第九話「技と心の相関」⑥
「不浄です」
「こう見えて毎日水浴びはしておりやす。ほら見てくださいこの真っ白な羽毛の色」
「リェハ教徒は根絶やしです」
道端で唐突に曲剣を向けられ。
「お兄さん、たす、助けてっ、あっちで弟がっ、溺れててっ!」
「それは大変だ! どちらでございやすか!?」
「こっちです。……お前の死に場はなぁ!」
見るからに見すぼらしい物売りの少女に騙され。
「ところで、あなたの母と見知らぬ子供が死にかけています。どちらを救いますか?」
「……母親でさぁ」
「悲しい。あなたは殺さなければならない」
話しかけられた瞬間に殺し合いが始まり。
「帝国の高名な武人であるとお見受けする。一手死合ってもらいたい」
「手合わせは良いんですが、便所中に狙ってくるのは止めてほし――」
「こぉぉぉぉぉ!!」
正直な話、息をつく暇もなかった。
だが、クーピムーンズはそのすべてをなんとか裁き、生き延び、まずは第一目標としていた前任者の任期を乗り越えることができた。不格好ではあるが、無傷で切り抜けた。
クーピムーンズはビヴァットの半歩斜め後ろを歩きながら滔々と語る。
「ヴァロン流双抜剣術には五つの姿勢がありやす。立ち、寄り、座り、伏し、飛び。この五つの姿勢どれからでも抜剣をし、相手を斬ることができるのが特徴でさぁ。変幻自在の抜剣術。そこに隙などありゃしやせん」
「聞いたことのない流派だが、君の腕前を見るに確かな流派なのだろうな。クーピン君は段位はどの程度だい?」
「新興流派ゆえ段位や免状はまだ設えておりやんねぇ。俺っちが流派を名乗ることが許された第一号でございやす」
「開祖というわけか」
「いやいや、流派を考案したのはその名の通りヴァロンのおじきですぜ。提示された原型を磨き上げ、実践まで持っていき、十分に実力があると認められたのが俺っちというわけで。開祖というには聊か力不足でさぁ」
「ふむ? 闘技の世界はあまり詳しくないが、そういうこともあるのか。興味深いな」
「お! 興味が出たなら入門してみやせんか? うちの流派の理念はずばり護身! ビヴァットの兄さんにぴったりですぜ! 今なら俺っちの一番弟子の称号までもらえちまいやす!」
「興味はあるが……本当に新興流派なんだな。まだ一人も弟子がいないのか」
ちらりと見られ、クーピムーンズは思わず目を細めて逸らす。それどころかまだ道場も開いていないことを思い出したのだ。
ビヴァットはその様子に小さく笑みを浮かべる。
「まあそれもこの件が済み、無事に生きて帰れたらの話だ。よろしく頼むぞ、クーピン君」
「任せてくだせえ! 流派の名に懸けて、ビヴァットの兄さんを無事に生きて帰らせやしょう!」
クーピムーンズは自身の胸をどんと叩いた。
二人が歩いて向かっているのは、トゥヴェカ゠ヌの拠点だ。目的はウィテケシとトゥヴェカ゠ヌの和平交渉。その最後の段階である契約文書を交わすため、ビヴァット自身が足を運んでいる真っ最中だ。
もちろん、そんなことは異例中の異例。まず実効的な和平を結ぼうとしていることが異例であり、それが結実しそうなことも異例。それが外交官同士で、紛争地帯のど真ん中で行われようとしているのも異例。しかし何より異例なのは、交渉の席がトゥヴェカ゠ヌの拠点で行われようとしている点だった。
外交官が相手方の拠点に出向くことはほぼない。そんなことをしたらほぼ十割が殺される。それだけの怨恨がこの地域には積み重なっており、それが常識となるほどに倫理と論理は薄まってしまっている。万が一すべてがうまくいって契約書を取り交わすことになったとしても、信用できる第三国の管轄で行われないのは有り得ない。
そんな中、ビヴァットが今回出向くことを決定した理由は大きくわけて三つだった。
まず、条件が美味しかったこと。トゥヴェカ゠ヌの支配区域の共有化、互いの人員・財産に対する不可侵条項、トゥヴェカ゠ヌが開発進めていた鉱床の情報提供。その他様々な条件を含めて、同盟、といった程度の話ではなく、降伏と言った方が近しいほほどに、ウィテケシに有利な内容だったから。
