第76話
「…どうしたんだろうね」
「うん…」
そこにいつもの彼の姿は無かった。9月中旬、仮想世界でドーミア星の二つの拠点を奪取した翌日のこと。夜中まで起きていたのか、あるいは何かあったのか分からない永倉と重倉の両名は、昼休み起き上がることのない彼、零治の姿を見ながら静かに話していた。いつもなら弁当を広げるなどして、ゆったりと過ごしている。友達と談笑する姿もよく見かける。だが、今日の彼にはそんな様子は一切なかった。昼飯を食べることもなく、ただ自分の机に両手をついて顔を伏せていた。寝ているかのように。朝から何か様子が変だ、と永倉はすぐに感じ、授業中にも彼の方を何度か見たが、余裕のある表情はそこにはなく、無表情の中に何か別な感情で溢れているような、そんな姿であった。彼女はそんな彼を心配し、何か話しかけようとしていたのだが、あまりに彼がいつもと違う気がして、そうも出来なかった。昼頃には重倉もそれに気づき、そして今に至る。
「テツも話しかけてないっぽいし…喧嘩、かな」
「でもテツと喧嘩しても他の男と話せるよ。きっと、別の何か」
「別の何か…」
ただ眠いだけなら、それでも良い。しかし、そうであるとも思えない。普通のようには見えない彼は、何か大事なことを隠しているのではないか、どうしてもそう思わずにはいられなかった。結局、彼女たちはその後声をかけることはしなかった。放課後になり下校を始める。多くの生徒が帰路につく中で、その人混みの中に彼の姿もあっただろう。友莉は用事のためにしばらく学校に残っていたが、やがて夕暮れが空を染め上げる頃には、家に戻っていた。
…気になるじゃない。だって、あの姿は…もう一人の、零治みたいに見えるんだもの…。
夏の終わりに吹く、やや静かで冷たい風。再び夜が空を覆う時、彼女は自分の家とは別のドアの前にいた。
「…?」
そこは、零治の家だった。外を眺めながらボーっとしていた彼の耳に、普段鳴らないような音が聞こえてくる。それが家のインターホンであることはすぐに分かった。テレビをつける訳でもない、本を読むわけでもない。ただ空色が変わるのをじっと眺め続けていた彼は、玄関先に出る。
「…友莉?」
「あ…ちょっと良いかな?」
彼女がそういうと、彼は少しだけ頬に笑みを浮かべ、親指で中へ入るように合図した。彼女は静かにドアを閉め、靴を脱ぎ室内へと入って行く。一体何をしていたのだろうか。静かな空間に電気もついていない。机の上も綺麗であった。そして、枕元にはいつも彼が使用しているであろう、例のゲーム機材が置かれていた。
「珍しいな…」
「珍しい…かな」
「なんとなく、俺はそう思うよ」
いつも通りに話しているようにも見えた。でも、彼女にはその行動がいつも通りでないことが直感で受け取っていた。普段と違う自分を隠し、普段の自分に居させようとしている。学校とはまた違う姿なのかもしれないが、なんとなくそう感じていた。
何か話さなきゃいけない。何かを伝えて、自分の力を役立てたい。何度も頭の中で言葉を言い聞かせても、行動に移すことが出来ない。そんな今の自分自身を恨みたくもなった。とにかく何かを言おう、としたその時だった。
「…助けたい奴がいる」
「…?」
「あの、もう一つの世界で。だけど、たった一つしかない世界で…」
…守りたい奴がいる。たかがゲームに何本気になっているって、言われるだろう。だけど、俺にとって奴は大事な仲間だ。あの世界で、俺は何度でも生き返る。だがあいつにとって生きている世界は、たった一つだけ。
助けたいんだ。俺の手で。
そこで彼女は、今まで以上の時間をかけて、彼の話を聞くことが出来た。彼が潜っている、もう一つの世界。彼にとって二つの世界があったとしても、あの中の世界で生まれ育ち生活をする者たちは、やり直すことが出来ないのだということを。かつて自分たちと一緒にゲームを楽しんでいた一人の仲間が、不明の経緯で敵となり、戦わなくてはならない状況にあるということ。ゲームの世界を体験していない彼女にとっては、中々すぐに話を理解できなかった。しかしながら、それらの話を聞いて彼女がすぐに思ったことは―
「…ゲームであるはずの物語が、まるで私たちと一緒の世界になってるんだね。舞台は全然違うし、生活も姿も違うけど…」
