第八話「理想は遠く」③
昼間だというのに辺りは薄暗かった。
黒く焼けた地面から立ち上る煙が空を覆い、灰色の雲を形成し、それが日の光を遮っている。薄暗い、で住んでいるのは、その中心に赤く輝く溶岩があるから。溶けた地面が放つ明かりが周囲を照らしているから。
元は一面の穀倉地帯だったが、もはや見る影もない。すべてが黒い炭となり、それも燃えて消え、川の水はその場へと流れ込むそばから煮立って蒸発している。生物の気配は感じられず、不気味な静寂だけが空間を支配していた。
火山が噴火したといえば疑う者のいないその光景は、しかし、一頭の竜に寄り引き起こされている。証拠に、その竜の鱗が放つ熱は空気を揺らし、その竜の鼻息が撫でた地面は赤熱し、その竜の赤い爪が触れた地面はぼこぼこと沸き立っている。それを見れば、この焦げた世界を形作ったのはその中心にいる竜だと、何もわからぬ幼子でさえ理解できるだろう。
特級友好指定種・業竜。またの名を【赤爪】。
象よりも巨大な体躯を小高い丘の頂上に横たえ、それはただすやすやと眠っていた。
どぉん、と太鼓の音が響く。
業竜は面倒くさそうに片目を開く。
どぉん、と太鼓の音が響く。
竜から三百歩ほどの個所に、一台の車が止まる。
どぉん、と太鼓の音が響く。
その中からは四人の人間が降りてきた。
「あっちぃな、おい。曇ってんだから少しは涼しいかと思ったのによ」
赤い髪、筋肉質な巨躯、愉快そうな表情。その男は、朱顎隊小隊長、ララルトゥーリ゠トーヴァという。
「お馬鹿さん。業竜が営巣しているというのに涼しくなるわけないでしょう? 常識で考えてくださいまし」
銀の髪、煌びやかな錫杖、口元を隠す扇子。その女は、耀華隊小隊長、ウェアジルン゠スナーピーという。
「煩い。黙れ、脳筋に成金」
金の髪、眠たげな眼、杖のように体重を預けられる剣。その男は、冥弓隊小隊長、キュシレ゠キュオタウ゠キュルテという。
「……あれが、業竜」
黒の髪、憂うような呟き、無骨な斧槍。その女は、碧雲隊小隊長、フォフォ゠ジノグルスという。
全力を持って当たれ。その指示にこれ以上なく従順に従った四小隊は、各小隊の最大戦力をそれぞれ差し出した。その結果がこの布陣だった。
その四人に、業竜は身を起こした。そこにあるのは確かな警戒。百を超える兵士に遠巻きに囲まれようと気にせず眠っていた竜が、たった四人の人間を前に警戒を露にしている。
本能的に認めているのだ。目の前の人間たちが、自身を害しうる存在だと。
距離はまだ変わらず三百。それを踏まえてララルトゥーリはくるりと三人の方を振り向いた。
「さて、どうする? 協力してやるか? それとも勝手に動くか? 順番にやるか?」
「私が殺します」
即答したのはフォフォだ。それに対し、ウェアジルンは不満そうに頬を歪める。
「あらら、手柄を独り占めする気かしら。あの【火界】をどうやって突破するおつもり? 全部斬って進む、なんて不可能なことは言わないでしょう?」
無言で斧槍を手に取るフォフォ。それを反論できないと受け取ったウェアジルンはにんまりと笑った。
「なので私が焼き殺しますわ。駄目と言っても無駄ですのよ。こういうのは早い者勝ち。私の雷とどちらが速いか比べても良いですけどもね! ほほ! おーっほっほっほ!」
高らかに笑うウェアジルンに対し、ぼそりと水を差したのはキュシレだった。
「陛下からは卵を傷つけるなとの指示だ。貴様にそれができるか、【雷轟】」
ウェアジルンは笑うのをぴたりと止め、考えるように扇子をくるくると回した。そして、しょんぼりと肩を落とす。
「まあ後の調停を考えると仕方ないことですけどもぉ。はぁ。まあいいですわ。ならわたくし、本日は見学とさせていただきます。【刻鬼】と呼ばれた戦士のお手並み拝見といたしましょう」
そう言ってにっこりと笑い、手を叩いた。すると、地面が盛り上がり、成形し、椅子の形を取る。ウェアジルンはその椅子にふんぞり返り、扇子をひらひらと振った。
