第九話「技と心の相関」⑤
クーピムーンズは馬車から降り、その乾燥した空気に咳をした。
「冬だというのに気温が高いでやんすね」
「暖流の影響ですね。ささ、そんなことよりこちらへ。あまり外でのんびりしていたくはありません。急いで急いで」
「はあ。わかりやした」
クーピムーンズは御者に急かされ、首を傾げながら小さな建物に入った。
建物の中はひんやりとしていた。理由は分かりやすく、窓に厚い覆いがかけられており、陽の光が入らないからだ。その薄暗さから少しばかり陰気さを感じたクーピムーンズは嘴をかちかちと慣らしてしまう。
一方、御者はクーピムーンズが入室したことを確認すると、そそくさとその場を立ち去った。仕事は果たした。そう言わんばかりに足早に。
クーピムーンズは部屋の中を見回し、奥へと続く扉に目を止める。奥から人の気配がしたのだ。
しかし、クーピムーンズが何かをするまでもなく、すぐに扉が開き、中から眼鏡をかけた中年の男性が出てきた。そして、クーピムーンズを一瞥すると、しかめっ面のまま椅子に座る。
「えー、君がルヴィケスさんの言ってた助っ人かな?」
「おそらくそうだと思いやす。何やら、こちらで働かせてもらえるとか」
「ああ給与は存分に出そう。日割りで払う。どこかへ送金する場合は手数料として一割抜かせてもらうがね。寝床はここ、食事は出す。他に何か質問は?」
「お仕事の内容とかは、どうなるんです?」
「……何も聞いてないのか?」
「用心棒的なことをするみたいなふわっとした話は聞いてやす」
男は嫌そうな顔をした。
「ルヴィケスさんは何を考えてるんだ。いや、考えるのは無駄か。君、名前は?」
「クーピムーンズと申しやす。クーピンと呼んでください」
「クーピン君、私の名はビヴァット。ウィテケシの外交官をしている」
「ウィテケシ? 外交官? そらまた、随分とご立派なご身分で……?」
首を傾げるクーピムーンズに、ビヴァットと名乗った男はため息を吐きながら座る様に勧めた。
豪華な長椅子に向かい合って座る二人。クーピムーンズは差し出された杯を受け取り、一口飲んだ。水だった。
「ルヴィケスさんからの話だから帝国の人間が来るかと思ったが、クーピン君はトゥヴェカ゠ヌの人かね?」
「ああいえ、獣人ですが帝国の民ですぜ」
「それで腕が立つと。それでは【独立命撰特務】の実績づくりに関連する話かな。もし本命なら頼もしいことこの上ないのだが」
そう言ってビヴァットも一口水を飲む。その目の下にはよく見ると隈があり、額に刻まれた皺は深い。人間の顔の判別が苦手なクーピンでも、苦労してそうだ、ということがわかるくらい疲れ切った顔だ。
「ビヴァットの兄さんは、外交官とやらで? それでなんで俺っちのようなのを雇うんですかい? 素性の怪しい他国の人間ですぜ?」
「理由は簡単。我が国は歴史こそあれど国力は貧しく、優秀な戦士をこんなところの担当外交官に宛がうほど余力はないからだ。そして、ルヴィケスさん、というか帝国の【独立命撰特務】の紹介であればある程度身元が保障されており、腕もあるだろうと予想できるからだ」
「ほほーう。どうやらのっぴきならない状況のようで。俺っちの仕事は身辺警護ということでよろしいですかい?」
「ああ。だが、何も知らずに寄越されたようだから、いくつか知っておいてほしいことがある。まずはこの地、帝国で言う南部緩衝地帯の説明から」
そう言ってビヴァットは二人の間にある机に地図を広げる。
クーピムーンズはその地図を見てぎょっとした。
とにかく情報量が多い。縮尺からして一つの街程度の範囲だが、数十歩刻みで凄まじい量の線が引かれている。そしてそれら一つ一つにびっしりと注釈が入り、どこの地区がどこの縄張りかといった文言がずらずらと並ぶ。
「まず、この地は九つの国が領有権を主張して争っている。掲げる題目は様々だが、本音としては中央にある巨大鉱床が目的だろう。国境を接する帝国もそのうちの一つ。勿論、我が国もそのうちの一つ」
「こ、九つは多いでやんすね。ですが、それだけでこんなに複雑な縄張り争いが行われるもんなんで?」
「普通は起こりえない。ここまで複雑になってしまった理由はいくつか挙げられるが、大きくはこの四国が原因だ」
そう言ってビヴァットが示したのは、四つの国旗。
