第47話 家具屋での小さな修羅場
朝の光が、窓の格子から柔らかく差し込んでいた。
新しい家の一室は、昨日までの埃っぽい空気とは打って変わって、どこか清々しい香りに包まれている。
リビングでは、フィアナがほうきを手に、床を念入りに掃いていた。
「見て見て、ほこりがこんなに!」
小さな尻尾をふわふわ揺らしながら、彼女は自慢げに見せる。
隣ではミリアが手際よく布巾を絞り、テーブルを磨いていた。
暖炉の前にはセレナが腰を下ろして、間取り図を広げている。
「家具の配置……キッチンの棚と食器台、それから寝具も揃えないとね」
淡々とした声だったが、その瞳の奥には微かな期待が滲んでいた。
外から木桶を抱えて入ってきたアルスが、その様子を見て苦笑した。
「おいおい、朝から張り切りすぎだぞ」
「だって、新しいおうちだもん!」
フィアナが胸を張る。
彼女の耳がぴょこんと立ち、まるで春先の猫のように元気そのものだ。
アルスは桶を床に置き、窓を少し開けた。風が流れ込み、木の香りと太陽の匂いが混ざる。
「……落ち着くな、ここ」
小さく呟いた言葉に、セレナが頷いた。
「ええ。暖炉がある家なんて、久しぶりだわ」
その瞬間、四人の胸の奥にふわりと同じ思いが浮かんだ。
――ああ、ここが、自分たちの“帰る場所”になるのだと。
掃除を終え、リビングのテーブルを囲んで部屋割りの相談が始まった。
家には六つの個室と、屋根裏部屋が一つ。十分に余裕のある造りだ。
「私は南向きの部屋がいいですっ!」
ミリアが勢いよく手を挙げる。
「日当たりがいいし、お花も飾れるし、朝の光で目が覚めるのが理想です!」
彼女の言葉に、フィアナが頷いた。
「じゃあ私はお庭が見える部屋がいいな。花壇の跡があったし、お花育てたい!」
「ふふ、可愛いわね」
セレナが微笑む。
アルスは腕を組み、間取り図を眺めながら呟いた。
「じゃあ俺は……階段近くの部屋でいいかな。出入りが楽だし」
「ならセレナさんはその反対側ですね!」
ミリアが楽しげに指を差す。
だが、その瞬間。セレナの手がわずかに止まった。
「……反対側?」
「はいっ!」
「……そう。別々、なのね」
わずかに目を伏せたその表情を、誰も見逃さなかった。
アルスは気まずそうに頭をかいた。
「いや、あの……前みたいに同じ部屋じゃなくても」
「ええ、わかってるわ。……わかってるの」
セレナは笑ってみせたが、どこか寂しさが滲んでいた。
午後になると、四人は商業区の家具通りへと出かけた。
色とりどりの看板、香辛料の香り、そして人々のざわめき。
大きな家具屋の前には、木製のベッドやテーブルが並んでいる。
「わぁ……見てください、すごい品揃え!」
ミリアが目を輝かせ、フィアナは椅子の前でぴょんぴょん跳ねる。
「これ、座っていいのかな?」
「ダメです、値札がついてます!」
セレナは落ち着いた様子で、店内を見渡していた。
「まずは必要最低限のものから。テーブルと椅子、寝具、それから食器棚ね」
「お風呂の桶も新しいのを買いたいな!」
そう言ってフィアナは、展示されているベッドにちょこんと腰を下ろした。
「この毛布、ふかふか……!」
フィアナは思わず頬を寄せかけ、はっとして手を引っ込めた。
「……あ、でも、まだ買う前だよね」
そのとき、通りの向こうから見覚えのある顔が現れた。
「まぁ、もうお引越しの準備ですか?」
ナタリアだ。昨日、家を紹介してくれた商人ギルドの職員。
彼女は微笑みながら四人を見て、胸の前で手を合わせる。
「なんて微笑ましい光景……! 皆さんで家具選びだなんて、まるで新婚さんみたいです!」
「し、新婚……!?」
ミリアが真っ赤になる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
アルスが慌てて手を振った。
ナタリアは頬を押さえながら(尊い……)と小声で呟いていた。
家具屋の奥、寝具のコーナー。
大小さまざまなベッドがずらりと並び、柔らかなリネンが陽光を受けて輝いていた。
セレナは一つの木製ベッドを見つめながら、ふと呟いた。
「アルスの部屋、そんなに広くないのよね……ベッドが二つも置けないわ」
何気ない一言に、アルスは思わず眉をひそめる。
「いや、そもそも別の部屋に――」
「……じゃあ、一緒に寝られるように、大きなベッドを一つ買えばいいのよね?」
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
フィアナの耳がぴくんと跳ね、ミリアの顔が真っ赤に染まる。
「せ、セレナさん、それはその……!」
家具屋の店主が「え?」と目を丸くし、ナタリアがハンカチで口元を押さえた。
「えっ、それってつまり……っ(あぁぁ尊死……!)」
「ま、待て待て待て! 誤解を招くようなことを言うな!」
アルスが慌てて否定するが、セレナは小首を傾げるだけ。
「別にやましい意味じゃないわ。ただ……慣れてるだけ」
「慣れてるって……!」
真顔で言い切るセレナに、店内の空気がざわめき始める。
ミリアは両手で顔を覆いながら心の中で叫んだ。
(ちょ、ちょっと! 何その天然爆弾発言!? あぁ……でも……わかる、尊い……!)