そのままゆっくりと足を踏み出すフォフォ。前に立つララルトゥーリもそれに黙って道を開けた。
前を抜けるフォフォと目が合うと、ララルトゥーリはにやりと笑う。
「もの言いたげだな。どうした、臆したか」
「良いのですか?」
「俺は別に手柄に飢えてなどない。部下を殺された怒りというのも良くわかる。一番槍くらいは快く譲るさ。だがな」
言いながらララルトゥーリは右腕を振った。すると、その手には巨大な弓が現れ、足元には大量の矢筒が並ぶ。
「あれはさしものお前でも余裕をもって勝てる相手ではないぞ。援護するくらいは赦せ。俺たちは万一にも負けるわけにはいかず、誰一人欠けることは許されないのだから。分かってるな、【雷轟】、【尽壁】」
「ふん。言われるまでもない」
「死にそうになったら助けてあげますわ。泣いて感謝すると良いですわ」
言いつつ弓に矢を番えるララルトゥーリ。ごう、と魔力を起こすウェアジルンとキュシレ。
フォフォは三人に小さく感謝を告げると、ゆっくりと走り始めた。
灰の積もった地面がさく、と音を立てる。
煙が風に撒かれて揺らぎだす。
徐々に速度を上げるフォフォに、丘の上で四つ足に立つ業竜は咆哮を上げた。
先制は業竜。胸が膨らみ、喉が膨らみ、赤く輝く口から白い炎が吹き荒れる。竜特有の能力、灼熱の吐息がフォフォに襲い掛かる。
対するフォフォはそれを飛んで躱す。横方向に広い炎に対し、避けることは敵わず、退くことを厭った結果だ。
翼のない人間が空中に。その隙を逃す業竜ではなく、すかさず第二射を放つ。溜めが短いため規模は低下したが、人間を焼くには十分な熱量を持つそれを、地に足を突く前のフォフォに向かって正確に吐きかける。
フォフォはそれを――斬った。
灰色に輝く鋼鐵の斧槍。それが閃いたかと思うと、炎が二つに裂けた。そして、フォフォの横をすり抜けて背後に抜けていく。刃の厚みも振り抜いたときの面積も足りないが、結果として炎は真っ二つになっている。
ひゅい、と口笛を吹くララルトゥーリ。ぱちぱちと手を叩くウェアジルン。その視界の先では再び地面に降り立ったフォフォが更に速度を上げて駆けていく。
あっという間に両者の距離が五十歩を切る。つまりはもうお互いの刃の圏内。それを理解し、フォフォは斧槍を握る手に力を込めた。
横なぎに振るわれる尻尾。その速度は音速を超える。真っ赤な鱗がフォフォの胴体を千切ろうと迫る。
フォフォはそれを低く踏み込むことにより避ける。しかし、掠めてもいないのにその鱗が持つ熱量で皮膚が焦げかけた。フォフォは少し余分に体を回し、その風で皮膚を冷やす。
斧槍を振るう。狙いは突き出た前足。地面を沸騰させる爪は避け、柔らかそうな関節を狙う。
対する業竜は、面倒くさそうにその腕を払った。すると、爪と刃がぶつかり合い、硬質で重い衝撃が響き、お互いの体が揺らいだ。
フォフォにも業竜も驚きはない。渾身の一撃が容易く止められたことも、自身より遥かに小さい人間の一撃に体を揺らされたことも。既に両者は相手を自身の命を奪いかねない敵と理解している。
すぅ、という呼吸はどちらのものだったのか。
次の瞬間には、斧槍と爪と尻尾が残像を残すほどの速度で入り乱れていた。
横なぎ、しなって振り下ろし、爪での追撃、首を曲げて躱し、小さく速い吐息を乱打。
体を反らし、横に体を半歩ずらし、飛び、斧槍を引っ掛けてよけ、薙ぎ払い、空中で乱れ付き。
着地した姿勢への広範囲吐息、溶岩を巻き上げての掬い上げ、追撃の尻尾、反転しての二連撃、不意打ちの牙。
斧槍の振り下ろし、斬り開いて、隙間に体を滑らせ、尻尾と打ち合い、その反力を利用して飛び退り、牙に引っ掛けて懐へ。
炎、熱、斬撃、圧壊、溶融、刺突、閃光。
斬、打、突き、弾き、逸らし、躱し、打ち据える。
瞬きのうちに数十合を交換したフォフォと業竜は、互いに一切の有効打が通っていないことを悟った。
先手を打ったのは、業竜だった。