「まず、この地を聖地と認定している宗教国家、ビゼトゾベバ。礼拝者と呼ばれる死すら厭わない兵士が暴れるせいで、しょっちゅう町の形が変わって線を引き直す必要が出ている。死を恐れないというのが非常に面倒で、抑止力が働かない」
「勇猛な戦士というのは、それだけで厄介でございやすね」
「そして、犯罪と麻薬に侵された国、ゼロヒューコ。犯罪を躊躇うことの一切ない彼らは、平気で人を裏切り殺します。謀略で他国を動かすのもお手の物。そのせいで疑心暗鬼が発生し、中々交渉が進まない」
「悪が栄えてちゃあ纏まるものも纏まらない。そういうことですかい」
「画一的人民国家、クイヅ。この人たちはとにかく価値観が異なる。本当に同じ人間なのかと疑いたくなるくらい、損得で動いてこない。その割には国力があり戦士も精強なため、うっかり何かの琴線に触れて抗争が起きることもしばしば。揉め事のうちの二割は彼らの独特な論理から発生している」
「一見話が通じそうなのが問題、といったところでしょうかね?」
「最後に、この大陸で帝国に次ぐ大国、フーゲスパゴサ。彼の国はここを戦士の訓練場だと思っている節があり、優秀な戦士を単発で気ままに送り込んでくる。そして、暴れる。とにかく暴れる。目的もなく暴れる。やめてくれ、本当に」
「暴れることが目的が故に、意味もなく場を荒らしていくと」
頷いたクーピムーンズは首を傾げた。
「なんか最後、目的が変な国がありやしたね?」
「……かの国は本当に謎だ。いや、腹の底では鉱床を狙っているのかもしれないが。表向きの目的が鉱床で本音が別なのはこの国だけだ」
「ちなみに、ウィテケシはどんな建前ですかい?」
ビヴァットは一瞬迷ったようだったが、死んだ目で抑揚なく宣言した。
「我が国は現代の始まりからこの地に住んでおり、我が国の王が正当なる支配者であることは歴史的に見ても明らかである。ゆえにこの戦いは侵略者を撃退するがためであり大義は我らにある」
クーピムーンズは建前だと理解したうえで、それ以上は詳しく聞かないことにした。外交官というのは大変そうだ、と。
というか、それよりもこの地の現状が気になっていた。
「なんか、随分と荒れていやすね?」
「ああ。毎日誰かしら死んでいる」
「思ったより物騒でやんすね!?」
「何をいまさら。君の前任は三日で死んだよ。その前は二日。その前は一週間」
「な……!!」
「いっそのこと帝国が強引に奪ってくれれば楽なんだがね。皇帝のご意向で国境線維持と我が国への支援に留まっている」
想像の十倍の酷さだった。クーピムーンズはこんな場所に何も説明せずに送り込んだルヴィケスを心の中で罵倒するが、それは目の前の現実に何ら影響をもたらすことはなかった。
ビヴァットは僅かに哀れみの視線を向けつつも、事務的に淡々と告げる。
「では、状況を理解してもらったうえで気を付けるべきことをいくつか。信頼できる人以外からもらったものは口にしない。寝るときは変わり身を寝台に置いて自分は床に寝る。窓から見える位置に座らない。自国の縄張りの以外の区画には行かない。便所に行くときも武器を手放さない。ここら辺は大前提。そして」
直後、窓が爆発した。クーピムーンズは慌ててビヴァットの前に立つが、ビヴァットは動じた様子もなく腰の剣を抜く。
「一番大切なのは、敵に容赦をしないことだ。早速仕事だ、クーピムーンズ君」
窓から侵入してきたのは五人。全員が顔を頭巾で隠し、武器は脂でぎらぎらと輝いている。
クーピムーンズは迷った。五人の狙いはおそらくビヴァット。相手の技量もわからないが、守りながら戦えるのか。何人か派手に切り殺したら撤退してくれないか。魔術は使ってくるのか。他に伏兵はいないか。狙撃はあるのか。様々な疑問がぐるぐると脳を渦巻いた。
その躊躇いを見て取った襲撃者は、滑るような動きでクーピムーンズを挟撃する。右側からは曲剣が、左側からは短槍が振りかぶられる。
容赦のない動き。当たれば死ぬ。そうわかっていても尚、クーピムーンズは迷っていた。
(切っちゃって本当にいいんですかねぇ? まるで図ったような襲撃。俺っちの実力を測る試験と言う可能性はありやせんか? だとすると殺すのはまずい? でもかなりの実力者なのは確かで、手加減なんてできやせん。というかこんなこと考えてるうちに手遅れになりそうで。でもでも。人の命を奪うということは決して軽く考えては駄目ですぜ。というか報復も怖い。さっき言ってた四カ国のうちのどこかでやんすか? それともまた別の国? 帝国とウィテケシ以外にも三ヶ国あるのだからその立ち位置を確認しておくべきだっ――)
