第8回
「信じるのを、やめる…?」
その言葉一つ聞いただけでも、俺は上半身に鳥肌に近いような感覚を持っていたことに気付いた。何と言うべきか…彼女が言うと、妙にハッキリと伝わってくる。説得力がある、と言うものなのだろうか。いや、それとも…何かそういう、これから話すようなことを経験しているような人の言葉は、良くも悪くも、伝わりやすいのだろうか…。
俺も、その一人であったかもしれないが…。
「うん…色々、経験してきた。全部話すと…長いけど、でも聞いてほしい」
「…あぁ」
妙に力が入る…。これから永倉さんがどんなことを話すのか…普段俺が知ってる永倉さんとはもう、ホントに別人みたいなものだが、それでも俺は気になる。そしてもし…もし―
彼女の背負っている重荷が軽くなれば…。
「私は、小さい頃の記憶は、よく覚えてないんだ。だけど、知ってることは幾つもある。よく覚えてるのは…そうだね、親が、私が2歳の頃に育児放棄したって話とかかな…」
「…!!」
本当は、彼女はこのようなことを思い出したくはなかっただろう。彼女は昔の自分の夢を見ると、そこに出てくる人や現象などに対し、悲観的になったり、時には苛立ちといった負の感情を表に出す。それほど、彼女が受けてきたものは、荷が重い。だが、自然と彼女は自らの意思で、その口を開いていく。
彼を目の前にして。
育児放棄って言っても、色々種類あるよね。ネグレクトとかも、きっとその辺りに入ると思うけど…最初はね、私も…その程度だと思ってた。親が不機嫌で、両親共に私に当たってくるだけだと思ってた。元々愛情豊かに育てられてるって感じはしなかった…でも、それでも毎日生活は出来てた。
…でもね。ある時、お迎えが来た。誰かも分からない人が黒い車に乗って。
「…誰か来たよ?ママ」
「…」
そんな沈黙がいつまでも続けばいいって、思った。ただお出かけするだけだと良かったのに。小さい私でも分かった…その日は、家に帰れなかった。泣いたよ…帰りたいって。でも、そう言う度に、意地の悪いおばさんにきつく怒鳴られ、頬を叩かれた。その日が散々だったのは…私も覚えてる。小さくても…ね。
「お前もよくこんな子供を引き受けたなあ?」
「ふん、うるさいわね。小さな子でも使えるなら、利用させてもらう。それだけのことよ」
「…?」
ほら、さっさとこっちに来なさい!今日から、あんたの親は私だよ。
「…人身売買…」
「…うん、当たり。お金で取引されたということだけは、間違いない…」
私の本当の親が私を養えなくなったのか、それとも私に呆れたのか…それはもう、今となっては分からないけど、親が変わったことだけは、ハッキリと分かった。住む場所も変わって、しばらくは古びた家で生活した。毎日毎日…怒られてばかりで。それでも、成長すれば幼稚園には行かせてもらえたんだ。それだけが…救いだったかもしれない。
それから、何度も何度も、親が変わった。そのどれもが身売りだったかどうかは…私にも分からない。これが何回目かなってくらい、覚えられないくらいには、変わったと思う。そんな状態だから、当然小学校だってまともに出席してない…行けば行ったで、いじめられてた。居場所なんてどこにも無かった。極端に無口で一切面倒を見ようとしない人もいれば…仕事が忙しくて、私が起きてる時間に帰って来ない人もいた。
「…しかし、よくそんな状態で…」
「…そうだよね。不思議だよね。どうして生きていたんだろう?」
それでも、中学生くらいの時に一度、親切に接してくれる親元に行けた。今までの人とは違って愛想が良くて、ご飯も作ってくれて…この人たちなら、私大丈夫かなって、思って期待してた。だけど、結局その人たちにも、私は手に負えなかった。私が酷い人だから…そういう理由じゃないとは思う、けどやっぱり養えない事情があったんだと思う。
今度こそ、今度こそって、今まで期待してた。
これ以上、私は前みたいに傷付かなくても良いって。ようやく本当の自分を作り出せるんだって。でも、そうはいかなかったよ…中学生でまた親が変わって、そして…ここまで話すと、本当に零治君と似てる部分もあるね。
「…?」
「…事件。夏休みのことだったけど…」
「…夏、休み…」