仮想と現実の境界線。このゲームが発売され、運営が始まった当初など、誰もそのようなことを気にはしなかった。純粋に世界初のリアル体感ゲームを楽しみ、もう一つの人生を楽しむかのようにゲームに浸かって行った。しかし、このゲームの本質を理解した時、特にそれに関わる者たちはゲームという理由と設定を単純には受け入れられなくなってしまった。ゲーム、いや物語にするにはあまりに話が重い。
そして彼女は知る。この主人公のいないゲームの中で、零治が主体となって物事が動くことがあるのだということを。そして、零治の動き方が今までの状況に数多くの影響を与え続けてきたということを。そのことに対し、零治が責任を感じ、自分でさえ気付いていない負担を抱え込んでいるのだということを。
カウントダウンと共にやってきた、歯車。彼の一歩に反応して、時と共に回り続ける。ある一つの、冥界のゴールを目指して。
「…皆、心配してたよ。ハルも、他の人たちも」
「そうか。…すまないことをしたな」
「ううん、大丈夫。ただ…、他の人には言えないよね?」
「…そうだな。そうかもしれない」
…私だって、心配した。
「…?」
彼女の表情がうっすら強張っているようにも見えた。何かをため込んでいるような、でも表には出て来られないようにしているように、彼には見えた。それだけ自分は普段と違うように、他の人から見えてしまったのだろうか、と零治は自分に対して疑問を持つ。
「本当はね、力になりたくてここに来た。零治が心配だったから。何かあったんだろうって、思って」
「…」
「零治がこれからどうするかは、自分次第だと思う。けどね…零治がしたこと、零治自身は正しかったって、思えるようにしなきゃ。何に対しても責任感じて、道を誤っただなんて、思わなくていいんだよ」
『でも、アレン。それはあなたが選んだ道…だとすれば、あなた自身はせめてそれが正しかったといえるように、頑張らないと駄目よ。あなたが頑張る一方で、あなたのせいで傷つく人がいる。このゲームは、それが当たり前なんだから』
…。
そうだ。あの時、あの人…チェーンも言っていた。それを零治はその場で思い出した。この先どのようなことが待ち受けているか、彼にも誰にも分からない。時もそれをただ見続けるだけなのか、それとも左右させてしまうのだろうか。彼は彼なりに立ち向かう必要があるのだろう、友莉はそう考えていた。
「私も帰ったらゲーム見てみようーっと」
「たぶん、俺ならすぐに見つかると思うよ。TV機能は便利らしいからな…」
友莉は一度立ち上がって、まだカーテンの閉ざされていない窓際のところまで行く。夜が空を覆いかぶせ、星も良く見える頃になるだろう。いつの間にか時間は経っていた。お互い一人暮らしを続けている身であるから、時間の使い方は自由であった。ここに来ることが出来るのも、そういった自由のうちの一つである。まだ彼は本調子ではないだろうが、それでも学校にいる時よりは楽そうに、彼女からは見えた。自分が今日したことは、間違っているのだろうか、それとも正しいのだろうか。友莉は、はじめからそのようなことは考えなかった。
ただ、彼に笑みが見えるのが嬉しかった。
「やっぱり零治は、いつも通りが一番な…っ!?」
…!!
まるで、一瞬だけ自分の体も時間も止まってしまったような、そんな感覚であった。何が起こったのかを理解するまでにかかった時間が、十数秒も長く感じられた。実際に経過した時間は5秒足らずだった。自分の後ろにいるのは、この部屋に二人しかいないうちのもう一人、零治。
その零治が、彼女の両肩にそっと手を置き、弱く掴んだ。
「…俺には、友莉が必要だ。これからも…」
驚くことの連続で、一体何がどうなっているのか分からなくなりそうな彼女であったが、その驚きのまま、自分の両手を肩に置かれているもう一人の手に、優しく握りしめた。思わず涙が零れてきそうになる。彼の放ったその言葉が自分にとってどれだけの意味を持っているのか。今まで自分が心の中で思い続けていたことが、まるで表面に現れたような現状。思い続けても伝えることが出来ず、いつも彼の背中を見ては消えていくのを眺めているだけであった。
しかし、この時の彼女は、そうではなかったのかもしれない。
「…力になるよ。私、零治の傍に居たいから…」
もしかしたら、この時彼が彼女に打ち明けたこのことこそ、彼の素が含まれた感情や思いだったかもしれない。後になって、彼女はそう思い返すことになる。一つの歯車が役目を終えた後に。
彼が、彼であることを終えた時に。
Space Fantasy Game
第76話 ―思い、抱いて―