次に、ある程度の妥当性。トゥヴェカ゠ヌはウィテケシと同じくらいの弱小国家であり、手を結んで他の大国に対抗するというのは理にかなっている。トゥヴェカ゠ヌはこの紛争地帯から手を引きたがっているという内偵からの調査報告もある。要するに、トゥヴェカ゠ヌはウィテケシに恩を売りつつゆっくりと撤退する心づもりであると仮定すれば、納得のいく内容でもあったのだ。紛争に参加している中では比較的話が通じる通商国家、ニコーサウチとノジュの二国が仲介をしていることも大きい。この二国家は紛争をさっさと収めて商売を進めたいと思っている節があり、こうした停戦へのお節介を焼こうとすることはままある。この二国が手を貸しているのであれば、トゥヴェカ゠ヌの行動にも信憑性が増す。
最後に、安全性の担保。今回の最終交渉にあたり、事前にビヴァットへ契約書と送られてきていた。その契約書には、ビヴァットが互いの国の法に反する行いをしない限りは身の安全を保証するという契約術がかけられており、即ちビヴァットから手を出さない限りはトゥヴェカ゠ヌから危害を咥えられることはまずない。契約の対象には同行者も含められているため、護衛を連れて行くことも可能。
勿論、懸念点はある。ウィテケシに有利過ぎる条件。トゥヴェカ゠ヌは獣人や亜人間といった帝国から排斥された流浪の民が作った国であり、ウィテケシが帝国から支援を貰っているという事実。契約書の少しばかり解釈の余地のある文言。いずれも命を懸けるには少し不安が残る。
だが、今回はクーピムーンズがいる。ビヴァットの見立てではクーピムーンズは【独立命撰特務】の正隊員に勝るとも劣らない実力者。もしいざ荒事となったとして、最低でもビヴァットが逃げるだけの時間を稼いでくれることは確か。それが最後の一押しとなり、ビヴァットは今回の話を受けることを決め、国の許可を取った。
鼓動が普段より少し速いのを感じ、ビヴァットは静かに呼吸を整える。この荒れた地の外交官に任命されて早五年となるが、ここまでの大仕事は初めてだった。国から渡された裁量権の重さに見合う仕事だ。死への不安も相まって自然と表情が強張る。
だが。
「こうしてみると意外と普通にお店やってるんですねぇ。まあ食べ物がなけりゃ戦争もできやせんか。まったく逞しいこって」
そう言って嘴をかちかちと鳴らすクーピムーンズは、普段通り感情の読めない顔で、どこか愛嬌の感じるぱっちりとした瞳をくりくりと回していた。
それを見てビヴァットの肩もほどほどに力が抜ける。この三日で夜襲が三回、食事中の奇襲が二回、水浴び中の奇襲が一回、排便中の奇襲が二回あったにも関わらず、クーピムーンズは飄々とそれらを退けており、なのに態度は一切変わらない。その呑気ともいえる豪胆さを少しは見習うべきか、とビヴァットは息を吐いた。
ほどなくして、二人はトゥヴェカ゠ヌの拠点にたどり着く。
入り口には四人の戦士。いずれも獣人。クーピムーンズを見て少し眉を顰める。
「ウィテケシ外交官、ビヴァット゠ハウ゠フォーフマンだ」
「……お待ちしておりました。中へどうぞ」
そして、武装解除をすることもなく中に通す。人とは異なる特徴を示す顔からはその心根は読めない。
ビヴァットは無表情を崩すことなかったが、酷く意外に思った。事前に贈られてきた契約書にはビヴァットたちへ危害を加えることへの制約はあったが、その逆はなかった。つまりはクーピムーンズが暴れようと思えば暴れられる状況。いくら外交官は手を出されないとはいえ、無防備が過ぎる。
信頼の証か、油断を誘っているのか。そのどちらでもないことを、ビヴァットは即座に悟る。
中に入ったビヴァットたちを待っていたのは一枚の契約書を差す出す男だった。
「ビヴァット様でございますね。そちらは従者ということでよろしいでしょうか」
「構いません」
「であれば、こちらの契約を結んでいただきます。内容は単純、貴方方からトゥヴェカ゠ヌの人員への暴行の禁止です。当然、結んでいただけますね?」
