人の前では普段とは違う自分が形成されていたりする。無論、そういったギャップというものが悪い訳ではなく、逆に異性間ではそうした「現実との違い」が一つのプラスポイントになっている場合もあり、必ずしも否定的なものではない。しかし、この際の重倉と永倉との間には、否定的な要素が生まれていた。彼女たちの友人関係は非常に良好で、誰がどう見ても仲の良い友達だということが出来るだろう。そして、重倉にとって永倉の存在とは、とても元気が良くて明るく、学内でも一二を争う美人でもあり可愛い女子高生である。だが、そんな彼女にも怯える一面がある。重倉がこの時それを初めて知った訳ではなかったのだが、今までとは様子が明らかに違うことに、重倉自身が動揺し、友人関係という一種の壁に突き当たっていた。「どうにかしてあげたいけど、どうすることもできない。放っておいたほうが、彼女にとって回復の要因になるのではないか」と、否定的な気遣いが生まれてしまっているのである。
重倉は、それを零治にではなく、原田哲哉に相談した。テツにとっては、重倉のそうした行動もそれまた偶然というよりは珍しい、と思え容易ならざる状況を想像した。
「んあー…なるほどな」
「私ちょっと驚いちゃって…あんな苦しそうな友莉…」
「そういや、この間もちょっと沈んでたよな。なんでだ?」
「そうね…私もそれは思っていたけれど」
そう遠い昔の話ではない。夏休み時期に彼女の様子が少しだけ不安定になっていたことは、重倉も気にかけていたし、それは零治も知るところであった。しかし、まだこの二人が知らないこともある。永倉はこの町で、もしかしたら自分の昔の親にされた人物を見たかもしれない。それを彼女が目撃した時、彼女は思わず行動不能に陥った。その場に零治がいたからこそ、その場は何とかなった。このことは、重倉もテツも知るところではない。今回の彼女も、それと同じ事象で、そして状態はそれよりも酷いものであった。あの時の彼女も沈んでいたが、今日に関してはそれ以上である、と重倉は感じていた。
「あの二人に、何かあったとか?」
「お?零治か?いやそうには見えんがな。どっちかっていうと…ハルと同じように気を遣ってるんじゃないか?」
「んー…」
確証はない。しかし、確かに零治なら彼女のことに気を遣って、そうっとしておくことが考えられた。そういえば、零治の姿もあまり見ていない。恐らくは放課後すぐに帰宅したのだろう、と二人は話していた。
学校の中にある広間。お昼休みなどは人で賑わうこの場所も、放課後になれば空いている。全く人がいない訳ではないが、話すには環境が整っている。重倉もやや深刻な表情で話を進める分、テツも表情を堅くして話していた。内容も決して軽いものではない。
「零治も零治でな、色々あんだよきっと」
「私が見込んだ男だからきっと、立ち直ってくれると思うけどね」
「…お、おう?」
「冗談よ、前半はね」
この時、まだテツは零治に何が起こったのかを知らない。何故なら、SFG内でアレンとチェーンが親しい仲であるということを、多くのプレイヤーは知らないからである。テツはこのことを随分前から知っているが、彼自身あの戦闘時の映像を確認していた訳ではないので、他人が知るはずもない人間関係で、大切な人を殺したことなど確認する術はなかった。何も知らない人にとっては、ただ逃げ遅れた敵兵士を残っていた彼が撃墜した、と解釈することも出来るだろう。しかし、実際はそのようなことよりも重くのしかかる事態に発展していた。アレンという男が、旧友のチェーンを殺害したことは事実である。あの世界でしか生きられない、機械によって作られた、あの世界での、本当の人間を。このことを、永倉自身は知っている。彼女は実際にパソコンでその映像を聞いていたからだ。あの映像、あの状況を見て永倉は確信していた。
「立ち直って、欲しい」
「…まぁ、そう重々しく考えすぎるなよ。俺たちまで参っちまったら、しょうもねーだろう?」
強気、というよりも前向きに捉えようとするテツの精神的な構えが、重倉にはうらやましかった。苦しそうにしている友人を目の前にして、心配することくらいしか出来なかった彼女は、自分が無力であるという自覚に苛まれていた。しかし、ここではテツの言葉や構え方が励みにもなった。誰にだって悩ましいことはある。人によってそれは様々である。そのすべてを解決するのは恐らく無理だろう。しかし、そうであったとしても、支えという立場で居続けたい。その考え方に変わりはなかった。
「…そうかもね」
「そうだと、俺は思うぜ。とにかく、落ち着くまで待ってみようや。…さて、俺ぁまだやることあるからよ!そろそろ行くぜ」
「分かった。ありがとう、話聞いてくれて」
…女心は、理解されにくい。分かってもらうのも、きっと難しい。けれど、そうじゃないね。そういう考え方じゃなくて…ね。
重倉は、振り返って遠くに走っていくテツの姿を見て、どことなく寂しげな表情を露わにした。ある意味、それも重倉らしくないものであったのかもしれない。本人が気付かないところで、その人らしさを見失うこともあるだろう。かつて、重倉自身が零治に変わったね、と言ったように。
彼がSFGの中でどのようなことをしてきたのか。それは重倉には把握出来ていないところでもあり、友莉でさえ断片的にしか知るところではない。そういう点では、テツが一番ゲームと関わりがあるので、様々な情報を得ることが出来ていた。しかし、それとは別に、情報としては扱われない変化も、確実に訪れている。あの男が彼に言い放ったように。
「…絢音にでも、連絡してみようかな…」
夕時を過ぎ、夜の空が覆っていた時間帯。既に帰宅し家事も終えていた友莉は、ベッドに横になりながら無音の空間を一人で過ごしていた。特にすることも無くなり、ただ空虚な時間が通り過ぎていく。その中で、昔から良くしてくれた友人に電話をしようか、と彼女は思った。だが、その時同時に彼女は昔のことを思い出した。零治に打ち明けた時の、あの内容を。
「…」
彼女は、静かに一度は手に持った携帯を、枕元に置いた。自分から連絡することを躊躇った。頭の中で過去の記憶が映像化され、流れるようにして過ぎ去っていく。無音の空間が、さらにその映像や記憶を鮮明に映し出す状況を作り出していた。
潤んだ瞳の中に、あの情景に映し出された、男の姿を思い出す。
Space Fantasy Game
第85話 ―悲壮の中の、思い―