――そのとき。
カラン、とドアのベルが鳴った。
振り向くと、籠を提げたリナが立っていた。
その手には焼き菓子の包みが見える。
「あっ、アルスくんたち!」
にこやかに駆け寄るリナ。
「買い物ですか?」
「ああ、家具を見に来たんだ。拠点を買ったから、みんなで住むことになってね」
アルスが何気なく答える。
次の瞬間、リナの動きが止まった。
手にしていた焼き菓子が、ぽとりと床に落ちる。
「……みんなで?」
その声は震えていた。
「ええ。アルスと、私と、ミリアとフィアナで」
セレナが穏やかに説明する。
だが、その穏やかさがリナの胸に火をつけた。
「そ、そうなんですねぇ……とっても仲がよろしいことで……」
笑顔の形をした何かが顔に張りついている。
だがその頬は引きつり、耳まで真っ赤だった。
そこへ、セレナが再びベッドを見ながら呟いた。
「でも、アルスの部屋、ベッド二つは入らないのよね……。だから一緒に寝るために大きなベッドを――」
――その瞬間。
バシィッと、リナの中で何かが弾けた。
「なっ、なっ……な、なにそれぇぇぇ!? 一緒に!? 一緒に寝るんですか!?」
リナの声が店内に響く。
アルスが慌てて両手を振る。
「ち、違う! 誤解だリナさん!」
「誤解って言いましたね!? でも“慣れてるだけ”って、さっきセレナさんが――!」
「ちょ、聞いてたの!?」
「聞こえちゃいましたよぉぉぉ!」
顔を真っ赤にしたリナが、涙目でアルスをにらむ。
ミリアは「ひぃぃ……これ修羅場だ……!」と呟きながら、じりじりと後ずさった。
フィアナは耳をぴくぴくさせながら、「……なんだか面白くなってきた」と小声で笑う。
店主はカウンターの陰から、息を潜めるようにその様子を見守っていた。
結局そのあと、アルスが必死になってリナをなだめ、セレナも「本当にただの寝具の話よ」と静かに言い添え、ようやくその場は収まった――が。
帰り際、リナはまだ少し頬を膨らませていた。
「……大きなベッド、買わないでくださいね?」
釘を刺すように言い残し、彼女は去っていった。
セレナはその背中を見送りながら、わずかに唇を上げた。
「……ふふ、可愛い子」
「どこがだよ!」
アルスの叫びが、街の通りに響いた。
店主は何故か寝具の値段を割安にしてくれた。
アルスが落ち着きを取り戻したあと、ミリアがそっとセレナの肩に手を置き、小声で囁く。
「セレナさん……今の、わざとですよね……?」
セレナは一瞬だけ視線を逸らし、それから小さく肩をすくめた。
「……さあ、どうかしら」
ミリアの胸の中で、先ほどの騒動がちょっと誇らしく、ちょっと可笑しく感じられた。
家具を選び終えた頃には、空が橙色に染まり始めていた。
荷馬車に荷を積み、四人は並んで家へと戻る。
暖炉の前に新しいテーブルを置き、椅子を並べる。
木の床に足音が響き、柔らかな夕光が差し込んでいた。
「家具が入ると、一気に“おうち”って感じだね!」
フィアナが両手を広げ、ミリアも嬉しそうに笑う。
「うん……これから、ここでいろんな日々が始まるんですね」
セレナは窓辺に立ち、外を眺めた。
「……そうね」
その声には、少しだけ安堵の色が混じっていた。
アルスは小さく息をつき、壁にもたれる。
「明日からはまた探索の準備だな。休む間もなさそうだ」
「ふふ、そういうのも、アルスらしいわね」
セレナが微笑んだ。
暖炉にはまだ火が入っていない。
それでも、笑い声の残るリビングは不思議なくらいあたたかく感じられた。
夜、屋内が静まり返る。
フィアナは新しいベッドに飛び込み、ふかふかの毛布に埋もれて嬉しそうに笑っている。
ミリアは花模様のカーテンをかけ、机の上に小さな花瓶を飾った。
そして、セレナは廊下を歩いていた。
ふと、アルスの部屋の扉の前で立ち止まる。
中からは、何かを片付ける小さな物音がする。
(……少し、寂しいわね)
けれど、彼女は小さく笑った。
(でも、これでいいのかもしれない。私たちは仲間……それ以上を望むのは、まだ早いわ)
そう呟いて、自室へと戻る。
夜風がカーテンを揺らし、星明かりが床に落ちた。
――こうして、彼らの新しい暮らしが静かに始まった。




