第九話「技と心の相関」⑦
ルヴィケスとトドイが交渉の場に忍び込むと、丁度交渉が始まったところだった。
「ウィテケシの民、ビヴァットよ。歓迎する」
しかし、既にビヴァットの表情は硬く、その内心を示すかのように首筋に汗が浮かんでいた。
金銀の糸が織り込まれた敷布。互いの国の国旗が掲げられた窓。等間隔に並び室内を照らす燭台。脇に整列する全身甲冑を着込んだ儀仗兵。会話の邪魔をしない程度に微かに音を響かせる鼓笛隊。
そのすべてが一つの事実を示しており、相手方の思惑を示している。
(ウィテケシ式の謁見の間を模した室内。これによりトゥヴェカ゠ヌはこの場を貴人への拝謁と定義している……! まずい、だとすると)
ビヴァットは膝を突いて深々と頭を垂れる。それにクーピムーンズも慌てて従う。
「トゥヴェカ゠ヌの真に尊きお方に対するご拝謁、光栄の至りでございます。我が名はビヴァット゠ハウ゠フォーフマン。こちらは付き人のクーピムーンズ」
「我が名はトゥヴェカ゠ヌの当主代理執行者、イストタラである。面を上げよ、客人よ」
「はっ」
即座に顔を上げるビヴァットとクーピムーンズ。クーピムーンズは状況をまだ理解できていないが、ただならぬ雰囲気を感じてビヴァットの動きに従っている。その判断にビヴァットは深く感謝した。
ビヴァットはイストタラの顔を見た。獣人としての特徴が表れている部位はそう多くなく、額に長い一本角が伸びていることと、やや爪が鋭いことくらい。ほぼ人間であることから、対応を特別変える必要はなさそうだった。
一礼。片手を掌を上にして伸ばし、無言で固まる。
「発言を許可する」
「ありがたき幸せ。本日は我が国より友好の証として貢物をお持ちしました。まずはこちら宝剣ダゴエンを」
疑問を浮かべるクーピムーンズに視線を向けることはせず、ビヴァットは自身の持ち物の中で最も高価なものを掲げる。そして、脇から進み出てきた文官風の衣装を着た人物に渡す。
それを手渡されたイストタラは不思議そうに首を傾げる。
「はて。こちらはどのような剣であるか?」
「我が国の鉱山より採掘されし鐵、我が国の森林より伐採せし木。それらを我が国の泉より採取した水で清め、我が国の人が起こした火で鍛えました。我が国を削り取り形にした、我が国そのものと言える宝剣にございます」
「……真であれば、それは確かに誠意に満ちた贈り物であろう。して、他には?」
ビヴァットは唇を噛む。大して価値のない宝剣を受け取らせることには成功したが、量が少ないと言われれば否定はできない。
「車にて三台分、我が国の特産品を表に用意してございます。許可をいただければ後程運び入れさせていただきます」
「なるほど。目録は?」
「こちらに」
ビヴァットは懐から丸めた一枚の用紙を取り出し、体内の魔力を操ってその中身を瞬時に書き換える。ビヴァットとて歴戦の外交官であり、その手の小細工はお手の物。無事、脇の文官に用紙を渡す前に中身を書き終えることができた。
渡されたその中身を見て、イストタラは苛立たしそうに小さく唸る。そして、それを脇に置くと、不満そうに口元を指で叩いた。
それを隙と見たビヴァットは立ち上がる。
「本日は貴重な面会を許可していただき、誠に感謝しております。それでは我らはこれにて退室させていただきたく存じます」
「……許可する」
「ありがたき幸せ」
そう言ってビヴァットは背を向ける。クーピムーンズも慌ててそれに従う。
何をしているのか。当初の用件はどうしたのか。クーピムーンズの声にならない疑問をビヴァットは読み取っていたが、それに対する説明は部屋を出てからでなければならない。ビヴァットはもう少しだけ黙っていてくれと祈りながら、部屋の出口へとゆっくりと歩く。
しかし、あと三歩で扉、というところで、二人の目の前に小さな一つの球体が転がってきた。それは、ゼロヒューコが好んで利用する榴弾。火薬の詰まった爆発物。
ここ数日の経験でそれを理解していたクーピムーンズは、思わずビヴァットの前に飛び出してしまった。
それをビヴァットは制止しようとするが間に合わない。
クーピムーンズは剣を抜こうとし、できないことに混乱し、契約を思い出す。自分たちは危害を加えられない限り、危害を加えようとすることができない。まだクーピムーンズは危害を加えられていない。だから剣を抜けないのだ。そう気づく。
同時に思う。であれば目の前の物体は? 相手も自分たちに危害を加えることはできないはず。であれば目の前の物体は自分たちに危害を加えるものではない。そう結論付ける。
クーピムーンズの推測はビヴァット推測と一致しており、榴弾は爆発しなかった。だが、二人の思考にある差は、その先の相手の思惑に気付けているかという点だった。
そして、広間に怒声がひびき渡る。
「無礼であるぞ! 謁見の間にてはしたなく走るなど! 死罪に値するっ!」
ビヴァットの全身から血の気が引く。
(っ、やはり、無礼打ちか! であれば、相手方の目的は!)