仕掛けてきた、とビヴァットは思った。とりあえずは受け取り、内容を確認する。
契約術の内容に不正はない。効力は文面に従って正しく発揮される。そして文面の内容も至って簡素。ビヴァットたちが相手方に危害を加えられない限り、相手方に危害を加えることを禁ずるという内容。一切の危害を加える行為を禁ずる、という内容であれば即座に破り捨てていたが、抵抗は可能だという事実がそれを躊躇わせる。
「お時間が迫っております故、お早めに決断を。契約を結べないというのであれば、能動的に危害を加える意思があるとみなし、今回の件は破談とさせていただきます。いかがいたしますか」
時間を制限するという姑息な手だ。一度誘いを受けたという形で心理的な譲歩を迫ってもいる。互いの暴力行為の禁止という当たり前の条件のため、断わった場合ウィテケシの名に傷がつく可能性もあるぞ、という脅迫も意図。
何か裏があるとビヴァットは直感した。だからビヴァットは迷いつつも断わることにした。たとえ臆病者と謗られても、命には代えられない。
「血判でよいでござんすか?」
「構いません」
「ちょっ」
だが、クーピムーンズは止める間もなく血判を押した。
馬鹿、考え無し、命知らず。口からあふれ出そうになる罵詈雑言を何とか飲み込み、ビヴァットは小さく鼻から息を吐く。そして、頭を掻きむしるのを我慢しつつ自身も血判を押した。
(何かあったら命懸けで守れよ……死んだら祟るからな……)
そんな冷たい視線を受け、クーピムーンズは首を傾げる。
契約書を素早くしまいこんだ男は笑みを浮かべつつ、奥へと続く扉を押し開いた。ビヴァットには一瞬それが巨大な獣の顎に見えたが、もう退くという選択肢はなかった。
そんな二人を遠目に見守る女性が一人。遠く離れた家屋の屋上で遠眼鏡を覗き込む、珍妙な格好をした女性だ。覆面と鬘でごまかそうとしているが、知人が見れば一目でわかる小柄で筋肉質な女性。碧雲隊闘技指導員のトドイ。
「はわわ、クーピンほんとに行っちゃった。大丈夫かな。本当に大丈夫かな。暴行に対する契約を二種類に分けるなんて絶対裏があるよぉ……」
「全くです。これは死にましたかね」
「ぎゃあ!」
その横でいつの間にか遠眼鏡を構えていたルヴィケスにトドイは悲鳴を上げる。
「な、ななな、なんでここに先輩が!」
「それは私の台詞です。【独立命撰特務】がこの件に踏み入るのは皇帝の意に反してますよ。反逆罪でぶちこまれたいんですか?」
「け、見学してるだけなんで、赦してもらえたりは」
「しないでしょう」
トドイはがっくりと肩を落とし、遠眼鏡を懐にしまう。ばれてしまっては仕方がないので、さっさと撤退することにしたのだ。
だが、ルヴィケスはにっこりと笑って奇妙な仮面を差し出してくる。
「おや、どこに行く気ですか? 見学は止めるんですか?」
「……ばれたら身の破滅っすからね」
「ならばれなければいいんです。ほら、二つあるから大丈夫です」
そう言ってトドイの手に仮面を一つ押し付けると、ルヴィケス自身もその仮面を被った。
その瞬間、ルヴィケスの姿が掻き消える。
「なぬぇっ!?」
そしてそれは正確な表現ではなかった。姿どころか足音すら聞こえず、素早く手を伸ばしたが触れず、魂魄の気配すらない。まるでルヴィケスという存在が世界から消失したかのような現象に、トドイは自身の手元の仮面に目を遣った。
「ってこれ禁制品の……!! こんなのどこから!!」
「まあまあそんなことはどうでもいいじゃないじゃーん。それじゃ私俺朕僕様様某下名は特等席で見学させていただきすわ、失礼する」
何もない空間から老若男女の区別がつかない奇妙な音声が響き、微かに人型のような何かが姿を現したかのように見えたが、それもまたすぐに消える。微かな違和感のようなものが遠ざかっていったように感じたが、それもすぐに霧消した。
トドイは直感する。このまま逃せばルヴィケスを見つけることはできないと。そのため、即座にトドイもその仮面を被る。すると、既に彼方へと走り始めたルヴィケスの姿がはっきりと視認できたため、その後を急いで追った。




