第七話「未知の知」⑤
トドイが甲高い悲鳴を上げる。
「あああああれは死にますよ!」
トドイがルヴィケスから奪い取った遠眼鏡を覗き込んでいる。その目には目を閉じ全身からだらりと力を抜いたザハに無数の茨が襲い掛かるのが映っていた。
見えず、聞こえもしないのに、その飽和攻撃を避けられるわけがない。そんなトドイの予想は、しかし、現実に裏切られる。
ザハはただ鋭く刃鞭を振るう。すると、まるで刃鞭は生きているかのように蠢き、すべての茨を根こそぎ刈り取った。その動きは先ほどまでの目が見開いていた時と遜色なく、正確で精密な一撃。
続く攻撃もまた同じ。銀閃が閃き、茨が切られ、地面に落ちて腐っていく。演武のような曲芸のような、実戦ではありえない動き。
「なんすかあれ! まさか気配を読み取って斬ってるとでも言うんですか?」
「馬鹿言わないでください。気配はそう便利なものではありません。肌で感じ取れた魔力と空気の振動の中で言語化しにくいものをそう呼んでるにすぎません。あの爆音を浴びた後に魔力のほとんどない茨の攻撃を避けるのに使えるわけないでしょう」
「じゃあなんで……!?」
遠眼鏡を横で覗き込むスンダッギが呟く。
「あの小僧、体内で時が歪んでおる」
「素晴らしい。流石は魔術指導員」
「へ? え?」
「つまりは体感覚の未来視。……肌感覚、いや、随分と辛そうじゃ。触覚と言うよりは痛覚、未来視ならぬ未来痛といったところかの」
ルヴィケスは満面の笑みで満足そうに頷いた。
「ええ。彼は非常に珍しい時魔術の使い手です。ただし、加速や減速、遡行の適性はほぼなく、視覚や聴覚に載せることもできない。できるのはただ一つ。未来に自分が感じる痛覚を先取りすることだけ」
トドイは頭の中を疑問で充満させつつ、手をわたわたと動かして理解しようとする。
「ん? 未来視の痛覚版? ってことっすか? つまり今ザハ君は、自分が刺される痛みから逆算して攻撃を読んでいる、ってこと?」
「概ね正しいです。花丸を上げましょう」
トドイは信じられず、遠眼鏡を覗き込む。その先では閃く刃鞭の軌跡と伸びては腐る茨が斑な模様を宙に描いている。
一つながりの軌跡が空間に球を描き、三方向から襲い来る茨を切り裂く。かと思えばその軌跡は稲妻のように空を切り、他の三人を襲おうとしていた茨を貫く。一拍も置かずにその場で渦巻いたかと思うと、真下から伸びてきた茨を輪切りにし、水平に長く伸びて遠くの茨事薙ぎ払い、波打つように弧を描いて男たちの周囲をなぞる。
それが自身の痛覚だけを元にした戦闘とは到底思えず、トドイは息を止めてそれに魅入った
そして気づく。
「待ってください! 今の説明だとおかしいところがあります!」
「そうじゃな。なぜザハ坊は味方への攻撃まで防げておる? 自身の痛覚を読み取れたとて、味方のものは無理じゃろ」
ルヴィケスはにっこりと笑った。そして、酷く凄惨な笑みを浮かべる。
「簡単な話です。彼は今決めているのですよ。もし【赤斧】が刺されたら後で自身を打ち、もし【青弓】が刺されたら後で自身を切り、もし【黄杖】が刺されたら後で自身を焼く。足を刺されたら足を、胸を刺されたら胸を、腕を刺された腕を。そう決めて戦ってるんです。だから読める」
「そ、そんなこと」
本当にできるのか。トドイは混乱した。
その難易度は、先ほどまでの比ではない。そもそもの話、この超高速の戦闘の中で瞬時に判断して正確に対処できていることがおかしい。であるのにその上で、味方の位置関係の把握のみならず、攻撃を受けたときの姿勢まで想定し、刃鞭という難易度の高い武器を振るわないといけない。およそ人間に可能な所業とは思えなかった。
しかも、トドイはもう一つのことに気付く。
「あの、未来視関係はよくわかってないんすけど、その決め事って、想像するだけじゃ駄目なんすよね……?」
「ええ。もし彼が味方への攻撃を防ぎそこなった場合、彼は本気で自身の体を傷つけるでしょう。だからこそその痛みを今読み取れてるんです。彼は本気でやります。やり遂げます」
トドイは唾を呑み、スンダッギは不敵に笑った。
「どうです? これでも彼は小粒ですか? 私たちの碧雲隊にはふさわしくない?」
トドイは勢いよく首を振って否定し、スンダッギは楽しそうに苦笑いした。二人とも、ザハを碧雲隊に迎え入れることを否定することなど到底できなかった。