「ものども、出会え! この無礼者を処刑せよ!」
「……はあ!? どういうことですかい!?」
「クーピン君、走れ!」
ビヴァットは走り出そうとするが、その前に儀仗兵たちが扉の前に立ちはだかった。それら全員を躱しつつ扉をすり抜けることは不可能だと、即座に二人は理解する。
一斉に武器を構え、二人を取り囲むトゥヴェカ゠ヌの戦士たち。
誰の目からもわかる詰みの状況に、ビヴァットは瞑目した。
状況をまだ完全には理解できていない様子のクーピムーンズに向かって、二人の獣人が歩いてくる。
玉座に座っていたイストタラと、重厚な剣を佩いた剣士。
自分を睨みつけてくるクーピムーンズに憐れむような視線を向けつつ、イストタラは言った。
「悪いな、同胞よ。君は強すぎる。正規の手段で排除するには危険が大きすぎると判断して、こんな手を使わせてもらった」
「どいうことですかい? 契約術の効果でそちらさんもまだ手はだせないでございやしょう?」
「そう思うのは、君がまだ剣を抜くことができないからか? 確かに、君はまだ剣を抜けないはずだ。私から君に危害を加えていないからな。だが、私は剣を抜ける。なぜなら、こちら側の暴力を封じる契約術は、既に効果を破棄された」
「……そうなのでございやすか?」
クーピムーンズの問いにビヴァットは苦々しい顔をして頷いた。
トゥヴェカ゠ヌは、ビヴァットたちが法に反しない限り危害を加えない。だが、ビヴァットたちは法に反する行いをしてしまった。貴人への謁見の間での無礼。だから、トゥヴェカ゠ヌはビヴァットたちへ剣を向けることができる。
説明はない。だが、ビヴァットの表情から状況を理解したクーピムーンズは自身の腰の短剣に手を添え、呼吸を整える。
イストタラが目を細めた。
「今からでも遅くない。同胞よ帝国などとは手を切れ。帝国が過去獣人に何をしていたか知らないわけでもなかろう。こちらには同族がたくさんいる。お前が排斥されることもない。それとも、些細な恩義に殉じて仇敵のために命を捨てるか?」
「もし俺っちがそちらに付いたら、ビヴァットの兄さんはどうなりやす?」
「そちらの男を見逃すわけにはいかない」
「殺す、ってことでございやすか」
イストタラは肯定も否定もしなかった。だが、目は静かに殺意を湛えていた。
クーピムーンズは状況を整理する。そして、一歩ビヴァットの前に出ると、腰に手を当てたまま膝を僅かに曲げた。誰の目からもはっきりとわかる、抗戦の構えだ。
それに対し、剣を佩いた獣人がそれを抜きつつ呟く。
「一撃目を軽傷で済ませ、その後反撃しようという魂胆か? 狙いは悪くないが、問題点が二つある。一つは、お前さんは足運びが上手いわけじゃねえってこと。お前さんの優れているのは、抜剣の動作のみ。自覚はあるだろ? 相手が一定以上ならまともに躱すことはできないって」
「……もう一つは、なんでございやしょう」
「もう一つは、俺だ。山河流・飛鋼断、【音追】のヨダルリブ」
そう言って男は剣を大上段に構える。その剣気に、その場にいる全員が震えるような怖気を覚えた。
山河流は一撃一殺を至上とする剛剣の流派だ。実力を示す位階は木断・岩断・鋼断の三段階を安・並・走で更に分割した合計九位階。動く鋼を断てるようになることを目標とする、実戦的剣術流派として知られている。
だが、実は走鋼断よりもう一つ上の位階が存在する。それが飛鋼断。過去、あまりにも困難なため廃され、しかし、最上位だけは形として残された幻の位階。高速で飛ぶ鋼を断つことができることを示す、山河流を極めたことを示す称号。
そんな称号を持つヨダルリブのその二つ名は、その名の通り、音が彼の剣を追いかけることを意味する。
「……流石に無理ですね」
ルヴィケスは小さく呟き、介入のために動くことにした。本来なら見捨てても良いのだが、トドイに泣かれると面倒なので仕方なしにだ。
