第八話「理想は遠く」②
「どうですうちの子。将来有望だとは思いませんか?」
「今の位階は?」
「山河流・安鋼断です! まだ十六ですよ? この子が任命可能な年齢になるころには、並鋼断……いや、走鋼断となっててもおかしくはない! どうか名前だけでも憶えて行ってください!」
「ええ、覚えましたとも。期待しております。その調子で精進してください」
「ありがとうございます!」
ルヴィケスは笑顔で一礼し、道場を後にした。
そして、溜め息を吐く。こうした地道な調査が大事なことは理解しつつも、ちょっと光っている程度の小石を眺めるのはつまらない。優秀な剣士に興味はないのだ。化け物みたいな英雄に会いたいのだ。
しかし、眼の前でそう吐き捨てるわけにはいかず、笑顔でごまかす。身近な人からはうさん臭いと表現される爽やかな笑顔で、次の情報へのつなぎを作る。
それはルヴィケスの習慣のようなもの。ルヴィケスが本来の目的を果たすための重要な人脈づくり。ルヴィケスは今日も仕事と趣味を両立するため、遠方へと足を運んでいた。
そんなルヴィケスが何かないかと聞き耳を立てつつ道を歩いていると、警邏が何やら深刻な表情をしているのが目に入った。
「……碧雲隊の」
「人死にが……」
ルヴィケスは思わず近寄り、声をかける。
「失礼、たまたま耳に入ってしまったもので。碧雲隊で何か?」
急に話しかけられた二人は驚いた顔をするが、ルヴィケスの徽章を見て慌てて姿勢を正した。そして、はきはきとした声で返答する。
「で、伝信魔術にてただいま連絡が入りまして、その」
「碧雲隊の追跡者に、重傷者が、死者が出たと」
ルヴィケスは顔色を変えると礼も言わずに踵を返した。警邏の二人はそれを呼び止めることはせず、気まずい顔で見つめ合った。
ルヴィケスは荷物を担ぎ直して全力で走り、町はずれで休ませている竜に飛び乗る。
「ビテミミ!」
「どうしましたルヴィケス」
「帝都へ。大至急」
「おやまあ珍し……くもないか。はいはい、特別報酬をちゃーんと用意してくれるならいつもどおり超特急で運んであげますよ」
「豚の丸焼きを用意します」
「珍しく太っ腹。そんなら気合入れちゃうぞー」
ビテミミは勢いよく翼をはためかせると、ぐんぐんと高度と速度を上げていった。
ショブ州から帝都までの距離は遠く、真昼に飛び始めても到着するのは陽が沈み始めるころ。ルヴィケスが戻ったからと言って何かができるわけでもない。
それがわかっていても、ルヴィケスの心は急く。心穏やかにはいられない。
誤報の可能性。重傷と死亡では状況が大きく異なる。本日のリンの予定。とくに遠出の計画はなかったはず。碧雲隊の隊員の任務の内容。特別危険な任務にあたっている分隊はない。
ルヴィケスはぐるぐると回る思考に囚われながら、竜の背中にしがみついた。
ルヴィケスが帝都に到着すると、町がいつもより慌ただしく感じられた。
碧雲隊の隊舎は、いつもより確実に慌ただしかった。
ずんずんと廊下を進み、直感を信じて医療室に入る。
すると、そこには。
「ル、ヴィケス、はん……?」
左腕から首にかけて包帯を巻いたファウーゼが、憔悴した表情で寝台に座っていた。
ファウーゼはその目からぼろぼろと涙を零しつつ、ルヴィケスに抱き着く。そして、額を胸に擦りつけながら呻いた。
「ルヴィスはん、うち、うち」
「落ち着いてくださいファウーゼ。何があったんですか? 今日の任務は州境の街への顔見世ですよね?」
「ひっ、ひぐっ、うっ、うちっ、うちはっ」
「大丈夫です。大丈夫」
ルヴィケスが背中を摩りながら宥めるが、何かを喋ろうにも言葉にならないようで、ファウーゼは泣き続ける。ファウーゼから事情を聞くことを諦めたルヴィケスは、仕切りの奥で人影が動いたのを見て仕切りを動かした。
奥で寝ていたのはきまずそうな表情をしたダウビンナだ。
「ダウビンナ。説明」
「男女でこの扱いの差ですよ。俺だって死にかけたってのに」
「男女の差ではなく仕事の歴の差です。二年目の後輩をこんなにぼろぼろにしておいて、あなたはなんですか。足を捻っただけですか?」