ルヴィケスの視線の先では、ザハが刃鞭を地面に突き刺し、電を流し込んでいる。そして、気が抜けたようにその場に座り込み、大きく息を吐いている。
貴重な未来を識ることができる観測者。しかも、戦闘の腕も抜群で、難行をやり遂げるだけの強靭な精神も持ち合わせている。その勇姿にトドイは惜しみない拍手を送った。
帰り道の馬車の中、疲労困憊と言った表情のザハが呟く。
「なんなんですか。俺を殺したいんですかルヴィケっさんは」
「まさか。あなたの有用性をこれ以上なく示せる唯一の方法ですよ」
「もっと他のやり方あったでしょぉ。俺今回ので何回刺殺される経験したと思いますぅ? ざっと百回は死んでるんすよぉ」
直後、トドイがルヴィケスの後頭部を掴んで顔を荷台に叩きつけた。
鼻血を噴くルヴィケスと呆気に取られるザハ。
「先輩、駄目でしょ? 理由は分かりましたけど、不意打ちで攻撃して、仕事の邪魔して、殺しかけたんですよ? まずはごめんなさい、ですよね?」
「ト、トドイ。ザハは私の従属――」
「ご、め、ん、な、さ、い、は?」
「ごっ、ごめっ、ごめんなさ、っ、ごめんなさい!」
「ザハ君、先輩もこの通り謝っているのでどうか赦してほしいっす。そして是非とも碧雲隊へ! 有能な若者はいつでも募集中す!」
「は、はあ……」
ザハは恐ろしいものを見る目でトドイを見ている。その恐怖の度合いはルヴィケスに向けるものより大きい。その原因は単純、目の前で振るわれた容赦のない暴力だ。
にこにこと笑顔になるトドイと、それ以上言葉の見つからないザハ。二人の間では奇妙な緊張感が張り詰める。
スンダッギはザハでふと体内で渦巻いた小さな魔力を察知し苦笑いする。
「ザハ坊や、そんなに警戒せんでもええぞい。トドイは規則を守っていれば大人しいからのう」
「あの、ひょっとしてトドイさん滅茶苦茶強いですか?」
「こう見えて元は【独立命撰特務】の実働隊員じゃ。今でも近距離戦であればザハ坊よりは強いと思うぞい」
「やだなぁ! そんなに褒めても何も出ないっす! わたくし、トドイ闘技指導員! ザハ君がうちにきたらちゃんとしごいてあげまっす!」
何を感じ取ったのか、ザハは顏から血の気を引かせて黙り込んだ。
スンダッギは床に転がって眠る三人の男を見る。何も聞こえず何も見えない状態で、耳元で刃鞭が鳴る音だけを聞き続けて精神が参ってしまった男たちだ。そして、ぽんと手を叩く。
「そうじゃ、最大は半日後か? 一日後か?」
その質問の意図を正確に理解したザハは少し嬉しそうにする。
「連続使用するなら半日が限界です。こういう場合も半日後に設定してますねぇ」
「ということは、一呼吸後と半日後を高速で切り替えておるのか。いやはや、恐ろしい処理能力じゃな」
「いえいえ、そこをあの遠方から読み取れてるあなたも凄まじいですよぉ。スンダッギ、魔術指導員でしたっけぇ? 俺が入ったら、そちらにもお世話になりそうですねぇ」
「よしなにな。時魔術はあまり得意でない故、大したことは教えられんじゃろうが」
二人でくつくつと笑う。話の流れを理解できなかったトドイもとりあえず一緒になって笑う。
そうしていると、襟元を血で汚したルヴィケスが鼻を抑えたまま口を開いた。
「ザハ、忘れないように。仕事は好きにして構わないです。ですが、碧雲隊以外に来ても意味はありません。絶対にその他は任命拒否すると言いふらすように」
「はいはい、そう脅さなくても分かってますよぉ。俺はあなたの奴隷ですからね」
「頼みますよ。あなたは私の秘蔵っ子なんです。本当は碧雲隊にくれてやる気もなかった。仕方なしなんです」
「そうやって調子の良いことばっか言ってぇ」
ザハはふと興味が湧いて魔力を練ろうとし、やめた。半年後のことを感じてみたところで意味はない。疲れるし、精度は落ちる。そして、とても痛い。
何より、ルヴィケスの意向に本気で逆らう気は毛頭ない。ザハはルヴィケスの強さも恐ろしさも誰よりも知っているし、尊敬している。これだけ非道な扱いを受けようとも、だからこそ裏切る気はない。
(しっかし、俺が【独立命撰特務】ね。未来は何があるかなんてわからないもんだ)
並ぶ【鐵の篩】たちを見て、急に現実感が湧いてきた。そのため、ザハはため息を吐き、椅子に体を預けた。
「ザハ」
「わかってますぅ」
あなたのことは、その意思を貫く強さは、誰よりも。
そう心の中で呟き、ザハは目を閉じた。