魔力が煌めく。それは非常に優秀な魔術師程度の規模のもの。しかし、フォフォはそれに油断はしない。竜は人間とは異なる効率で魔術を行使できることを知っているから。
僅かの間の後、それが正しいと示すかのような莫大な熱が業竜から発せられる。業竜の【火界】。この一帯を一瞬にして地獄へと変えた、ただただ純粋な熱の奔流だ。
フォフォは飛び退るが間に合わない。顔の前に掲げた腕が焦げていく。鋼鐵製の斧槍も一瞬にして白熱し始めた。一呼吸もすればフォフォも灰となって死ぬだろう。
そうならなかったのは、四つの理由があった。
一つ目。
「翼、鼻づら、喉、目玉。はてさて的当ては久方ぶりだ、なっ!!」
ララルトゥーリの強烈な一射が業竜の翼を射抜き、その体勢を崩したため。
二つ目。
「卵を割らなければよいのでしょう? ほらほらちゃんと守ってみせなさい!」
ウェアジルンが掲げた錫杖から発せられた雷が、業竜の卵へと向かい、その意識を防御に割かせたため。
三つ目。
「賜りものを勝手に焦がすな。不忠な」
キュシレが熱を停めたことにより、フォフォの体が焼ける速度が落ちたため。
そして、四つ目。
「刻め、刻め、すべてを刻め。
心を捨てるもの。
愛を奪うもの。
子らの安寧を侵すもの。
その全てを切り刻み、母なる大地に還すべしと、我ここに誓い、斧槍を振るわん」
フォフォが【領域】に踏み込んだため、だ。
魔術師の一つの目標に、【結界】を顕出させることが挙げられる。【結界】とは世界を切り取り自身と同化させ、意のままに操る技術。自身の拡張を基本理念とする現代魔術において、それが終着点とされるのは自然な流れと言えるだろう。
対する戦士の一つの目標は、【領域】に踏み込むことが挙げられる。無駄を省き、削り、磨いて磨いた闘技のその先。自身の存在から余計なものを削り落としていった結果として、これ以上なく純粋な何かになること。それが【領域】に踏み込むということであり、戦士の一つの究極形だ。
フォフォにとっての至高。フォフォにとっての理想。
それは――全てを刻む無数の刃となること。
矢に怯みつつ、雷に痺れつつ、しかし業竜はすぐにそれらに対応した。弾き、受け流し、邪魔な壁を壊そうと【火界】に更に力を流し込む。
しかし、直後に気づく。【火界】が刻まれている。何かに、すさまじい勢いで斬り刻まれ、その熱を失っていく。
形がなく触れることのできない【火界】が。音より早く動こうが瞬時にまとわりつく【火界】が。どんなに熱に強い金属であろうと溶かしてしまう【火界】が。
人の形をした何かに、刻まれている。
業竜は吠えた。
白色の影。輪郭すら鋭角となった人型の何か。
それは先ほどまでの黒と碧の人間とは別種の生物に見えた。
それは腕を振っているように見えた。だが、一度腕を振るうだけで無数の刃が閃いているように見えた。そして、それよりもっと多くの斬撃が世界を刻んでいるように見えた。
あり得ない、あり得ない、あり得ない! 業竜の頭が理解を拒む。
炎の吐息をぶつけ、【火界】の温度をさらに高め、溶岩をまき散らしてもその人の進む速度は落ちない。ただその人間の進んだ後には、斬り刻まれた虚無が残されるだけ。
近づかれ、耐え切れずに尻尾を振るうと、それは瞬時に切り刻まれた。痛みを感じる間もなく、前足も切り刻まれ、そして、次の瞬間には業竜は自身の首の断面を見下ろしていた。
そして、フォフォと目が合う。白の中に配置された、闇夜のような黒の瞳。
次の瞬間には、眼球すらも切り刻まれ、業竜はただの肉の塊となって地面を転がった。
一瞬の静寂の後、包囲していた戦士たちから地鳴りのような歓声が上がる。太鼓が打ち鳴らされ、勝鬨が上がる。
フォフォはそこでようやく立ち止まり、焼けそうな空気の中で斧槍に寄りかかった。皮膚は熱で爛れ、腕などは半ば炭化していたが、それでも尚倒れることはせず、ただじっと業竜を見つめる。
そして、一言だけ呟き、高々と斧槍を掲げた。
そこで再び爆発的な歓声が響き、波のように兵士たちが駆け寄ってきた。