「これは折れてますー」
「まったく任務で骨折など情けない。足は追跡者の命ですよ? 何をやってるんだか」
「どっちでも駄目なんじゃん! ちょっと本格的に扱いおかしくないですか? そりゃ俺だって新人の可愛い女の子には優しくしたいですけど!」
ぶつくさと言いながらも、ダウビンナは体を起こしてルヴィケスの方を向く。
「任務でしくじりました」
「被害は?」
「死者一名。第四分隊の追跡者」
ファウーゼの体がびくりと震える。
ルヴィケスはその背中を撫でる手に力が籠るのを実感しつつ、努めて冷静に声を出した。
「フダカ゠ウィッカーパフ」
「はい。殉職しました」
「敵は?」
「特級友好指定種【赤爪】。業竜です」
空間が凍ったかのように空気が固くなる。静かな部屋にファウーゼの嗚咽だけが響く。
「……なぜ? 今日あなたたちを率いていたのはヒノスバですよね? そんな無茶をするとは思えない」
「こういう言い方は好きじゃないですが、運が悪かったです。示威行動のついでに付近に被害を出してた盗賊の拠点を潰しに行ったのまではいつも通り。そこを潰したのもまあ順調でした。ただ、そこの拠点に運悪く密輸品がため込んであった。その中に業竜の卵があった。俺たちがそれに気付いたと同時に、卵が業竜に見つかった」
大きく息を吸いこみ、できるだけ静かに息を吐く。それを三度。ルヴィケスはファウーゼに圧を掛けないように、できるだけ穏やかにそれをした。
ダウビンナの言葉が事実であれば、確かに運が悪いとしか言いようのないできごとだった。
数ある指定種の中の一つ、友好指定とは、積極的に友好関係を結ぶべき種族を示す指定だ。それは相手が人類に好意的だったり、協力により極端に利益を得られたり、または敵対の対価が重すぎたりが理由となる。業竜は、三番目。敵対が割に合わないから友好指定されている種族。
しかも、業竜は特級だ。三級でもなく、二級でもなく、一級でもなく、特級。国を挙げて対処しなければならない、とされている特級指定種。いくら【独立命撰特務】とはいえ、四人でなんとかするには荷が重すぎる。
「交渉は、する余地がなかったのでしょうね」
「無理です。怒り狂った業竜なんて、あれはただの災害と一緒です。思念伝達で意思が通じても意味がない」
「であれば仕方ありません。あなたたち三人が生きて帰って来ただけでもよしです。ヒノスバは? 勿論生きてますよね?」
「ぴんぴんしてます。中身はともかく、外はね。今は隊長に呼ばれて報告中です」
ルヴィケスは頷き、視線を下に落とした。
「ファウーゼ。泣くほど怖かったですか?」
ファウーゼはふるふると頭を横に振る。
「ではなぜ泣いてるんです?」
少しの間の後、掠れた声でファウーゼは呟く。
「フ、フダカはんは、卵を見つけたとき、業竜に見つかったとき、誰より早く動きました。ヒノスバ隊長より、早く。卵を手に取って、走り出したんどす」
「自分が囮になると?」
「言葉にはせんかったけど、伝わりました。ヒノスバ隊長も、不意打ちからうちを庇って怪我したダウビンナはんを背負って、すぐに動き出して。うちもそれに続いて」
「それで三人が無事に逃げ延びたのであれば、フダカの行動は正しく、あなたたちの行動も正しいです。特級を個人で相手にできるのは本当に一握りの人間だけです。あなたの選択は正しかった。恥じることはありません」
しかし、ファウーゼは悔しそうに顔を歪めると、また両目に涙を湛えながら吐き捨てるように言った。
「いえ、正しくありまへん……! うちは、あのときうちは、うちが走るべきやった! うちの方がフダカはんより速いし、フダカはんより器用やった。うちだったら卵を抱えて逃げきることだってできた!」
「それは結果論ですし、もしそうしても上手くいったとも限りません。そもそも、フダカが先に走り出したんですから仕方ないでしょう」
「違う! 違うんどすルヴィケスはん! そうやない!」
ファウーゼは頭突きをするように再びルヴィケスの胸に顔を埋めると、そのままの姿勢で叫ぶ。