悩むクーピムーンズ。その思考はお世辞にも速いとは言えず、結論を出す前に二つの刃はクーピムーンズに向かって加速していく。
死んだか。そう嘆息しそうになるビヴァット。
だが、その予想は裏切られた。
クーピムーンズの構えは自然体だった。まるでズボンの裾に親指を引っ掛けるかのように両手を腰の短剣に添え、ただ突っ立っているように見えた。体から戦う意思は発せられず、鳥の頭についた眼は迷うように彷徨っていた。
だが、挟み込んだ二人が剣を振り抜いた瞬間には、クーピムーンズの姿勢が変わっていた。前かがみに一歩踏み出し、腕を胸の前で交差し、その手に持つ短剣の刃は血に濡れていた。
ヴァロン流双抜剣術・立技の三【交牙】。
クーピムーンズが立っていたはずの虚空を切り裂いた二人は、肋骨の隙間を縫うようにして深々と肺を切り裂かれ、驚きに目を見開いたまま地面に倒れ込んだ。
僅かな静寂の中、ビヴァットは思わず口笛を吹く。その音に押されたように、残りの三人の襲撃者も走り出す。
動揺を隠せずとも動きに支障はないようで、先頭の男はクーピムーンズに向かって鋭い突きを放った。銀色に輝く剣の切先が薄暗い室内に閃く。
クーピムーンズはそれをたたらを踏んで避ける。その動きは先ほどの抜剣と比べると酷く不格好で、背後にある椅子に膝裏を叩かれて座ってしまう有様。しかし、クーピムーンズは慌てる様子もなく、短剣を濡らす血を払うと再び腰の鞘にしまった。
座ってしまったクーピムーンズに対する追撃の二段突き。
対するクーピムーンズが繰り出すのも突きだ。
ヴァロン流双抜剣術・寄技の二【一爪】。
クーピムーンズは座ったまま体を捻って半身になり、首を傾げて相手の突きを躱しつつ、左右の短剣を前後に向かって抜剣。右手の剣の柄で椅子の背を叩きつつ、左手の短剣の刃を相手の心臓に深々と突き刺す。
信じられない物を見つつ、口から血を吐く男は遺言を残す間もなく絶命した。
残りの二人は、今度は動きを止めることはなかった。
一人の大槌がクーピムーンズの座る椅子の脚を砕く。もう一人は心臓を貫かれた味方ごと大斧で薙ぎ払う。
足を取られ、体勢を崩し、クーピムーンズは床を転がる。しかし、クーピムーンズが取った行動は、立ち上がったり距離を取ったりするのではなく、うつ伏せのまま短剣を鞘にしまうこと。
武器を振り下ろす二人は今度こそ思った。クーピムーンズの命を取ったと。
だが。
ヴァロン流双抜剣術・伏技の四【飛角】。
気づけばクーピムーンズは二人の頭上まで飛び跳ねており、逆手に持った両方の短剣は、二人の首筋を切り裂いていた。
噴き出る血と共に崩れ落ち、部屋の中に血の匂いが充満する。
クーピムーンズは音もなく床に着地すると、ため息を吐きながら短剣に付いた血を払った。
「この人ら、どこの陣営でござんしょうね」
ややあって、ビヴァットは自身の手を口で押えたまま答える。
「黒武器の五人衆。ということはおそらくガモン。帝国が嫌い過ぎて無関係なのに邪魔するためにしゃしゃり出てくる国だ」
「そんな国まであるんですかい。それじゃビヴァットの兄さんを狙わずに俺っちを狙ってきたのもそれが理由ですかね」
「私ではなく君が狙われていたのは確かだが、理由はまた別だ。この事務所は我が国の拠点となっている。相手国の拠点にいる外交官への攻撃は禁止されているから、狙いは始めから君だったんだよ」
「……そんな取り決め守られてるんですかい? 白昼堂々襲撃しかけてくる連中が?」
「逆に言えば禁止されてることなんてそれくらいだからな。それに外交官の命を狙いたいなら拠点外まで誘い出せば殺せる。形だけの約束さ」
ビヴァットは辛うじて息のある襲撃者の武器を蹴って手放させつつ、何かを深く考えているようだった。それは打算と目算に満ちた顔つき。クーピムーンズという新しい手駒をどう活用すべきか思考している外交官の顔。
血だまりの中顔を上げたビヴァットは、クーピムーンズをまっすぐに見据えると、真剣な表所で片手を差し出した。
「クーピン君、改めてよろしく頼む。君ほどの腕の護衛がつくのなら、兼ねてからの懸案を進められるかもしれない」