…そうだね。零治君が言う、族に近い人なのかもしれない。中学3年の中頃のことだったけれど…その当時は、親は毎日私の体で弄んでた。こんなこと、男子の前で言うべきじゃない…そう思う、けど…毎日、毎日毎日毎日…親と子の関係だけど、血は全く繋がってない、全くの他人。それも慣れてどうでもいいって、思い始めてた頃かな…。
「汚い女だね!!」
「やだっもう。近づかないでっ」
「臭い菌巻き散らかすなよ」
「…」
はじめは、馬鹿正直に汚いんだ、と思ってたけど、当然違うよね。そこには差別意識があったんだと思う。何もしてない私が、どうしてここでもこんなことを言われなきゃいけないんだって、本当に悔しくて…でもそこで気付いた。
「あーん?友莉アンタ怒ってるの?」
「いい度胸ね。ほら、やる気があんならかかって来なさいよ?」
…時期が時期だったからかな。ほら…中学生って、小さい子みたいに物心激しいところ、沢山あるから…私も、いつの間にか言われることに苛立ってた…相手にするべきじゃないって、思ってたけど…でも事件は起きた。夏休み中ね、入試のための夏季講習に、参加してたんだ。それ自体は別に何とも思わなかったんだけど、いつも私をからかうあの人たちも、いた。シャーペンの芯とか消しゴムのくずを投げられたりしてたけど、それは別に大したことはなかったんだ…休み時間に罵声を飛ばされても、無視してた。だけど、ある日の帰り際のときに…。
「あ、お疲れ、さま」
「おっす永倉かお疲れさん。あ、そうだもしよかったらなんだけどさ?」
「…」
「これから体育館倉庫、片付けに行くんだ。部活ってのは忙しくってなー」
その人は、同じクラスで席が近い男の子だったんだけど、ちょうど部活が終わって片付けをしてた最中だったみたいで、1階で会ったんだ。大変そうだったから私も手伝うことにして…マネージャーみたいなこと、してた。けど、どうやらその様子をあの人たちが見てたようなんだ。都合のいい話だと思う…けど、きっとあの人たちの中に、その男の子を好きな人が、いたと思う。結局本当のことは、最後まで知れなかったけど…。
「んあ?態々校内放送か…ごめん永倉!ちと頼んだ!」
「えっ、で、でも」
「大丈夫だお前が並べたならたぶん文句は言われねぇさ!」
部活の顧問の人に呼ばれて、その人は職員室に向かって行った。私一人だけ体育館倉庫で片付けして…ここまで来ると、もう予想ついてるよね…?漫画とか、ドラマとかで、よくありそうな展開だって、今は思える…。
…。
「…!?」
「あんた…あの男と一体何話してたのよ!?」
突然乱暴に扉が開いた。鉄のレールが錆に反応して激しく音を響かせる。それに驚き、永倉はすぐに後ろを振り返った。扉を開けた先、目の前に立っていた女性二人に、彼女は驚愕する。どうしてここに来たのか。それを言おうとした瞬間に、その怒号は形となって表面に浮彫になった。渾身の力で腹部を蹴り飛ばされた彼女は、持っていたものをその場ですべて落とし、バレーコートの支柱の山に背中を激突させた。その瞬間上から支柱が幾つも降ってきて、頭部、肩、膝などを強打する。全く予想もしないところでやってきた、突然の激しい痛みに思わず声が出る。
「生意気なくせにズケズケと…」
「あんた、自分がこの学校で居場所が無いことくらい、分かってんでしょ?クラスだって私たちがいる限り、ずっとそうなるわ」
「…」
「反吐が出るね!!その態度」
「なんか、言い返してみたら?」
何とも誇らしげに笑みを浮かべる二人の顔を見て、痛みを引きずる余裕が、その時点で彼女には無くなった。彼女の中に、それも彼女自身の奥深くに眠っていた一つの感情が、静かに水蒸気爆発を起こす。その目の色の変わりようを見て、更に二人の女性は笑い出した。自分の体よりも重いと感じる何本もの支柱をよけ、姿勢が崩れそうになりながらも、彼女は立ち上がった。
「…違う。私の居場所が、無いんじゃない」
「あ…?」
「…貴方たちは、居場所を作らせないようにしているだけ。貴方たち自身の手を汚して…」
「同じことじゃない?結局、あんたにいられちゃ迷惑なのよね」
「そうそう!醜い生き物は消えちゃえばいい」
「…だったら、消せばいい。その手で、私を消せばいい」