だが、横目で見たトドイは意外なことに動こうとはしていなかった。ただ神にでも祈る様に両手を合わせ、泣きそうになりながらもクーピムーンズの方をじっと見つめている。
トドイは小さく呟く。
「大丈夫、クーピンなら大丈夫。絶対、大丈夫。クーピンは負けない」
「何か、手はあるんです?」
「クーピンの、ヴァロン流双抜剣術は、護身の流派です。ヴァロン師匠は、クーピンのためにこの流派を作りました」
ヨダルリブが少しずつクーピムーンズににじり寄る。クーピムーンズはじっと動かない。
「クーピンは、優しくて、臆病で、いつも迷ってて。でもそこがクーピンの良いところなんです。ヴァロン師匠も、それが分かってたから、クーピンのそれを直そうとなんてしなかった」
ビヴァットが周囲の儀仗兵に殴りかかるが、躱されるだけで相手にされない。自身が反撃を受ければクーピムーンズが動けるようになる。そう思っての行動だったが、それは相手にも読まれていた。
「ヴァロン師匠は言ってました。クーピンがいっぱい悩めるように、限界まで悩めるように、その限界をできるだけ伸ばせるように。そういう流派を作るって。そして、クーピンならきっと、それを極めることができるって」
クーピムーンズは小さく息を吐く。そして、右手を逆手で、左手を順手で短剣の柄に添える。
ヨダルリブが半歩進んだ。それによりクーピムーンズを間合に入れた。
「だから」
油断も慢心も一切のない、ヨダルリブによる全力の振り下ろし。音よりも速く振るわれたその剣は微動だにしないクーピムーンズの脳天へと吸い込まれるように振るわれ。
その頭が真っ二つに切り裂かれ、斜めにずれた。
――ようにヨダルリブには見えた。
す、とヨダルリブの顔に斜めに血が滲み、手首より先がなくなった両腕から血が噴き出た。
ヨダルリブは自身の脇に立つ、両腕を振り抜いた姿勢で固まるクーピムーンズに対し、呆然とした表情で問う。
「な、ぜ……?」
「ええ。俺っちは契約術のせいで、危害を加えられるまでは剣を抜くことはできやせんでした」
クーピムーンズは、そう言いつつ短剣を鞘に納め、自身の額を示す。
「なので、額の皮を切られた瞬間に短剣を抜いて兄さんを斬ったんです。それだけのことでさぁ」
そこには、確かに血が滲んでおり、クーピムーンズの羽毛を微かに赤く染めていた。
ヨダルリブがクーピムーンズへと目を動かした瞬間、その顔が斜めにずれ、首に繋がっていない方が床に落ちた。そして、僅かに遅れて体も崩れ落ち、金銀の敷布を赤く染めながら動かなくなった。
圧倒的な静寂がその場を包む。誰もが目の前で起きたことを信じられず、瞬きすら忘れて立ち尽くす。
それを見て、ルヴィケスは思わず笑った。
「はっ、ははは。なんなんですかそれ。無茶苦茶すぎでしょう。薄皮斬られてから肉を断たれるまでに相手を斬る? いくらなんでも出鱈目過ぎですよ、トドイ」
「っす。ヴァロン流双抜剣術の神髄は、どの姿勢からでも可能な柔軟性ではないっす。どんなに悩んでも、出遅れても、毎回相手に先手を譲ったとしても、必ず自分が先に斬るという、速さ。それがヴァロン流双抜剣術の全てです」
「これは確かに、素晴らしい実力ですね。十分です。素人もどきの体裁きしかできないとしても、この剣速だけでおつりが出ます」
人目を気にせず発せられるルヴィケスの言葉も、広間の人間は誰も気にしていない。ただ、クーピムーンズという超常の剣士を前に、全身を強張らせて立っていることしかできていない。
崩れ落ちるヨダルリブを見下ろしつつ、クーピムーンズは再び両手を腰に添えた。
そして、宣言する。
「さて、俺っちは危害を加えられてしまいやした。なので、これからは躊躇なく斬らせていただきやす。死にたい方から前に出てくだせえ。もし誰も死にたくないのなら」
ビヴァットとイストタラをちらりと見て、にっこりと目を細めて笑う。
「当初の予定通り、和平交渉のお時間といきやしょうや」
かちかちと、クーピムーンズが嘴を鳴らす音だけが広場に響き渡った。