「うちはあのとき、分かってた! 撃ちがやった方が、その方が全員が逃げられる可能性が高いって! フダカはんから卵を奪い取ることだってできた! 間に合ったんどす! でも、あのとき、フダカはんが走り出したのを見て、思ってもうたんどす! ああ、これでうちは逃げられる。生きて逃げられるって! 安心してしまったんどす!」
その悲鳴のような叫びに、ダウビンナは思わず視線を逸らす。
「それからずっとうちは言い訳しとる! 仕方ない! 経験のあるフダカはんの方が上手くやると思った! 先輩の判断に従っただけ! うちがやっても逃げきれんかもしれへんかった! そうやってずぅっと心の中で言い訳してるんどす! 情けない! そんな自分が情けなくて! うち、悔しぃ……!!」
それ以降はもう言葉にならないようで、ファウーゼはただ嗚咽を漏らした。そして、ルヴィケスの胸にしがみつくようにして、ただただ泣き続けた。
ルヴィケスは服が汚れるのも気にせず好きにさせ、その耳に遮音の魔術を掛けると、背を向けるダウビンナに声をかける。
「後輩がこんなに泣いてるのに、あなたは悔しくないんですか?」
「悔しいっすよ。業竜の最初の一撃を受けそこなったから隊長の手を煩わせた。そのせいでフダカさんを一人にさせた。分かってます。これは俺の失敗です」
「分かってるなら良いです。で? あなたは?」
ルヴィケスの背後にいつの間にか立っていたヒノスバは苦々しい顔をした。
「初動が遅れた。本来なら隊長の俺が卵を持って殿を務めるべきだった。そこは流石にフダカさんの年の功、と言いたいところだが、言い訳だな。俺が業竜を斬れるだけの腕があれば、部下を囮にする必要もなかった。一重に、実力不足」
「その通り。反省してください」
ヒノスバはため息を吐きながら薬品棚に手を伸ばし、ダウビンナの向かいの寝台に腰を下ろす。そして、雑に撒かれただけの包帯を替え始めた。軍隊上がりなだけあって、その処置は非常に手慣れていた。
そんなルヴィケスの背中に影が差す。
「いいえ。私の隊員たちはよくやってくれました。彼らは失敗してなどいません」
そこに立つのは、碧雲隊小隊長、フォフォ。普段浮かべている涼し気な無表情とは全く異なる、怒りを押し殺すような無表情を浮かべている。
ルヴィケスはその殺気に少しだけ身を固くしつつ、顔を上げて問う。
「ほう? 死者が出ていてもですか?」
「最善を尽くした結果です」
「世間はそう見ませんよ? 実際に、市井には動揺が広がっているようです。【独立命撰特務】から死者が出るという事実はそれほどまでに大きい」
「わかっています。なので、上の方からも指示が来ました。【独立命撰特務】は全力を持って対処に当たり、市民の懸念を払拭せよ、と」
その言葉の意味を即座に理解したルヴィケスは薄ら笑いを浮かべる。
「相手は特級友好指定種ですよ?」
「関係ありません。指定種など所詮は研究所が勝手に決めていること。帝国に仇なす蜥蜴を駆除していけない道理はない」
「その後の調停は独国任せ、ということですかね」
「もう一度言います、関係ありません」
フォフォは抑えきれない怒りを逃すかのように歯の隙間から深々と息を吐くと、低い声で言った。
「私の隊員に手を掛けた。私はそれを決して赦さない」
その圧に、他の四人は言葉を発することができなかった。
フォフォはヒノスバの方を見ずに言う。
「ヒノスバ。第一分隊長のモクゴキンを私が不在な間の碧雲隊小隊長代理とします。その間、貴方が第一分隊長を務めなさい」
「そ、それは」
「私が出ている間の一時的なものです。すぐに戻るので何かしろというわけではありません。任せましたよ」
それだけ呟いて、フォフォは部屋を出て行った。その背には斧槍を担いでいた。
かつかつと靴が床を叩く音が遠ざかるにつれ、医療室にあった謎の圧力のようなものは薄れていった。そして、音が完全に聞こえなくなる頃、ヒノスバとダウビンナはようやく自分が拳を握りしめていることに気付いた。
手にじっとりと浮かんだ汗を見て、二人は実感する。
皇帝を護る七枚の盾のうちの一枚。帝国が誇る、至高の戦士のうちのその一人。
フォフォ゠ジノグルスが戦に赴くのだと。