そこまで言うのなら、望み通りにさせてやる。彼女には二人の心の声を聞いたような気がしていた。先ほどまで誇らしげに、不敵な笑みを浮かべていた二人は、突然真顔になった。彼女の言ったその言葉に、ついに二人のリミッターが解除される。表に現れた彼女の反抗意思が、二人の心の奥底で抑えていた理性の線を断ち切った。次の瞬間、言葉とも思えないような激しい怒りを、憎しみを彼女に言葉でぶつけながら、体ごと向かってきた。思いっきり突進され、彼女はそれを右によけたが、倒れている支柱に足を取られて勢いよくその場に転倒した。その隙に、もう一人の女性が駆け寄り、足先にある靴に力を入れて顔面を蹴った。再び強烈な痛みが彼女を襲う。その部位だけでなく、全身に痛みが伝わる。
「絶対にあの男に近づくな!!」
「もういいわ。やっちゃいましょう?」
「…そうね。もう我慢できない!!!」
…たぶんね、昔から嫌われる人は、生涯ずっと嫌われる。そうならないために努力してるつもりだし、良いようにさせようと頑張ってるつもりなんだけど、どうしても…どうしても、結局は元に戻ってしまう。嫌われ者の運命なのかなって、思うこともあるよ。あの時はもう…誰もが冷静さを失ってた…
一人の女性が彼女の背後に回って体を押さえつけると、もう一人の女性が下腹部を蹴り飛ばした。後ろで体を押さえていた女性も一緒に壁に激突し、また新たに痛みが発生する。今度は後ろの女性が彼女の体を前に押し出す。転倒しそうになるところを、彼女は何とか堪えてその場に留まった。だが、二人の攻撃が止むことはなく、素手で顔面を殴られたり、引っかかれたりなど、彼女の外傷は増え続けていく。
もう一度、彼女の体を押さえつけようと手を伸ばした一人の女性が、彼女にはハッキリと見えた。その手を掴んで思いっきり自分の体の方へ引っ張り、最も近づいたところで彼女は手で顔面を押し出した。すると倉庫の段差に引っかかったその女性は、少し高低差のある床の下に叩きつけられた。もう一人、彼女の視界の目の前から殴ろうとした女性の動作を片腕で止め、もう片方の手で思いっきり顔面を殴った。
「…なんだって…なんでなんで…っ!!」
その女性は、鼻血を出していた。彼女にも、ハッキリと見えていた。自分が血を流していることに気付いたその女性は、完全に我を忘れた。荒れ狂う巨大な象のように向かってきた女性の速さに対応しきれず、再び彼女は押し出された。今度は陸上競技の計測に使うような道具が頭から降り注いできた。その女性は両手で再び横にあった支柱を倒し、彼女に直撃させた。全く狙ったような様子ではなかったが、足と手が完全に倒れた支柱にふさがれ、身動きが取れなくなる。彼女は動こうと必死になったが、体の重さと痛さがそれを邪魔する。
そして、その女性は少し遠い位置にあった、陸上競技に使われる砲丸を両手で持ち、サッカーのスローインと同じようなフォームで、思いっきり彼女に投げつけた。
球の重さと重力に従う力が働き、無抵抗に彼女の下腹部に直撃する。
「あああああぁぁぁぁ!!!!!!」
「ハハハッハ…ハハ…痛いでしょう…?そんな重たいものをまともにそこに受けたらもう、子供なんて産めなくなるでしょうねぇ…?」
「……うぐっ」
「ハハハ…知ってるわよー?アンタのこと…噂になっててねえ。親が何人も変わって、まともに教育もさせられてないんですって…?ねえ何人目なの?教えてよー友莉ーっ?…私なら貴方を楽にさせてあげられるわ…今の私ならね…」
その女性は、槍投げ用の槍を両手に持つ。
…どうでもいい。どうなってもいい。どうにでもなってしまえ。
…もう、いい。
…何もかも、ここで失っていい。
死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい死んでしまえばいい
「おい何やってるんだお前ら!?」
「こ、これは…お、おい永倉!おい!!!」
…けど、私は、赦してもらえなかった。こんな思いをしても、私は、生かされた。何人か、私を生かしてくれた…その時の私は、もうそんなこと望んでいなかった、けれど…。
Space Fantasy Game
番外章 「真実」 第8回




